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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宜野湾市 「大謝名黄金森グスク」

2014-09-21 00:06:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク内にある黄金宮の祠








グスク内にある「上之山御嶽」






黄金庭の由来説明板







グスクを取り囲む石塁施設





大謝名黄金森グスクは、中山王として察度王統を打ち立てた若き日に、
察度が黄金を掘り出した楼閣を造営したという「黄金宮」の地である。

グスクは、1960年ごろまでは、単郭の石塁施設や石門があったといわれているが、
現在は住宅地として開発され、「クガニナー」の祠と「上之山御嶽」と、
わずかな石垣が残っているだけである。


黄金宮の由来
若かりし頃の察度は、仕事もせずに方々へ遊び歩く日々を送っていた。
そのころ勝連按司には才色兼備の娘がいて、貴族や名家の息子たちから憧れの的となっていた。
そんなある日、察度は不遜にも勝連按司の元へ娘を嫁にほしいと申し入れるが、
誰もまともに察度の話を聞く者などいなかった。
ところが、その様子を窓の隙間から窺っていた娘は、察度の頭の上に天子の蓋を見る。

そこで、娘は察度の元へ嫁ぐことを決意するが、
「賎しい身分の者に大事な娘を嫁がせるわけにはいかない」と按司は猛反対するが、
娘の察度への決意は固く、察度の草庵へ嫁いだ。

そんな貧しい察度の家のカマドの灰の中から黄金を見つけ、
これが察度の畑からも産出することを知る。
二人はさっそく黄金を掘り出し、この地に楼閣を造り、「黄金宮」と称したという。
黄金を手に入れた察度は、鉄を買い入れ、
それを農民に与えて鍬などの農具を作らせ、庶民の生活を救った。
そのことなどで人々の信頼を集めた察度は、推されて浦添按司になったという。


大謝名黄金森グスクへのアクセス
大謝名黄金森グスクへは、国道58号線を北谷から浦添方面に向って行くと、
大謝名三叉路があり、そこを左折し、パイプラインを過ぎて上大謝名のバス停の先を右へ入ると、
突き当りに近くに「わかたけ保育園」があり、そこの突き当りを右に曲がるとグスクがある。
駐車は、グスクの隣の空地に駐車することが出来る。


沖縄県宜野湾市 「 羽衣伝説の森の川と西森御嶽 」

2014-09-21 00:05:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



察度の母、天女が沐浴した森の川
































浦添間切謝名村に、奥間大親という青年がいた。
その青年が仕事の帰りに森川に立ち寄ったところ、村では見かけない美人が沐浴をしていた。
そこで、女性の着ていた衣を草むらに隠し、何食わぬ顔で姿をあらわすと、
女性は驚いて慌てて衣を探すが、木の枝に掛けてある筈の衣がなく泣き崩れてしまった。
そこで、奥間は女性を自分の家に連れて帰り、夫婦となり一緒に暮らし一男一女をもうけた。
そんなある日、娘が唄う歌に「ハッ」となった。

それは、「母親の飛衣は六足蔵に、母親の舞衣は八足蔵に」と。
それを聞いた母親は、天女の飛衣をまとって泣き叫ぶ子どもを残して天に舞い上がって行った。
母親の残した男の子は、後に浦添按司となり、
中山王として察度王統を開いた察度だといわれている。






















羽衣伝説の森の川と西森御嶽




森の川の後方、林の奥にある西森御嶽。
西森御嶽は『琉球国由来記』に記されている「謝名西森」という御嶽(神名は不伝)で、
察度王の父・奥間大親の住居跡だと伝えられている。