1月9日の衆議院予算委員会で、麻生首相は「合成の誤謬」という言葉を使っていました。漢字読み間違いの首相にしては大変難しい言葉だ、と揶揄する人もありますが(その通りです)、「合成の誤謬」は経済学でよく使われる言葉で、なかなか興味深い現象を表します。
不況になり所得が減ると、消費を抑えて生活を守ろうとするのが普通です。ところが皆が消費を抑えるとますます不況が深刻化して、さらに所得が減り、当初の行動が逆の結果をもたらすことがあります。
これは合成の誤謬の説明によく使われる例ですが、一般的には、個々の行動は合理的であっても、全体としては個々の意図と逆の結果をもたらすことを意味します。この例では、合成の誤謬は経済の不安定要因にもなります。
ここから先は私の考えですが(従って信用リスク?があります)、この合成の誤謬はもう少し応用できるのではないかと思います。例えば家電販売店が発行するポイントカード・会員カードと呼ばれるものがあります。発行する店が少数の場合は客を囲い込むのに役立つでしょうが、現在のようにほとんどすべての店がカードを発行すれば意味はなくなります。
強いて言えば客の固定化によって、先にカードを発行した店が多少有利になりますが、時間と共に効果は薄れるでしょう。顧客情報が得られることにより効果的な販売策が採れるかも知れませんが、これもすべての店がやれば効果はないでしょう。需要の総量を増やす効果は多分ないと思われるからです。自分の店だけカードをやめることは不利になるのでやめられず、麻薬のようなものです。カード会社だけは喜びますが、その費用は商品の販売価格に含まれるので、結局消費者の負担ということになります。消費者は何枚ものカードを持ったりして、わずらわしいのですが、カードなしでは不利な仕組みになっています。
洗剤などの家庭用品はテレビ広告の大きい部分占めています。このような商品は広告を出しても全体の需要がそう増えるわけではありません。しかし広告をやめるとその会社の販売量は下がるので仕方なくやっているという話を聞いたことがあります。これもやめたくてもやめられない麻薬のようなもので、商品に含まれる広告費は消費者が負担します(そのため民放テレビをタダで見ることができるので、よくテレビを見る人にはいいですが)。
以上の二つの例は全面的とまでは言えないにしても合成の誤謬の例として挙げてもよいと思います。これらは資源の無駄につながり、国民経済という全体でみると必ずしもプラスになっていないというわけです。販売競争が激しい分野では会社や家庭を個別訪問するなど、業界全体が非効率な営業をしているケースがありますが、これも合成の誤謬に入れてもよいでしょう。
話が少し大袈裟になりますがアダム・スミスの、個々人が自己の利益を追求すれば社会全体としても利益になるという考えがあります。自由な市場の機能を説明するときによく使われますが、合成の誤謬はその例外と考えられるでしょう。自由な市場は合成の誤謬を防ぐ機能をもたず、自由な市場がいつも効率的とは限らないというわけであります。
不況になり所得が減ると、消費を抑えて生活を守ろうとするのが普通です。ところが皆が消費を抑えるとますます不況が深刻化して、さらに所得が減り、当初の行動が逆の結果をもたらすことがあります。
これは合成の誤謬の説明によく使われる例ですが、一般的には、個々の行動は合理的であっても、全体としては個々の意図と逆の結果をもたらすことを意味します。この例では、合成の誤謬は経済の不安定要因にもなります。
ここから先は私の考えですが(従って信用リスク?があります)、この合成の誤謬はもう少し応用できるのではないかと思います。例えば家電販売店が発行するポイントカード・会員カードと呼ばれるものがあります。発行する店が少数の場合は客を囲い込むのに役立つでしょうが、現在のようにほとんどすべての店がカードを発行すれば意味はなくなります。
強いて言えば客の固定化によって、先にカードを発行した店が多少有利になりますが、時間と共に効果は薄れるでしょう。顧客情報が得られることにより効果的な販売策が採れるかも知れませんが、これもすべての店がやれば効果はないでしょう。需要の総量を増やす効果は多分ないと思われるからです。自分の店だけカードをやめることは不利になるのでやめられず、麻薬のようなものです。カード会社だけは喜びますが、その費用は商品の販売価格に含まれるので、結局消費者の負担ということになります。消費者は何枚ものカードを持ったりして、わずらわしいのですが、カードなしでは不利な仕組みになっています。
洗剤などの家庭用品はテレビ広告の大きい部分占めています。このような商品は広告を出しても全体の需要がそう増えるわけではありません。しかし広告をやめるとその会社の販売量は下がるので仕方なくやっているという話を聞いたことがあります。これもやめたくてもやめられない麻薬のようなもので、商品に含まれる広告費は消費者が負担します(そのため民放テレビをタダで見ることができるので、よくテレビを見る人にはいいですが)。
以上の二つの例は全面的とまでは言えないにしても合成の誤謬の例として挙げてもよいと思います。これらは資源の無駄につながり、国民経済という全体でみると必ずしもプラスになっていないというわけです。販売競争が激しい分野では会社や家庭を個別訪問するなど、業界全体が非効率な営業をしているケースがありますが、これも合成の誤謬に入れてもよいでしょう。
話が少し大袈裟になりますがアダム・スミスの、個々人が自己の利益を追求すれば社会全体としても利益になるという考えがあります。自由な市場の機能を説明するときによく使われますが、合成の誤謬はその例外と考えられるでしょう。自由な市場は合成の誤謬を防ぐ機能をもたず、自由な市場がいつも効率的とは限らないというわけであります。