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司法試験3000人、見直しへ…そもそも司法制度改革審議会の見識に疑問

2008-01-28 10:08:01 | Weblog
 法務省は、司法試験合格者を2010年までに年間3000人にし、その後も増やすことを検討するという政府の計画について、現状を検証したうえで内容を見直す方針を固めた。合格者の急増による「質の低下」を懸念する声が相次いでいることに危機感を募らせたためで、「年間3000人は多すぎる」との持論を展開している鳩山法相の意向も受け、年度内にも省内で検討を始める。同省が慎重路線にかじを切ることで、今後の検討内容によっては現在の「3000人計画」が変更され、合格者数を減少させる方向に転じる可能性も出てきた。(2008/01/25 asahicomより)

 そもそも、司法制度改革審議会が決定した3000人という数に明確な根拠がなかった。審議会の意見書を読むと、理念先行の非現実的な考えが審議会を支配していたと感じる。審議会が6倍という法曹の爆発的な増加を企んだ理由は意見書に一応示されている。それは司法制度改革の三つの柱のひとつとして書かれている。

『「司法制度を支える法曹の在り方」を改革し、質量ともに豊かなプロフェッションとしての法曹を確保する』

 誰も反論しようのない文章である。また「法の支配」という語句が何度も出てくる。少しうがった見方だが、彼らは法の支配の代理人として、より大きい権力を目指していたのかもしれない。そうとでも考えなければこの6倍の意味が理解できない。

 3000人に達するのは2010年の予定だが、既に就職難がささやかれている。それにしても、急激な増加によって、なぜ弁護士の過剰、質の低下を予想できなかったのだろうか。法律家は需給ということがわからないのだろうか。審議会には実業界の委員や、作家、労働界の委員もいた筈だが、ただ座っていただけなのだろうか。

 10年で1.5倍や2倍程度ならまだ理解できる。しかし明確な根拠もなく6倍という非常識な案を決定した審議会の見識を疑ってみる必要がある。なぜなら裁判員制度も同じ審議会の産物であるからだ。裁判員制度も現実から遊離した原理主義が生んだもの、と私には映る。一例を挙げる。(拙文 司法制度改革審議会はまともに機能したか 参照)

『(裁判官と裁判員の協働)作業の結果、得られた判決というのは、私は決して軽くもないし重くもない、それが至当な判決であると・・・』(但木敬一検事総長の発言-論座07/10月号) 同様な発言は他でもあり、裁判員制度を支える基本的な理念のようである。

 模擬裁判では判決のバラつきが問題になっているにもかかわらず、「それが至当な判決」と断定される。同一事件の模擬裁判で、無罪~懲役14年までのバラつきがあったが、これは一方が正しければ、他方は誤審と言えるのではないのだろうか。どちらも「至当な判決」だとはちょっと理解できない。(拙文 『裁判員 量刑に大差 殺人事件に無罪~懲役14年』―最高裁の想定内という見解に唖然! 参照)

 司法試験合格者3000人、裁判員制度、どちらも司法制度改革審議会で決定され、十分に検討されずに法案となったものだ。裁判員制度も改めて見直すべきではないだろうか。