噛みつき評論 ブログ版

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般若心経解説本673点出版の意味

2009-01-12 10:16:29 | Weblog
 『般若心経は、仏教の教えそのものの悟りの境地を解き明かし、人間が持つ煩悩(色々な迷いや苦しみ)の世界から心の知恵によって悟りの世界に行くための実践方法を明かした、とても御利益のあるお経なのです』・・・これは全日本般若心経指導審査認定協会の案内文の一部ですが、協会では読経と写経について初級から審査指導者まで有料(1500円~50000円)で検定を行っています。般若心経にはランキングのシステムまで用意されているわけです。

 「般若心経」をキーワードにしてアマゾンで検索すると673点もヒットし、08年12月以降でも新たに6点が出版されています。学術書っぽいものも含まれますが、多くは一般向けに書かれた本で「ポケット般若心経」「アウトドア般若心経」「子どもにおくる般若心経」というものまで見つかります。また般若心経のコーナーを作っている書店もありました。

 般若心経の人気は根強く、出版社にとってはある程度の部数が期待できるおいしい分野なのでしょう。読者にとってはこれだけの本が出版され、売れ続けているのは般若心経にそれだけの魅力や価値があるからではないかと思うのは自然です。ベストセラーを買う心理と似ています。仏教にあまり興味を持たない私も気になって、一般向けの本を購入しました。

 どれもやさしく解説してあり、文章の意味は理解はできます。が、内容を理解・納得できるとは言えません。知識が乏しいので内容を云々することはできませんが、仏教の哲学あるいは世界観を簡潔にまとめたものといった印象です。

 しかしながらその世界観は日常の感覚や合理的な思考からの隔たりが大きく、とても普遍性のあるものとは思えません。かなり特殊なもので一般の人が理解するのは難しいという印象があります。もし、これを大変価値あるものという先入観をもって読めば、自分の理解力が足りないのではないかと考え、劣等感を持ってしまうでしょう。やや批判的な立場で書かれた本の序文には「わからなくてあたりまえ」とありました。

 (もっとも、般若心経に書かれていることが仏教思想の核心部であって、それが簡単に理解されるものであれば、困ったことになります。到達し難い深遠なものというイメージが壊れ、また少しづつ教え導くという宗教従事者の存在理由が減ります)

 皮肉にも、読んでもわからないということが解説本が続々と出版される理由のひとつになっているように思います。優れた定番本があれば数百もの本は必要ないわけです。数多くの出版が般若心経の価値を大きく見せ、それが購入者を生み出します。購入者は読んでもわからないので他の本を購入する、というわけです。出版社にとっては好循環と言えるでしょう。

 出版社にとっては喜ばしいことですが、何冊も般若心経解説本を読んで悩んでいる人にとってはそうでありません。またわからなくてあたりまえのことに挑み続ける無意味さを見ることもできます。般若心経を過大に評価する社会の気分のようなものが存在することはないでしょうか。無批判に受け入れる前に、現代に般若心経がどれほどの意味をもつものか、疑ってみることも必要でしょう(むろん理解してその価値を認める方を否定するつもりはありません)。

 トマス・アクィナスは「神学大全」を著した中世を代表する神学者ですが、彼が死ぬ直前「私は生涯をかけてゴミの山を築いた」と言ったという話を、童話作家のミヒャエル・エンデが紹介していました(古い記憶ですが)。神学はどれだけ緻密に作られていようとも、神という虚構の上に成立するものですから、彼は死ぬ直前、その虚構に疑いをもってしまったという想像が可能です。般若心経が虚構の上に築かれたものかはわかりませんが、この話を思い出しました。