「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島中央駅裏 「 みょうばん温泉 」

2017-10-11 20:11:45 | お題

お気に入りの銭湯だが、
鹿児島中央駅裏の武にある 「 みょうばん温泉 」 が好きである。

鹿児島市近辺の石橋をめぐって、
新幹線の出発まで時間があったので、
騎手ではないが 「 武 」 に惚れ込んで入った銭湯。
昭和を思い出させるタイル張りの昔ながらの銭湯は、
ぬめりのある湯はつかったとたん、
肌にまとわりつくような感触は忘れられない。
地元の人が推薦する良泉で、驚くほど肌がしっとり、
ポカポカする。

風呂上がりに 「 西郷どん 」 でキビナゴをあてに
芋焼酎を飲んでほろ酔い加減で新幹線に乗った。

また入りたい 「 みょうばん温泉 」 である。


住所  / 鹿児島市武 1-9-11


鹿児島県奄美大島  「 土浜ヤーヤ遺跡 ( イヤンヤ洞穴 ) 」

2017-10-11 11:28:44 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡


鬱蒼とした樹々の奥に風葬墓の遺跡がある
















遺体を寝かせていたと思われる祭壇型に石が並べられている






とにかく、この地に足を踏み入れただけでも
霊気が侵入を拒むオーラが漂っていた。
遺体や遺骨が置かれていたであろう祭壇石から
洞穴の中は入ってしまったことを後悔しそうなくらい、
ブワァーっと襲ってくる霊気だった。


鹿児島県奄美大島笠利町土浜のイヤンヤ洞窟には、
「 1975年頃までは洞窟内が風葬墓として利用されており、
その名残の人骨などがかなり散乱していた 」 (「イヤンヤ洞窟遺跡」)。

ここのことは、茂野幽考も、死者はここを通って
「 あの世 」 へ行くと信じられていると書いていた(「奄美大島葬制史料」)。

そして、其洞穴に入ると、
あの世で織る機の音や鶏の聲などが聴こえてくるといってゐる。
凡ての心象を精神科学で解釈しようとする自分の心に、うっかりすると、
島の人の熱烈な信仰に釣り込まれて、岩屋の奥に極楽がありそうな、
不可解な気持に囚はれることがある。
島の人の考へでは、後生極楽の世は土濱の洞穴から一里先位にあると考へてゐるのである。

さらに茂野はこう言っている。
「 精神科学で解釈しようとする自分の心に、うっかりすると、
島の人の熱烈な信仰に釣り込まれて 」 というところだ。

三宅宗悦が1933年に人骨調査を行う。
1963年には、永井昌文、三島格が続く。
ここが 「 ヤーヤ遺跡 」 と言われることがあるのには、理由があった。
ヤーヤ洞窟遺跡を 「 イヤンヤ洞窟遺跡 」 としたのは
イヤンヤを ” 岩屋 ” と方言で呼んでおり、
三島格にも確認をした。
方言でイヤンヤと発音出来ずにヤーヤと記述したとのことである。

 「 岩屋 」 を 「 イヤンヤ 」 という。
それは直接、「岩」を指す言葉ではない。
この「イヤ」は、中四国や関西に分布するイヤ山、
イヤ谷と同じ意味だと考えられる。




第2位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 ベンチ 」

2017-10-11 06:00:17 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日天気が良かったので
久し振りにクローラーに乗って作業をした。
久し振りだったので最初は緊張したが、
慣れてくると操作がスムーズになった。
ある意味、慣れも必要だが、
それ以上に初心を思い出させてくれる緊張感は
もっと大事だと思った。
そんな今日の順位は2位で、
ラッキーポイントは、
「 ベンチ 」 である。

仲間との絆が深まりそう!
携帯電話はこまめに確認しよう


   今日のコトバ

 長者の万灯より貧者の一灯

 ( ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう )

長者の万灯より貧者の一灯とは、金持ちが見栄をはったり、
儀礼的に多くの寄進をするよりも、
貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということ。

金持ちが捧げる多くの灯明より、
貧しい者が真心を込めて供える一つの灯明の方が、
仏は喜ぶという意味から。

大事なのは量や金額ではなく、誠意の有無だという教え。
『 阿闍世王受決経 』 にある以下の故事に基づく。
阿闍世王が釈迦を招待したとき、
宮殿から祇園精舎へ帰る道を、たくさんの灯火でともした。
それを見た貧しい老婆が、
自分も灯火をしたくてなんとかお金を工面し、
やっと一本の灯火をともすことができた。
阿闍世王がともした灯火が消えた後も、
老婆がともした一本の灯火は朝になっても消えなかったという。
「 長者の万灯より貧女の一灯 」 「 長者の千灯より貧者の一灯 」 、
単に 「 貧者の一灯 」 とも。