国民に詳しい説明もされず、また国会でも実質的な論議をされないまま全党の賛成によって、裁判員制度は04年に決まりました。マスメディアが裁判員制度を頻繁に取り上げるようになり、多くの人が裁判員制度を知るのは決定から3年以上経つ07年頃からで、唐突な印象があったことと思います。
裁判員として参加したいか、それともしたくないか、という質問に対するアンケート調査が何度か実施されましたが、どれも参加したくないが7~8割を占めています。08年12月6日に放送されたNHKの特集では「市民参加で日本の裁判は良くなるか」と視聴者に質問したところ良くなると答えたのは約39.5%で、約60.5%が良くならないと答えました。
09年1月9日、朝日新聞は07年12月に実施した裁判員制度に関する面接調査の結果を紙面で発表しました。ここでも裁判員を「絶対したくない」「できればしたくない」は76%占めています。そして59%が裁判員制度は根づかないと考え、裁判員制度そのものに対しても、反対が52%で賛成の34%を大きく上回っています。また地方弁護士会の反対も相次いでいる状況です。
内閣支持率が数ヶ月で大きく変化するように国民の意見はあてにならないという考えもあります。しかしこの裁判員制度に関する意見は安定的であり、世論・民意とみてよいと思います。
裁判員制度は2001年6月の司法制度改革審議会の、司法にも国民主権の道を開くという理念に基づいた意見書に沿って作られ、04年に国会を通りました。しかしこの制度の重要性にふさわしい量の報道はされず、幾多の殺人事件の方がはるかに大きく報道されました。要するに国民が知らない間に法曹が作り、国会が承認した制度に対して、現在、国民の過半が否定的になっているわけです。
民主的な手続きを経て作られたものは国民の意向に沿わなくても実施する。裁判員制度は司法にも国民主権の道を開くもので、民主主義をより完全にするものだから国民の反対があっても強行する。これでは本末転倒ではないでしょうか。本来の国民主権はどうなっているのでしょう。
国民が裁判員制度を知ったときには、既に実施が決定していて動かせない、これでは国民の意向は無視されたも同然で、民主主義の看板が泣きます。たとえ手続上の問題がなくてもこの経過は納得の得られるものではないでしょう。賛成した国会議員は国民の代表としての職務を全うしたとは言えず、重要さに見合う報道を怠ったマスメディアには大きい責任があると思います。
両者とも制度をよく理解していたのか、疑問です。それは見識の問題なのか、あるいは意欲の問題なのか知りませんが、ともかくどちらも国民にとってはあまり信頼できるものではなさそうです。
裁判員制度による判決は裁判員6名と裁判官3名による多数決で決められます。つまり裁判員制度は、正しい判決を出せるという国民の判断力への信頼と、多数の判断が正しいという理念をもとに作られました。しかし上記の調査結果が示すように、国民の過半が裁判員制度に否定的であり、裁判員制度の実施は国民多数の判断力を軽視した結果ということができます。
つまり制度の導入・実施に関しては、国民多数の判断は正しくないと認めているようです。これはまさにダブルスタンダード(二重基準)です。法曹界は論理が重視される世界だと聞いていたのですが、都合により自在に変えられる柔軟性もお持ちなのかと感心しました。。
裁判員制度に手続上の問題がなくても、現実に国民という「主権者」の過半が否定的であるという事実がある以上、実施を延期し、過半の同意を得られるように修正などをするのが筋でしょう。形式よりも実質的な主権が優先されるべきです。
(参考拙文 算数のできない人が作った裁判員制度)
裁判員として参加したいか、それともしたくないか、という質問に対するアンケート調査が何度か実施されましたが、どれも参加したくないが7~8割を占めています。08年12月6日に放送されたNHKの特集では「市民参加で日本の裁判は良くなるか」と視聴者に質問したところ良くなると答えたのは約39.5%で、約60.5%が良くならないと答えました。
09年1月9日、朝日新聞は07年12月に実施した裁判員制度に関する面接調査の結果を紙面で発表しました。ここでも裁判員を「絶対したくない」「できればしたくない」は76%占めています。そして59%が裁判員制度は根づかないと考え、裁判員制度そのものに対しても、反対が52%で賛成の34%を大きく上回っています。また地方弁護士会の反対も相次いでいる状況です。
内閣支持率が数ヶ月で大きく変化するように国民の意見はあてにならないという考えもあります。しかしこの裁判員制度に関する意見は安定的であり、世論・民意とみてよいと思います。
裁判員制度は2001年6月の司法制度改革審議会の、司法にも国民主権の道を開くという理念に基づいた意見書に沿って作られ、04年に国会を通りました。しかしこの制度の重要性にふさわしい量の報道はされず、幾多の殺人事件の方がはるかに大きく報道されました。要するに国民が知らない間に法曹が作り、国会が承認した制度に対して、現在、国民の過半が否定的になっているわけです。
民主的な手続きを経て作られたものは国民の意向に沿わなくても実施する。裁判員制度は司法にも国民主権の道を開くもので、民主主義をより完全にするものだから国民の反対があっても強行する。これでは本末転倒ではないでしょうか。本来の国民主権はどうなっているのでしょう。
国民が裁判員制度を知ったときには、既に実施が決定していて動かせない、これでは国民の意向は無視されたも同然で、民主主義の看板が泣きます。たとえ手続上の問題がなくてもこの経過は納得の得られるものではないでしょう。賛成した国会議員は国民の代表としての職務を全うしたとは言えず、重要さに見合う報道を怠ったマスメディアには大きい責任があると思います。
両者とも制度をよく理解していたのか、疑問です。それは見識の問題なのか、あるいは意欲の問題なのか知りませんが、ともかくどちらも国民にとってはあまり信頼できるものではなさそうです。
裁判員制度による判決は裁判員6名と裁判官3名による多数決で決められます。つまり裁判員制度は、正しい判決を出せるという国民の判断力への信頼と、多数の判断が正しいという理念をもとに作られました。しかし上記の調査結果が示すように、国民の過半が裁判員制度に否定的であり、裁判員制度の実施は国民多数の判断力を軽視した結果ということができます。
つまり制度の導入・実施に関しては、国民多数の判断は正しくないと認めているようです。これはまさにダブルスタンダード(二重基準)です。法曹界は論理が重視される世界だと聞いていたのですが、都合により自在に変えられる柔軟性もお持ちなのかと感心しました。。
裁判員制度に手続上の問題がなくても、現実に国民という「主権者」の過半が否定的であるという事実がある以上、実施を延期し、過半の同意を得られるように修正などをするのが筋でしょう。形式よりも実質的な主権が優先されるべきです。
(参考拙文 算数のできない人が作った裁判員制度)