オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

初代「ガニングシャフト」,それは「ビッグフィッシュゲッター」だった!

2009年11月14日 13時27分27秒 | オズマのバスタックル

 ガニングシャフト。初代コンバットの中で「」といわれた竿。
 
 以下は,オズマが購入に至ったきっかけ・軌跡を綴ったものである。

 ときは1992年2月。東京国際フィッシングショーに今江プロがくるというので,友人Kとウキウキしながら幕張メッセへ向かった。

 まずは東レのブース。


実に若い今江プロ。このとき27歳。

 ここでナマの今江プロの声に感動する。ビデオを通してしか知らない今江プロがそこにいる,というだけで望遠レンズで撮影したのだ。デジカメの時代じゃないから撮影も勝負だった。

 そして次はエバーグリーン&ベルズのブース。当時は両社が事業提携をしていたっけ。


電撃アワセの極意を語る今江プロ。
フォアグリップを握ってアクションさせる
(=今江アクションと呼んだ)が重要だと説く。


 このときは至近距離だったので,もう頭の中は「絶対コンバットはガニングだなどと思っていた。

 そして,1992年シーズン開幕。北浦にGW期間,実に2泊3日を友人Kと釣りをした。そしてかつてない爆釣をした。それも,当時流行のスプリットリグとは違う「ヘビキャロ」で。


上がオズマの「ガニング+初代カルカッタ」。
下が友人Kの「BSR1702+スコーピオン1000」。
ワームはギャンブラークローダディ・ソーバグ・ギドバグだった。
ナツメオモリ7号・ラインはアプロードFX14LB・リーダーが
ブッシュランナー10LBだった,記憶がある。

 この友人Kのタックルは,実は代替であった。それまでBSR1652Fを使用していたが,激しいヘビキャロでの使用が竿を破壊したのだ。それも,その後新品交換してもまた起きた。オズマもBSR1652Fについては2度折れている。そのとき二人は痛感した。
     「たしかに感度はいいBSR1652Fだが,強度が.....。」
と。
 もちろん精度誤差の問題もあるし,オズマ達の使い方にも問題がなかったわけではなかろうが,ここで友人Kのとの結論は「違うのにしよう」だった。

 そして同じ年の5月後半。まだ社会人2年目だというのに,いきなり有給休暇を繁忙期(といっても当時は牧歌的だった)にとり,友人Nと琵琶湖へ(カローラFX-GTだった)。藤木プロのガイドを受けたのだった。

 オズマは最初苦戦した。葦へのピッチングなどがまだまだ不器用でできずに,葦での釣りはまったくさえなかった。そして移動したのが小野駅沖の4mウイードライン。そこではヘビキャロがいいと藤木プロはいう。

 オズマは「これはいけるぞ。北浦で釣ったばかりだしな。」と思いながら,HPフック(ハイパフォーマンスフック:ワームがずれないのだ)を藤木プロから借りて,ワームはたしか,G4・グリーンクリスマスツリーカラーで投げていた。

 そして何匹か釣ったあと,ニブイバイトをまさに「電撃」アワセをした。
 その結果が,人生初の50UP


ガイドだけどね。それでもいいのです。

 とにかく,この当時はバス釣りにかける情熱・金額がいま思うとキチガイだったと思う。ルアーは話題のものがあればすぐに試していたしね。

 そうそう,この琵琶湖遠征では,この小野駅沖のパターンを岸から行えるところとして「近江水上警察横」のウイードでも,ガイド終了後にわざわざ京都までいって「デビルズクロー」を購入して試したら,今度は岸でも50UP


当時は右ハンドルでした。
ガニングシャフトとカルカッタ,これは当時最強に思えた。


 この92年という年度は,オズマにとっては「ラバジ」元年でもあった。自作するようになり,どこでもかしこでも投げていたのだ。


黒部川では40UPを連発。

 このようにして,20代の青春をともに駆け抜けたのが「初代コンバット・ガニングシャフト」。いまは「マシンガン」が引き継いでいる。
 
 あの当時からすでに17年以上が経過し,ガニングシャフトを振る体力もなくなってきた。
 だが「もう一度あの時代を」という懐古趣味で使ってみるのもありではないかな,と思う休日の1日であった


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