バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩・鉄道・旅など雑多な日記
  

秋葉街道その13.木曽見茶屋

2007-08-19 16:38:09 | 街道をゆく
大平宿から約4キロのだらだら上りで峠の頂上に着きますが、そこは標識とトンネルがあるだけで景色は良くありません。
そこから少し下った所に木曽見茶屋という茶店があり、名前のとおり眺めの良い所です

斉藤茂吉がここで幾つか歌を詠んだということで歌碑がありました。

     麓にはあららぎという村ありて 
            吾にかなしき名をぞとどむる

飯田のアララギ派との交流のために訪れたようですが、歌の意味はよく分かりません。
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秋葉街道その12・大平の茶店

2007-08-18 20:06:39 | 街道をゆく
ここの「お休み処大平」という茶店で大休止です。

外にロードレーサーがあったので、オヤッと思って入ったのですが、実業団のダイハツボンシャンス飯田のチームジャージをお揃いで着た親子が家族で食事をしていました。
ここはやはり自転車乗り同士でちょっと話をしましたが、福島選手などチームの方々は練習がてら良くこの店に来るそうで、写真やらサイン入りジャージが店に飾られていました。
お子さんの将来が楽しみです。

ここで、アルコール燃料の補給と、もつ煮(このあたりでは馬のもつ)、五平餅をいただき1,200円という安さに感激して最後の大平峠へ向かいます。

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秋葉街道その11・大平宿

2007-08-18 19:58:51 | 街道をゆく
大平宿はその名のとおり、山間部のちょっとした平地部分に佇んでいます。

妻籠、飯田間は徒歩の時代は1泊2日の行程で、丁度ここが宿場となっていたので、今でも無人になった数件の宿が保存され、観光スポットともなっています。

それぞれの建物に、誰それがいつ建てた家か、などの説明文があって、ほとんど明治から昭和初期にかけて建てなおされたものようですが、宿場としては江戸時代から続いていたのでしょう。
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秋葉街道その10・大平街道

2007-08-17 20:08:38 | 街道をゆく
ボトルに風越山の生んだ名水を入れ大平峠へと向かいます。

道は松川に沿った幅員3メートル位で舗装状態良好な街道です。ありがたいことにかなりの部分木々が日差しを遮ってくれ、右手からは所々沢が流れ込んでいるのでとても気持ちよく走れます。また、所々に安置してある石仏も心を和ませてくれます。

交通量も時々車やバイクが通る程度で、寂しさを紛らわすのに丁度いいくらいでしょうか。
飯田から峠までは19キロという案内でしたので、美ヶ原や乗鞍のヒルクライムレースくらいですが、タイムは関係ないので休みながらのんびりと高度を上げていきます。

昔、ヤマハのセローというオフロードバイクを買ってすぐにこの垰に来たことがあるのですが、その時は運転が精一杯で周りを眺める余裕も無かったので、ほとんどこのルートの記憶が無く、初めて通るのと同じようなものです。

1、236メートルの飯田峠に着くと、大平宿までは一気に下ってすぐです。

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秋葉街道その9・猿倉の泉

2007-08-17 19:56:27 | 街道をゆく
7時過ぎとはいえ、今日の猛暑を予測させる暑さで早速汗だくになった頃、右手に日本百名水「猿倉の泉」への上り口があります。勿論ここは行くべきでしょう。

しかし、暑さのためにこの坂が結構きつく、たまらずに押しが入りました。街道から500メートルほど上ると良く整備された泉があります。

おいしい水とは味、臭いなど癖がなく程よく冷たいということでしょうか。昔は当然歩きなので、ここまで来るのに相当のども渇くでしょう。そこで冷えたのをグッと一杯、旨いに決まっていますね。車で来たらこの旨さは半減でしょう。その点自転車で来たワタシは最高の名水をいただくことができました。

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秋葉街道その8.飯田出発

2007-08-16 19:21:33 | 街道をゆく
翌朝は6時前に目を覚まし出発の準備です。

ホテルで貰った散歩マップを見てみると、飯田の街は戦後の大火でほとんど焼けてしまったにも関わらず、城下町としての歴史の深さを感じさせるものが幾つか点在しています。

とりあえずその中から、武家屋敷など駅周辺の幾つかのポイントを見て回りました。また、行きはしませんでしたが水戸浪士の碑というのがあり、そういえば幕末に武田耕雲斎率いる水戸天狗党は、京に向かうのにトラブル回避のためか中山道の木曽街道を通らず伊那街道に入り、ここ飯田から馬籠に行ったのを「夜明け前」で読んだのを思い出しました。帰ってきてからもう一度確認してみるとそのルートはこれから向かう大平峠ではなく、清内路を通る杣道のようでした。

7時頃大平街道に入り、風越山を右手に見つつゆっくり登っていきます。途中、石碑を見ながら休憩していると、アンカーに乗った中年ローディーがグイグイ坂を上っていきました。後で聞いた話ですが、ツアー・オブ・ジャパンで好成績を収めた福島康一選手達もここでトレーニングしているそうです。
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秋葉街道その7・飯田へ

2007-08-16 13:06:23 | 街道をゆく
2つの川の合流点には落合という地名が付けられることが多く、ここでも鹿塩川と小渋川の合流点にその名が付けられています。

