gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2023120501001371
これは単なる時事報道に過ぎない。
比較検証するならば,同じ子供たちに・同じ問題で・同じ環境で解かせないと「条件が異なる」ので数学的に正しくない。
生物学的にも,子供の年数経過による進化・深化・老化もあり得るので,単純な比較をすべきではない。
なにより慎まなければならないのは,こうした結果に一喜一憂することだ。
代表例を上げよう。
公文式では,高校数学の微分積分計算を,早くて小学生でもできるようになる。計算が得意になるということ自体は悪くないと理解する。
しかし残念ながら,けして本質を学ぶわけでなく,「公式当てはめ演習」をするだけである。置換積分・部分積分も,たしかに「公式当てはめ」なら解ける。
だが,こうした小学生に「数」の概念を説明させたり,間違っても「実数の連続性」(そもそも大学の範囲だが)について述べさせることも,理解させることも難しいのが実情だ。
その結果が,中学生以降になると急に理数系科目嫌いになる傾向からも明らかである。
もっとも,僕自身も「実験結果を強要される」理科が大嫌いだった。理論でなく結果のみが重要という無意味な学校方針に,高校生ながら若干の抵抗をしていた。平たく言えば,「実験結果はうまく行っている人の結果を借り」,期末テストなどでは暗記して公式当てはめ演習を繰り返し,得点だけは確保した。
ひねくれた子供(だった)は自分だけで十分だと思う。
エジプトでは「特別活動」を採り入れた旧日本式教育が積極的に採用されて結果を上げているようである。他,新興国でも同様の動きがあり,どうやら富裕層にもてはやされているようだ。
NHK「クローズアップ現代より」
「特別活動」の本質は「人間性形成」である。わかる・答のあるものでなく,わからないものをなんとか調整する「非認知能力」がAI時代を生き抜くのに必要だし,実社会はまさに「人間性」で仕事が動いていく。
「特別活動」にしろ教科教育にしろ忘れてはいけないのが「本質はなにか」を意識して実践することだ。
数学でしか語れないが,高校数学では「2次方程式の解の判別式」がある。この本質は「2次方程式を二次関数に読み替えて」「二次関数のもつ軸での対称性」に着目し,「軸がx軸正負のどちらに属するか」で判別する,というものだ(絵があればわかりやすいのだが,ここに描く技術がない)。だが,実際は「判別式」が独り歩きして暗記事項になっている。
どんな科目でも本質はある。どんな趣味にも,どんな遊びにも
釣りで言うなら「自然と会話する」のが「飽きの来ない楽しみ方」だと思う。だから僕は原則管理釣り場に行かない。人との会話自体を嫌わないが,競う釣りに興味がない。どんなに困難な結果でも「揺るぎない自然に翻弄される感覚」こそ日常にない感覚であり,終生大事にしたいから,僕は野釣りに拘っている(くどいが,けして釣り堀や管理釣り場での釣り自体を責めているわけでもないし,親しめる人にとっては積極的に親しむ場所だと思う)。
結果に一喜一憂しても仕方ない。大学まで「多子無償化」(3人以上)なんて無策が出ているが,誰もが大学に行けばよいという時代ではないし,職業選択の自由もあり,そもそも職業に貴賎などない。
政府やその関係者,御用学者の意見にはいつも首を傾げる自分がいまもこうしてあるが,「目先の結果が出ない」理屈への理解を得るには艱難辛苦を伴っている...。
バドジズデジドダ