噛みつき評論 ブログ版

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小学3年生に嘘と誇張について教えるフィンランドの教育

2008-01-08 09:31:43 | Weblog
 1月6日のNHK第一放送の番組「日本人のコミュニケーションの育て方」の中で、劇作家の平田オリザ氏は次のようなことを話しました。「フィンランドでは、小学3年生に文章を読ませ、その中の嘘と誇張(大袈裟)を見分けさせるといった教育をしています。そして誇張はどの程度まで許容されるべきかを考えさせています」

 私にはフィンランドの教育についての知識はありません。国際学習到達度調査(PISA)の調査で最優秀ということだけは知っていますが、この話を聞いて、なるほど、と納得がいきました。フィンランドの教育システムとそれを構成する人たちのレベルの高さを感じます。

 この一点だけでフィンランドの教育を云々するのはよくありませんが、平田オリザ氏が取り上げられた事実は、フィンランドの教育を象徴するもののように私には思われます。

 嘘と誇張を見分ける能力、それはコミュニケーションの能力に直結することでもあり、メディアリテラシーにも深く影響します。小学3年生にこのような教育をするという、その見識には驚かされます。聞いて、その重要性に私も気づきました。

 科学的応用力、数学的応用力、読解力での高い学力を実現したファンランドの教育は、優れた見識に支えられた教育システムの産物なのでしょう。

 誇張、大袈裟の許容度を小学生に教える社会がある一方、わが国の現状はというと、テレビ、新聞の見出しは年々、センセーショナルな傾向を強め、誇張が日常化しているように感じます。

 週刊誌の記事見出しは実に巧妙にできおり、広告の見出しに釣られて購入し、記事を読んで「なあーんだ」という経験をもつ方は少なくないと思います。限りなく嘘に近い誇張表現を作るのが編集者の「腕」なのでしょう。

 「激安」「おっしゃられる」「させていただいていいですか」など話し言葉の世界も誇張が進んでいます。どうやら我々は誇張に対して大変寛容な民族のようです。誇張は嘘の一種であり、許容範囲があるという考えは希薄です。これは正確な記述をしようという気持ちにも悪影響を及ぼします。

 誇張は面白さの反面、言葉のもつデリカシーを失わせ、正確なコミュニケーションのツールとしての機能を低下させます。フィンランドに差をつけられたのは学力だけではなさそうです。

 文科省や日教組に将来の日本の教育方針を委ねて、はたして大丈夫なのでしょうか。「ゆとり教育」を主導してきた彼らの見識にはいささか不安を感じます(参考)。一に教育、二に教育、三に教育、と言ったのは英の前首相ブレアでした。

 リテラシーの差は選挙を通じて、政治の質にも強い影響を与えるでしょう(フィンランドでテレビタレントが政治をやっているかは生憎存じません)。

 フィンランドのような教育によってメディアリテラシーが向上すれば、誇張の多いものは信用を失い、マスメディアも少しはまともになると思うのですが。