その落合橋を渡り川沿いにぐんぐん高度を下げていくと、左手に大きな小渋湖が現れます。このダム湖沿いの道路も交通量は少ないもののトンネルが数箇所あるので要注意です。トンネルを避ける旧道もあり、1箇所だけ走ってみましたが落石や木の枝などがたくさん落ちていて走りにくいのでその後は止めました。

ここから県道18号線に出るまでは取り立てて見るようなところもなさそうなので、一気に下ります。

県道18号線は天竜川左岸を豊丘村、喬木村と抜け飯田に至るルートですが、平坦で交通量も少ないものの、日陰が全くなく、道路の照り返しも加え、その暑さにはほとほと閉口しました。
台湾は世界最大の自転車生産国ですが、台湾に行ったときにスポーツサイクルに乗っている人を見かけなかったのは当然ですね。普通の人はあの暑さでは自転車に乗る気が起きないことが良く分かります。

喬木村で天竜川を渡るといよいよ飯田に入ります。飯田は坂の街で、天竜川が一番低いところを流れているので、ここからしばらくちょっとしたヒルクライムをして今夜の宿のビジネスホテルに到着です。走行距離は約90キロでした。
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秋葉街道その6・大鹿村

2007-08-16 10:45:22 | 街道をゆく
分杭峠からは農村歌舞伎で有名な大鹿村に入ります。

約10キロほど下ったあたりで、紺地に「うどん・そば」と染め抜いた幟を見つけ、何のためらいも無くその店に吸い込まれたのは1時を回っていた頃でしょうか。

店の名前は「おより亭」といって、民宿も営む食堂で、道路から登った外のあずま屋でお客さん達は蕎麦や、カキ氷を食べていました。
早速ワタシもライダーや観光客と一緒にテーブルの輪の中に入って、とりあえずビールということで燃料補給です。

ここのご主人は結構話し好きで、大鹿村の塩の温泉のことや鹿のこと、7月に行われた中央構造線自転車レースのことなどいろいろ話してくれました。

塩分のある温泉が出ることからこの辺りには大塩、小塩、塩原など塩にちなんだ地名が多く、近くには日本100名山の塩見岳もあります。

そんなこんなで、鹿肉煮の小鉢も付いたお蕎麦もいただいて元気になったので、大鹿村の中心部まで4キロくらい下り、落合というところで秋葉街道と別れ、後はひたすら飯田を目指します。

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秋葉街道その5・中央構造線

2007-08-15 23:45:49 | 街道をゆく
分杭峠からは待ちに待ったダウンヒルの開始です。上りの時はそこそこすれ違ったり追い越された車やバイクもほとんど通らずに、152号線はワタシの貸しきり状態です。

秋葉街道とは、大火の時そこだけ焼け残ったところから火除けの神様となった、静岡は天竜市近くの秋葉神社に通じるところから名づけられた街道で、これはまた中央構造線という地質学的に全く別の成り立ちの、いわばパッチワークで出来上がっている日本列島の継ぎ目の部分とも一致します。

峠を快適に下っていくと、右側にちょっと大きな駐車場があって、そこに中央構造線北川露見部という看板が出ています。ちょっと通り過ぎてからおやっと思って引き返してみると、まさにニッポンの継ぎ目が見られるので、これはちょっとした驚きでした。
衛星写真を見るとこの構造線に沿って諏訪湖の辺りから九州まで約1,000キロの谷が続いているそうで、和歌山の紀ノ川や四国の吉野川もその一部ということです。

また、この部分は地質学的に弱い部分で、やたら崩れたりするので、静岡県境の峠には青崩峠という名も付いているほどで、これが152号線が寸断されている理由のようです。
実際、この北川の下で土砂崩れにより100メートルほど道が埋もれていて、復旧工事をしていました。
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秋葉街道その4・分杭峠

2007-08-15 00:51:07 | 街道をゆく
最後の自動販売機のある一野瀬からは、栗沢川に沿ってひたすら上りとなります。道はほとんど直登で、斜度は5,6度といったところでしょうか、そんなにきつくはない坂ですが、とにかく暑い!時間も11時を回り、気温は34,5度はあろうかと思われる暑さでおまけに木陰が少ないのです。後半は百メートル程走っては木陰を見つけクールダウンしつつ、よろよろ上っていくといった状態でした。前開きのサイクリングウエアはこんな時大助かりでした。大量の汗をかくので勿論こまめなスポーツ飲料の補給は必須です。

道幅は狭く1車線程度で、交通量は少ないもののやはりお盆の休みなので、ツーリングのバイクや県外ナンバーの車が時々通ります。大鹿村方面からのローディーも2人いました。

やがて道が大きく右カーブし、山の北斜面を走るようになると斜度は少し増してきますがようやく日差しも遮られ、まもなく駒ヶ根方面からの林道合流点中沢峠に着きます。
そこから約1キロでようやくたどり着いた分杭峠は結構見晴らしが良く、ここでしばしの休憩です。

遠州は森町から来たという中年のご夫婦としばし談話。原チャリに鍋釜、テント積んでのツーリングだそうです。ワタシも足が弱ったらこの手で行きましょう。
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