「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県耶馬渓町 「 長岩城跡 ・ 石積櫓 」

2015-02-22 04:40:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )

















































長岩城のメインとも言える 「 石積櫓 」 は、全国的にも例を見ないものであり、
この城内で最も評価の高いものとなっている。
櫓に施された3カ所の穴は「銃眼」との説もあるが、真相は不明である。


長岩城は、川原口にある山岳城で、
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城であった。
初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、
南北朝、戦国時代に増改築された。
天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となった。

城は、急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、
その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
この一帯は、険阻な断崖絶壁地帯で、このような天然の要害を巧みに取り入れ、
断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、
砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城である。


本城(本丸)は、主峰扇山の頂上にあり、
この山は、7合目所を高さ4~10m位の斬石が東、北、西の3面を取り巻き、
南面は深い谷窪となり、後方は、尾根続きで岩山の連山に連なっている。
西方の支峯に西出城(西之台)、東方の中腹に東出城(東之台)、
これと谷を隔てて相対する岩山にも出城を設けてある。
谷川に沿って一之城戸、二之城戸、三之城戸の3段構えで防備を固めていた。
陣屋跡や馬場の跡も残っている。

長岩城の特色は、地方豪族の中世山城としては規模も大きく、
石塁や砲座などの優れた石積みの構造物が多いことである。
石積みの類は、20余か所で延べ700余メートルに及びる。
特に石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、構造的にも大変めずらしいもので、
全国に類例を見ない貴重な遺構である。

また、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。
なお、城址は、昭和59年に地元保存会などにより一部修復工事が行われた。


【 大分県指定史跡 ( 平成23年3月29日指定 ) 】


「 2月21日の朝の風景 」

2015-02-22 04:39:41 | 朝の風景とその他の風景







昨日の朝は、こんなに天気が良くて
「 雨の予報は当たらない 」 って思っていたが、
予報は見事的中して3時過ぎから降りだした雨は
止むこと無く降り続いた。
こんな日に限って午後から生コン打ちである。
2時から5時までかかって打ち終わったと思ったら、
今度は以前打った場所の補修で、結局雨に濡れて6時まで残業である。

家に帰ったのが6時半を過ぎていたが、
風邪気味のうえ、雨に濡れての残業である。
ホントやれやれであった。

今日が休みで良かった。



熊本県八代市泉町 「 沢無田橋 」

2015-02-21 04:28:41 | 熊本の石橋


















































所在地 /  熊本県八代市泉町沢無田
架橋  /  明治10年 ( 1877年 ) ごろ
石工  /  不明
長さ  /   20.4m   幅   /    3.5m  
高さ  /    6.5m  径間  /   18.3m

沢無田橋は国道443号線沿いの氷川に架かる橋で、
通路部の路盤がアスファルトになり、
高欄の部分がコンクリートで補強整備されており、
見た目には再生石橋のように見えるが、
橋下から覗けば当時の輪石の石組みや壁石の石積みを見ることが出来る。
架橋は明治10年になっているが、
きれいに切り揃えられた輪石を見るとそんなに古くは見えない。
そんな橋は現在も現役として活躍している。


沢無田橋へのアクセス
沢無田橋へは、八代市の宮原町から東陽村方面に国道443号線を進み、
旧・泉村の本屋敷から氷川ダム方面に約1キロほど行った右側に架かっている。
駐車は、道路の広くなった場所 ( 小さなお宮の下 ) に駐車した。



大分県大分市 「 大分光吉~大分 」

2015-02-21 04:27:41 | 探訪 ・ ドライブ







昨日天気が良かったので
関埼灯台と黒ヶ浜を見たいと思って
佐賀関まですっ飛んで行った。

かねてから見てみたいと思っていた近代土木遺産の灯台であるが、
ここから見る景色も息を飲むほどの絶景であった。

その帰りに目の前にうっすらと雪化粧をした鶴見岳や由布岳が見えると
感情が高ぶった。




沖縄県宮古島 「 東平安名崎の港 」

2015-02-20 04:39:41 | 沖縄







まるで海の忘れ物?のような
岩石が点在する東平安名崎の港
その港とそれを取り巻く海の色

エメラルドグリーンから
コメットブルー
コメットブルーから
コバルトブルー
コバルトブルーから
ウルトラマリンブルーへと
色を変える




「 コーヒーとチョコと・・・ 」

2015-02-20 04:37:41 | 日記 ・ イベント













バレンタインを過ぎた次の日に
東京の某大学の女史から届いた贈り物。
中にはコーヒーとチョコとメッセージが込められていた。
逢ったことも見たこともない彼女とは
20年以上の付き合いになる。




沖縄県波照間島 「 日本最南端の海 」

2015-02-19 05:00:41 | 離島めぐり













有人の島で日本最南端となる波照間島

その海を見下ろす場所に

最南端の碑が建つ



ホークスの応援選手 「 東浜 巨 」

2015-02-19 04:59:41 | 野球





















ボクはソフトバンクホークスのファンなので、
チームが優勝することが何よりである。

ホークスのどの選手も好きだし応援しているが、
その中でも特に応援している選手は、
沖縄出身で亜細亜大学出身の東浜 巨投手と、
滋賀県出身で同じ亜細亜大学出身の松田宣浩選手である。

