オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【吉田元所長逝去】ふさがれた口は開かない。

2013年07月09日 22時46分04秒 | オズマの考える政治・経済問題

吉田元所長死去 菅氏「原発のあり方話したかった」(産経新聞) - goo ニュース

 完璧なまでの政府の策略。見事なまでの工作員の策略。ゴルゴでも雇ったかのようだ。病死に見せかけてこの世から抹殺する。「公益に反する」からだろう。

 うがった見方をするのは,やはり自民党が,人間が制御できない化け物である原発を,十分な検証なく推し進めることに,僕は反対だから。

 原発「事故」で誰も今後も死なないだろう。いまも続く公害問題訴訟と同じく「認定」しなければ直接の原因ではないから。

 吉田元所長の行為や発言にいろいろな問題はあったかもしれない。しかし,こうして闇に送ってしまえばあとは無法の風が吹きまくる。そしてそれでも国民は目先の経済政策に浮かれて投票するのだ。交渉力ゼロの日本においてTPP参加はありえない「国益損失」だが,それでも国民が選挙で「また」選ぶのだ。そう,歴代の政権交代時と同じく「空気」に流されて。

 僕も,自民党嫌いが過ぎて,古くは日本新党に投票して後悔した記憶がある。裏切られた,と思ったあとはいまの通り,失われた20年につながっている。

 日本は,エネルギー自給問題のみならず,高齢社会,非正規雇用問題,そして莫大な国債により,かつてない危機にある。
 しかし,魔法の呪文「アベノミクス」をふりかけるとあら不思議,国民の前にはバラ色の世界が待って...いるわけはないのだ。
 僕の20歳からの,いや,政治に興味を持ち始めた幼年期からの記憶と記録が物語っている。NTT未公開株事件,ロッキード事件などは,いま考えると「どうでもいいお金の問題」だった。
 しかし,いまは「近代国家」としての危機に晒されている。それは,立憲主義に基づく現行憲法をアタマから否定している勢力に,異様な支持が集まっていることから明白だ。

 原発問題については,そんなに安全なら,お台場に作ればよいと思う。お台場発電所がつくれれば認めよう。出来はしないが。

 自然科学の本質は真理の追求にあるが,原発に科学はない。科学者も居ない。あるのは利権。そして闇の世界のみ。エシュロンよりも凶悪だ。

 いま現在,原発を止めていて大丈夫ならば,たとえ石油が値上がりしようが,制御可能な技術である発電システムに移行すべきだ。ガスコンバインドサイクルになぜ開発経費を注がないのかも「利権」で解明できるが。

 さて,あす以降は自民党叩きがまた追加される日である。またもや議員辞職レベルのお話。いやしかし,三流週刊誌とはいえども,政権崩しにやっきになる気持ちはわからんでもない。今週も新潮・文春から目が離せない。


恒例の東京国際ブックフェアに行ってきたが...。

2013年07月09日 05時29分36秒 | オズマの独り言

 7/4に東京国際ブックフェアに行ってきた。仕事なので行かねばなるまい。


いつもの写真。

 しかし,毎度思うが都心からでも約50分と遠い。ゆりかもめがダルイですな。どうりで横浜パシフィコにいろいろな展示会が移るわけである。

 肝心の内容は,あいかわらず高飛車な某大手企業の派手なイベントに辟易。こちとらウルトラヘビーユーザーで1年中そこのソフトを使っているのに,まったく対応しないその悪辣さは業界では有名な,あの大手国際企業Aである。

 なかを見ていると,なんと三国人のコーナーまである始末。閑散としていたがそれが現実。なんでいま,三国人のコーナーを作るんだ。自国の文字を封印した韓国なんぞわるい意味での参考にはなるが,いまの感情では見る気も起きない。

 そして怖かったのが総裁のコーナー。大川総裁の,あの宗教の関連本。戯言をはいていた。霊言なるインチキでよくもまあ信者がつくのだなあと思う。同時に,間違っても彼らが選挙で当選しないこと念願する。ほとんどあれじゃオウム真理教と変わらない。リアルにオウムが立候補していたときや,その後の惨事を覚えているだけに。

 というわけで,90分あまりで回ってしまった。必要な情報はもはやここになし。本当にまた必要になったときに来よう。そういうレベルだった。


スズメが寄ってくる。休憩していると。

 スズメは可愛いから好きである。しかし,こうして寄ってくると「お前らは野鳥の誇りを捨てて...」という気分になる。これではハトと同じだ。僕の住んでいる地域では「ちゃんと」逃げてくれる。水郷でもしかり,人間が敵になっている。だからこそ,適度な距離感があって気持ちいい。水郷にいるサギも都会では逃げないが,ああいう感じが実は不思議でたまらない。いや,不快なのだ。彼らも生きるために必死なのはわかるのだが

 ほとんど収穫のなかったブックフェア。来年同じ部署にいる保証も何もないが,まあ,また機会があったら,である。