ガニングシャフト。初代コンバットの中で「棒」といわれた竿。
以下は,オズマが購入に至ったきっかけ・軌跡を綴ったものである。
ときは1992年2月。東京国際フィッシングショーに今江プロがくるというので,友人Kとウキウキしながら幕張メッセへ向かった。
まずは東レのブース。
実に若い今江プロ。このとき27歳。
ここでナマの今江プロの声に感動する。ビデオを通してしか知らない今江プロがそこにいる,というだけで望遠レンズで撮影したのだ。デジカメの時代じゃないから撮影も勝負だった。
そして次はエバーグリーン&ベルズのブース。当時は両社が事業提携をしていたっけ。
電撃アワセの極意を語る今江プロ。
フォアグリップを握ってアクションさせる
(=今江アクションと呼んだ)が重要だと説く。
このときは至近距離だったので,もう頭の中は「絶対コンバットはガニングだ」などと思っていた。
そして,1992年シーズン開幕。北浦にGW期間,実に2泊3日を友人Kと釣りをした。そしてかつてない爆釣をした。それも,当時流行のスプリットリグとは違う「ヘビキャロ」で。
上がオズマの「ガニング+初代カルカッタ」。
下が友人Kの「BSR1702+スコーピオン1000」。
ワームはギャンブラークローダディ・ソーバグ・ギドバグだった。
ナツメオモリ7号・ラインはアプロードFX14LB・リーダーが
ブッシュランナー10LBだった,記憶がある。
この友人Kのタックルは,実は代替であった。それまでBSR1652Fを使用していたが,激しいヘビキャロでの使用が竿を破壊したのだ。それも,その後新品交換してもまた起きた。オズマもBSR1652Fについては2度折れている。そのとき二人は痛感した。
「たしかに感度はいいBSR1652Fだが,強度が.....。」
と。
もちろん精度誤差の問題もあるし,オズマ達の使い方にも問題がなかったわけではなかろうが,ここで友人Kのとの結論は「違うのにしよう」だった。
そして同じ年の5月後半。まだ社会人2年目だというのに,いきなり有給休暇を繁忙期(といっても当時は牧歌的だった)にとり,友人Nと琵琶湖へ(カローラFX-GTだった)。藤木プロのガイドを受けたのだった。
オズマは最初苦戦した。葦へのピッチングなどがまだまだ不器用でできずに,葦での釣りはまったくさえなかった。そして移動したのが小野駅沖の4mウイードライン。そこではヘビキャロがいいと藤木プロはいう。
オズマは「これはいけるぞ。北浦で釣ったばかりだしな。」と思いながら,HPフック(ハイパフォーマンスフック:ワームがずれないのだ)を藤木プロから借りて,ワームはたしか,G4・グリーンクリスマスツリーカラーで投げていた。
そして何匹か釣ったあと,ニブイバイトをまさに「電撃」アワセをした。
その結果が,人生初の50UP。
ガイドだけどね。それでもいいのです。
とにかく,この当時はバス釣りにかける情熱・金額がいま思うとキチガイだったと思う。ルアーは話題のものがあればすぐに試していたしね。
そうそう,この琵琶湖遠征では,この小野駅沖のパターンを岸から行えるところとして「近江水上警察横」のウイードでも,ガイド終了後にわざわざ京都までいって「デビルズクロー」を購入して試したら,今度は岸でも50UP。
当時は右ハンドルでした。
ガニングシャフトとカルカッタ,これは当時最強に思えた。
この92年という年度は,オズマにとっては「ラバジ」元年でもあった。自作するようになり,どこでもかしこでも投げていたのだ。
黒部川では40UPを連発。
このようにして,20代の青春をともに駆け抜けたのが「初代コンバット・ガニングシャフト」。いまは「マシンガン」が引き継いでいる。
あの当時からすでに17年以上が経過し,ガニングシャフトを振る体力もなくなってきた。
だが「もう一度あの時代を」という懐古趣味で使ってみるのもありではないかな,と思う休日の1日であった。