特に東浜選手については高校時代から注目していた選手だけに
頑張ってもらいたい。
もちろん今年入団した島袋投手にも期待をしている。

東浜も島袋も 「 ちばりよ~ 」



福岡県築上町 「 綱敷天満宮 ・ 菅原道真と牛 」

2015-02-18 04:41:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



綱敷天満宮にある 「 牛 」



















大宰府天満宮もだが、築上町にある 「 綱敷天満宮 」 の境内には
いくつかの牛の像が点在する。


道真の誕生日、死去日が丑 ( うし ) の日だった。
また、墓所は遺言で牛車の止まった所に定められた。
菅原道真の神使は「牛」。
天満宮、天神さまには撫で牛や彫像の牛も多い。


菅原道真と牛
下記のようなさまざまな言い伝えがあり、これらの伝承から、「牛」が神使とされた。

道真公の誕生日・承和12年6月25日(845年)や、
死去日・延喜3年2月25日(903年)が丑の日だった。

道真公が大宰府に落ちてゆく途中で命を狙われた時、白牛に助けられた。

「 車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、
牛の止まった所に葬ってくれ 」 との道真公の遺言に従って
墓所 ( 大宰府天満宮 ) は定められた。



大分県中津市 「 校正の確認でスマイルへ・・・ 」

2015-02-18 04:40:41 | 日記 ・ イベント


























大分県北部と豊築を中心に発行されている情報誌スマイルの3月号に
3月に中津の小幡記念図書館で予定している個展の紹介をして頂くために
昨日、仕事が終わってからスマイルでの原稿の校正の確認のため中津へと向かった。

昨日は午前中に生コンを打ったので多少汚れていたが、
現場を出たのが5時を過ぎていたので、
「 先方に待たせたら申し訳ない 」 と思い、
失礼だと思ったが作業服のままスマイルへ向かった。

もう少し早い時期 ( 1ヶ月くらい前 ) にスマイルへ行けば、
もっと大きなスペースで紹介してもらえたのに、
締め切り間際のギリギリの持ち込みだったのでスペースが小さくなったが、
それでも紹介して頂けるだけでも良かったと思っている。

ちなみに3月号に発行は今月の25日になるらしいが、
興味のある方は是非ご覧になって頂きたいと思っています。



2月17日 「 山国橋から見た夕陽 」

2015-02-18 04:39:41 | 朝の風景とその他の風景







昨日、仕事が終わってから中津へ向かう途中、
ちょうど山国橋を渡っている時、
バックミラー越しに吉富の広津山あたりに沈む夕陽が見えた。
その光が辺りをオレンジ色に染めていた。




沖縄県読谷村 「 渡具知泊 ( とぐちとまり ) グスク 」

2015-02-17 05:34:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡


















































渡具知泊グスクは通常、同一名の泊グスクと呼称され、
泊は宮城島にもあるが、こちらのグスクも宮城島の泊同様に、
別名を「トマイグスク」あるいは「カクレグスク」ともいわれている。
このグスクは、英祖王のひ孫と伝えられる三代目今帰仁グスク城主が、
家臣・本部大主の謀反に遭って滅ぼされたときに、
潮平大主に導かれて千代松(丘春)が家臣とともに落ち延びたのが、
この地だといわれている。

渡具知泊グスクは、海岸に面した独立した石灰岩上に築かれたグスクであり、
岩山の下部にトンネルのように刳り貫かれた岩穴があるが、
その他には石垣などの遺構は残されていない。
現在、渡具知泊グスクは、 「 泊城公園 」 という名で観光地として有名であり、
風光明媚な場所である。

また、この場所は第二次世界大戦のとき、アメリカ軍が最初に沖縄へ上陸した場所でもある。



泊グスクへのアクセス
泊グスクへは、国道58号線を嘉手納ロータリーから読谷方面に進み、
比謝橋を渡って大湾の信号機から左折する。
そのまま「木炭そば・清流舎」の前を過ぎて海に向って進み、
「渡具知ビーチ」の方へ曲がれば泊城公園に到着する。
駐車は、公園内の駐車場に駐車でき、トイレもある。


宮崎市 「 宮崎パーキングエリア 」

2015-02-17 05:33:41 | 探訪 ・ ドライブ



ガスでやや霞んだ霧島







宮崎パーキングエリア下り線






宮崎パーキングエリア上り線





同じ九州だけど、宮崎まで来ると暖かい気がする。
青い空だけでも南国のそれだ。
そんな2月の風景を撮ってみると、
少しだけ暖かく感じた。




熊本県山江村  「 栗まんじゅう ・ びっ栗だんご 」

2015-02-17 05:32:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子



















人吉、特に山江村界隈は栗で有名である。
そんな栗を使ったまんじゅうを食べた。
栗まんじゅうは、中の餡が小豆ではなく栗になっている。
「 びっ栗だんご 」 は、熊本市内で売っている芋が入った 「 いきなり団子 」 の
栗バージョンと思って頂ければいいだろう。

どちらも蒸かしたてなので、熱々で美味しかった。



ホークスキャンプ 「 工藤監督が投げて内川が打つ 」

2015-02-16 06:26:41 | 野球










































今日は雨で仕事が休みになったから早目のアップとなった。

紅白戦が終わった後に行われた内川のフリーバッティング。
そのバッティングピッチャーを務めたのは・・・
なんとジャンパーを脱いだ工藤監督だった。

その光景にスタンドが沸いた。

キャンプとはいえ、なかなか見られない光景だった。
対戦結果だが、内川は柵越えを連発していた。