動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールの「共感の時代へ」は人間の利己心以外の性質に焦点を当てたもので、大変おもしろく示唆に富んだ本です。ダーウィンやローレンツ、ドーキンスらは生物学の立場から社会に大きな影響を与えましたが、本書も少なからぬ影響を与えるものと思います。
ドゥ・ヴァールは集団で生活する動物に見られる協力関係に注目し、その仕組みを支えるものは共感だとします。痛みなど他者の情動を感じる能力はチンパンジーやラットにもあることを実験で明らかにし、共感能力は人間だけではなく、哺乳類に古くから備わっていた能力だとします。そして共感能力や互恵性は集団生活にとって欠かすことのできない大切な要素であることが説明されます。
近年、自然選択(自然淘汰)、適者生存、利己的遺伝子などの言葉で表されるように、人間の利己的な面が強調されてきました。トマス・ホッブスの「万人は万人に対して狼」あるいは「万人の万人に対する闘争」のような、人間の自然状態は闘争であるとする考え方と同様です。
自由な市場における競争に価値を置く新自由主義や市場原理主義は、リーマンショック後の金融危機がもたらした世界的な迷惑や格差拡大を受けて、このところ色褪せてきたように見えますが、この考え方も適者生存、優勝劣敗が基本になっています。もっとも物事(自然)がある状態にあるからといって、そうあるべきだとは言えない、とドゥ・ヴァールは述べています。人間の社会が自然に従う必要がないことは当然です。
自然選択や適者生存という考え方は、世界を席巻した新自由主義の正当化に使われ、競争は善とされました(武力による競争ではなくてよかったですが)。ところで「適者生存」はダーウィンの言葉ではなく、英国の政治哲学者ハーバート・スペンサーによるもので、ダーウィン自身は自分の理論から弱肉強食のような考えが引き出されることを苦々しく思っていたとされています。
ドゥ・ヴァールは「利他主義者を引っ掻けば、偽善者が血を流すのが見られる」という言葉がこの30年間、頻繁に繰り返されたと述べていますが、われわれは他者の行為を理解しようとするとき、利己心に重点を置きすぎていたのではないかという気がします。裏側を見るのが大好きな陰謀論者はこの典型例ではないでしょうか。
公平についても興味深い実験が紹介されています。
「二匹のサルに同じ課題をやらせる研究で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪い方のサルは課題をすることをきっぱり拒む。人間の場合も同じで、配分が不公平だと感じると、報酬をはねつけることがわかっている。どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、サルも人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことがわかる」
公平を好む気持ちが社会的に作られたものでなく、先天的なものだという事実は意外ですが、その意味は公平な配分によって嫉妬を招かないようにして集団の平和を保つことにあると説明されます。
生存上、利己心が必要なものであるように、共感能力がありすぎても困るわけで、とりわけ敵と戦うときには障害になります。そのため共感をオフにするスイッチがついている説明されます。ナチの収容所で残忍な行為をする人間が家庭では良き父や夫になり得るというわけです。
まあこのあたりは個人差の大きい部分であり、共感能力の大きさもまちまちで、無効スイッチをオフにする必要のない人間もいることでしょう。共感能力は男より女の方が高く、また競争関係にある男同士ではとくにこの無効スイッチが入りやすい傾向があるそうです。これらは実感できますね。
以上、断片的な紹介になりましたが、最後に次の一節を引用します。
「社会的絆を結ぶのが非常に重要なことは否定のしようがない。私たちは人間の営みを、自由の探求とか、有徳の人生に向けた奮闘といった高尚な言葉で表現し勝ちだが、生命科学はもっと平凡な見方をする。人生とは、安全と社会的親交と満腹感に尽きる」・・・もし退屈ということがなければ私も完全に同意できるのですが。
豊富な実験例やエピソードに加えてユーモアや皮肉もあり、楽しく読める本であります。ちなみにドゥ・ヴァールは2007年のタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」の1人に選ばれているそうです。
ドゥ・ヴァールは集団で生活する動物に見られる協力関係に注目し、その仕組みを支えるものは共感だとします。痛みなど他者の情動を感じる能力はチンパンジーやラットにもあることを実験で明らかにし、共感能力は人間だけではなく、哺乳類に古くから備わっていた能力だとします。そして共感能力や互恵性は集団生活にとって欠かすことのできない大切な要素であることが説明されます。
近年、自然選択(自然淘汰)、適者生存、利己的遺伝子などの言葉で表されるように、人間の利己的な面が強調されてきました。トマス・ホッブスの「万人は万人に対して狼」あるいは「万人の万人に対する闘争」のような、人間の自然状態は闘争であるとする考え方と同様です。
自由な市場における競争に価値を置く新自由主義や市場原理主義は、リーマンショック後の金融危機がもたらした世界的な迷惑や格差拡大を受けて、このところ色褪せてきたように見えますが、この考え方も適者生存、優勝劣敗が基本になっています。もっとも物事(自然)がある状態にあるからといって、そうあるべきだとは言えない、とドゥ・ヴァールは述べています。人間の社会が自然に従う必要がないことは当然です。
自然選択や適者生存という考え方は、世界を席巻した新自由主義の正当化に使われ、競争は善とされました(武力による競争ではなくてよかったですが)。ところで「適者生存」はダーウィンの言葉ではなく、英国の政治哲学者ハーバート・スペンサーによるもので、ダーウィン自身は自分の理論から弱肉強食のような考えが引き出されることを苦々しく思っていたとされています。
ドゥ・ヴァールは「利他主義者を引っ掻けば、偽善者が血を流すのが見られる」という言葉がこの30年間、頻繁に繰り返されたと述べていますが、われわれは他者の行為を理解しようとするとき、利己心に重点を置きすぎていたのではないかという気がします。裏側を見るのが大好きな陰謀論者はこの典型例ではないでしょうか。
公平についても興味深い実験が紹介されています。
「二匹のサルに同じ課題をやらせる研究で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪い方のサルは課題をすることをきっぱり拒む。人間の場合も同じで、配分が不公平だと感じると、報酬をはねつけることがわかっている。どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、サルも人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことがわかる」
公平を好む気持ちが社会的に作られたものでなく、先天的なものだという事実は意外ですが、その意味は公平な配分によって嫉妬を招かないようにして集団の平和を保つことにあると説明されます。
生存上、利己心が必要なものであるように、共感能力がありすぎても困るわけで、とりわけ敵と戦うときには障害になります。そのため共感をオフにするスイッチがついている説明されます。ナチの収容所で残忍な行為をする人間が家庭では良き父や夫になり得るというわけです。
まあこのあたりは個人差の大きい部分であり、共感能力の大きさもまちまちで、無効スイッチをオフにする必要のない人間もいることでしょう。共感能力は男より女の方が高く、また競争関係にある男同士ではとくにこの無効スイッチが入りやすい傾向があるそうです。これらは実感できますね。
以上、断片的な紹介になりましたが、最後に次の一節を引用します。
「社会的絆を結ぶのが非常に重要なことは否定のしようがない。私たちは人間の営みを、自由の探求とか、有徳の人生に向けた奮闘といった高尚な言葉で表現し勝ちだが、生命科学はもっと平凡な見方をする。人生とは、安全と社会的親交と満腹感に尽きる」・・・もし退屈ということがなければ私も完全に同意できるのですが。
豊富な実験例やエピソードに加えてユーモアや皮肉もあり、楽しく読める本であります。ちなみにドゥ・ヴァールは2007年のタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」の1人に選ばれているそうです。