いろんな日常をブログに書き込んできましたが
どうやら 記憶記録という点では 物に勝るということは なさそうな気がしています。
手紙や書類でのこっていると ふとした機会に目にして 思い出すことができます。でも データーで膨大となると もう振り返ることは減り 電源を入れて能動的にならないと残らないデータで 記録したと思っても どうやら一瞬にして存在があやしくなるような 不安があります。
デジタルは あくまでも道具
ツールの一つであって 活かすも使うも使う者の能力次第というわけです。
阪神大震災の時 人工呼吸器が止まり 納戸にあった鞴で息をつないだと聞いたことがあります。
水害時 仕事の倉庫でパソコンが水没しました。 伝票をすべて手書きでしたことがあります。究極の事態は アナログが役立つようです。
病気で入院した時など ハンコがいらなくと ありがたいですが 何もかもデジタルにするのは 控えた方がよいと 老婆は思うんです。
東証の事故も 神様のお知らせのようなタイミングでした。
そうそう データーを非常時に使えるようすべてすり合わせ 厳重なセキュリティーでリアルタイムなものを用意し 常に書き換える。
実生活は ある程度 証拠の残る紙で 確認保存してはどうかしら。
いざ非常時や 困窮者の救出には データ情報を使う
その際には 個人的に許可を得るってのは どうかしらねえ。
得る