神を信じる善良な男が不運な事故に遭って重傷を負ったとします。「悪いこともしてないのになぜこんな目に遭わなければならないのだ」という男の問いに対して、信仰を勧めた者の答えはおおよそ次の三つに分類されます。まあこれでたいてい片が付くのでしょう
。
①もし信仰がなかったら、あなたは重傷で済まずきっと死んでいた。
②事故はあなたの信仰が足りないからだ。
③これは神があなたに与えた試練なのだ。
この答えは一見屁理屈のようですが、実はなかなか巧妙に作られています。神の存在を前提とする限り、この三つを完全に否定することはできません。むろんその答えが正しいとする根拠もありませんが、信仰する人間には根拠を示す必要など多分ありません。
しかし今回の東北大震災のように多数の人が被災を受けた場合は上記のマニュアルのようにはいきません。ヴォルテールは数万人の死者を出した1755年リスボン地震の惨状を見て、神を信じる人も信じない人もみな等しく殺したのだから、神が慈悲深いわけがないと主張したといわれています。
大惨事を目のあたりにすれば、多くの人は(慈悲深い)神も仏もないものかと思います。これはヴォルテール同様、ごく自然なことでしょう。被災者の、なぜこんな目に遭わなければならないのだ、という問いに対して、信仰を勧めた者はきっと答えに窮することでしょう。
石巻市の市立大川小学校では全児童108人のうちの7割が死亡か不明とされています。犬や猫、牛など多数の動物も犠牲になりました。幼い子供や動物に罪があるとは考えられませんから、罪の有無による選別という説明もまあ無理です。まさにナチスを思わせるような無差別攻撃です。もしかすると神は差別廃止論者なのかも知れません。
神は存在すると仮定した場合、ここから引き出せる一般的な結論はヴォルテールの言うように神は全能だけれど慈悲心が無い、あるいは慈悲心はあるけれど自然を制御する能力が無い、のいずれかでしょう。ヴォルテールの時代から250年以上が経った現在、既に詭弁やレトリックを駆使した模範解答が用意されているのかもしれませんが、私のような凡人にもわかるような説明を聞きたいものです。余計なお節介は承知の上ですが、他人事ながら気になるもので。
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①もし信仰がなかったら、あなたは重傷で済まずきっと死んでいた。
②事故はあなたの信仰が足りないからだ。
③これは神があなたに与えた試練なのだ。
この答えは一見屁理屈のようですが、実はなかなか巧妙に作られています。神の存在を前提とする限り、この三つを完全に否定することはできません。むろんその答えが正しいとする根拠もありませんが、信仰する人間には根拠を示す必要など多分ありません。
しかし今回の東北大震災のように多数の人が被災を受けた場合は上記のマニュアルのようにはいきません。ヴォルテールは数万人の死者を出した1755年リスボン地震の惨状を見て、神を信じる人も信じない人もみな等しく殺したのだから、神が慈悲深いわけがないと主張したといわれています。
大惨事を目のあたりにすれば、多くの人は(慈悲深い)神も仏もないものかと思います。これはヴォルテール同様、ごく自然なことでしょう。被災者の、なぜこんな目に遭わなければならないのだ、という問いに対して、信仰を勧めた者はきっと答えに窮することでしょう。
石巻市の市立大川小学校では全児童108人のうちの7割が死亡か不明とされています。犬や猫、牛など多数の動物も犠牲になりました。幼い子供や動物に罪があるとは考えられませんから、罪の有無による選別という説明もまあ無理です。まさにナチスを思わせるような無差別攻撃です。もしかすると神は差別廃止論者なのかも知れません。
神は存在すると仮定した場合、ここから引き出せる一般的な結論はヴォルテールの言うように神は全能だけれど慈悲心が無い、あるいは慈悲心はあるけれど自然を制御する能力が無い、のいずれかでしょう。ヴォルテールの時代から250年以上が経った現在、既に詭弁やレトリックを駆使した模範解答が用意されているのかもしれませんが、私のような凡人にもわかるような説明を聞きたいものです。余計なお節介は承知の上ですが、他人事ながら気になるもので。