「過失」の判断、やりきれなさ残す 福岡3児死亡判決(朝日新聞) - goo ニュース
福岡飲酒運転事故判決に批判の嵐…またメディアスクラム?
『飲酒惨劇 なぜ「過失」』
これは判決直後の1/8朝日夕刊の13面(三面)見出しです。見出しは、この事故は過失ではなく、故意の殺人だと主張しているようです。本文では、その理由には触れず、ご遺族の様子と以前飲酒事故で子供を失った方のコメントを載せています。
翌日、日経を除く各紙も似たようなもので、量刑が軽すぎるという論調が目立ちます。事故後の報道は厳罰を求めるものが主であり、その姿勢は一貫しています。
判決は7年6ヶ月でした。泥酔ではなく0.25mg/Lの酒気帯びで、正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される、という判決理由を信じれば、この判決を非難する理由を見つけるのは困難です。
ネットに出される意見の大半も判決が軽すぎるというものです。確かに、マスコミの報道は検察側に主張に沿ったものが多く、被告に有利な情報はあまり伝えられないことはよくあります。マスコミ以外に情報を得る手段がない以上、軽すぎるという意見が多いのもわかります。
確かに事故後の被告の行動に同情の余地はなく、しかも3人の命が失われた結果は痛ましく、かつ重大です。結果の重大さは量刑に加味されるのは当然ですが、この事故の場合、下が海という不運と道路構造が事故拡大の大きい要因になっています。
もし通常の道路のようにガードレールがついていれば単純な追突事故であり軽傷で済んでいたと思われます。海への転落は致命的な事故になる可能性が高く、4mの歩道が車の転落を防止できるとは思えません。また事前にその危険性は十分予見できたと考えられますから転落防止措置の欠如は重大です。
にもかかわらず、道路管理者の責任はゼロで被告の責任が100%と考えるのは合理的ではありません。恐らく各紙は求刑の25年か、やや下回る程度を期待していたものと思われます。それは、事故の直接要因ばかりに目を向け、拡大要因への配慮が欠けているためだと思われます。20年、25年という刑は故意による殺人(初犯)の量刑相場と比較しても、バランスを欠くように感じます。
危険運転致死傷罪はその要件である、故意の立証が困難であると批判されています。しかしこれを緩くしてしまうと、故意と過失の境界が曖昧になり、実質的には過失でも重 刑を課すことが可能になる危険があります。故意という要件があってこそ殺人に匹敵する重刑が可能なのでしょう。
他は知りませんが、少なくとも朝日とNHKの報道は、感情に訴えるという傾向が強すぎるように思います。結果が重大・悲惨であってもメディアは冷静さを保つべきです。脚色は本来の仕事ではありません。他の要素を無視し、被告人にすべての責任をおしつけて問題を解決しようという姿勢は単純でわかりやすいですが、魔女狩を思わせます。
マスコミの論調は、量刑に対する不服という点でほぼ一致していますが、裁判での審議に匹敵するほど綿密な検証がなされた結果なのでしょうか。判決の翌日にすぐ社説などで発表されたこと、またその内容から推定しても、綿密な検討を経たものでなく、表面の主な事実による簡易な判断という印象が拭えません。
検察はマスコミの意向に沿った求刑をしましたが、判決は裁判官が圧力に屈せず、冷静に判決を下したものと見ることができます。だが、素人の裁判員が参加する裁判では、報道に左右されない冷静な判決が可能でしょうか。私は極めて疑わしいと考えています。
福岡飲酒運転事故判決に批判の嵐…またメディアスクラム?
『飲酒惨劇 なぜ「過失」』
これは判決直後の1/8朝日夕刊の13面(三面)見出しです。見出しは、この事故は過失ではなく、故意の殺人だと主張しているようです。本文では、その理由には触れず、ご遺族の様子と以前飲酒事故で子供を失った方のコメントを載せています。
翌日、日経を除く各紙も似たようなもので、量刑が軽すぎるという論調が目立ちます。事故後の報道は厳罰を求めるものが主であり、その姿勢は一貫しています。
判決は7年6ヶ月でした。泥酔ではなく0.25mg/Lの酒気帯びで、正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される、という判決理由を信じれば、この判決を非難する理由を見つけるのは困難です。
ネットに出される意見の大半も判決が軽すぎるというものです。確かに、マスコミの報道は検察側に主張に沿ったものが多く、被告に有利な情報はあまり伝えられないことはよくあります。マスコミ以外に情報を得る手段がない以上、軽すぎるという意見が多いのもわかります。
確かに事故後の被告の行動に同情の余地はなく、しかも3人の命が失われた結果は痛ましく、かつ重大です。結果の重大さは量刑に加味されるのは当然ですが、この事故の場合、下が海という不運と道路構造が事故拡大の大きい要因になっています。
もし通常の道路のようにガードレールがついていれば単純な追突事故であり軽傷で済んでいたと思われます。海への転落は致命的な事故になる可能性が高く、4mの歩道が車の転落を防止できるとは思えません。また事前にその危険性は十分予見できたと考えられますから転落防止措置の欠如は重大です。
にもかかわらず、道路管理者の責任はゼロで被告の責任が100%と考えるのは合理的ではありません。恐らく各紙は求刑の25年か、やや下回る程度を期待していたものと思われます。それは、事故の直接要因ばかりに目を向け、拡大要因への配慮が欠けているためだと思われます。20年、25年という刑は故意による殺人(初犯)の量刑相場と比較しても、バランスを欠くように感じます。
危険運転致死傷罪はその要件である、故意の立証が困難であると批判されています。しかしこれを緩くしてしまうと、故意と過失の境界が曖昧になり、実質的には過失でも重 刑を課すことが可能になる危険があります。故意という要件があってこそ殺人に匹敵する重刑が可能なのでしょう。
他は知りませんが、少なくとも朝日とNHKの報道は、感情に訴えるという傾向が強すぎるように思います。結果が重大・悲惨であってもメディアは冷静さを保つべきです。脚色は本来の仕事ではありません。他の要素を無視し、被告人にすべての責任をおしつけて問題を解決しようという姿勢は単純でわかりやすいですが、魔女狩を思わせます。
マスコミの論調は、量刑に対する不服という点でほぼ一致していますが、裁判での審議に匹敵するほど綿密な検証がなされた結果なのでしょうか。判決の翌日にすぐ社説などで発表されたこと、またその内容から推定しても、綿密な検討を経たものでなく、表面の主な事実による簡易な判断という印象が拭えません。
検察はマスコミの意向に沿った求刑をしましたが、判決は裁判官が圧力に屈せず、冷静に判決を下したものと見ることができます。だが、素人の裁判員が参加する裁判では、報道に左右されない冷静な判決が可能でしょうか。私は極めて疑わしいと考えています。