「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

現場で見かける子犬

2015-02-06 04:36:41 | 柴犬 ムサシとピース














毎日、現場の近くを散歩している柴犬の子犬。
子犬は可愛いが、それ以上に柴犬好きにはたまらない。
我が家の愛犬ムサシにどことなく似ている
この子犬の名前は 「 シロ 」 というらいしが、
毎日逢うのが楽しみな犬である。




2月5日の 「 中津の朝と吹雪いた夕方 」

2015-02-05 20:02:41 | 朝の風景とその他の風景
















現場からの帰り前が見えないくらいの雪が吹雪いた











今朝は「よ~いドン!」から雨が降っていたが、
いつものように現場に向かった。
「 雨が降っていてもカッパを着てします 」 と言うように、
その覚悟で現場に向かう途中で、スゴイ霙が降った。
「ひょっとして休みになるかも?」と思っていたら、
日中は暖かい天気になったが、
夕方、4時過ぎから霙から雪に変わった。
それでもシビアなもので、
ずぶ濡れになりながら5時までキッチリと仕事をした。

風邪を引かないように帰ってすぐに着替えたが、
心が温かかったので、カラダは風邪を引いても
心まで風邪をひくコトはないだろうな。



大分県耶馬渓町 「 長岩城跡 ・ 陣屋跡 」

2015-02-05 05:41:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )

























陣屋とは参謀本部のある場所のことで、
作戦を練ったりするところであった。
湖の周りには馬蹄型に切り立った高い岩に囲まれ、
ちょうど岩湾状の天然の防備ができており、
そういった地形の意味からも陣屋を置いたものだと考えられる。


長岩城は、川原口にある山岳城で、
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城であった。
初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、
南北朝、戦国時代に増改築された。
天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となった。

城は、急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、
その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
この一帯は、険阻な断崖絶壁地帯で、このような天然の要害を巧みに取り入れ、
断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、
砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城である。


本城(本丸)は、主峰扇山の頂上にあり、
この山は、7合目所を高さ4~10m位の斬石が東、北、西の3面を取り巻き、
南面は深い谷窪となり、後方は、尾根続きで岩山の連山に連なっている。
西方の支峯に西出城(西之台)、東方の中腹に東出城(東之台)、
これと谷を隔てて相対する岩山にも出城を設けてある。
谷川に沿って一之城戸、二之城戸、三之城戸の3段構えで防備を固めていた。
陣屋跡や馬場の跡も残っている。

長岩城の特色は、地方豪族の中世山城としては規模も大きく、
石塁や砲座などの優れた石積みの構造物が多いことである。
石積みの類は、20余か所で延べ700余メートルに及びる。
特に石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、構造的にも大変めずらしいもので、
全国に類例を見ない貴重な遺構である。

また、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。
なお、城址は、昭和59年に地元保存会などにより一部修復工事が行われた。


【 大分県指定史跡 ( 平成23年3月29日指定 ) 】


沖縄県伊良部島 「 伊良部島 」

2015-02-05 04:37:41 | 離島めぐり

























伊良部大橋が開通して伊良部島港付近は寂しくなるだろうな。
橋ができたことに酔ってわざわざフェリーなどを利用しないでいいから
観光客は便利になったが、
泊まりの客のほとんどが日帰りになるだろう。
流通が便利になった分、寂れる部分もあるだろう。

これはあくまで私的な考え方だが、
基本的に島は橋ではなく、船や飛行機で行くものと思っている。
たやすく行けないから、その先にある島に何があるのか見てみたくなる。
そんな魅力を秘めたのが島なのである。
だから、島は多くに人を虜にする。

そんな伊良部島の港付近を掲載してみた。



鹿児島県鹿児島市 「 尚古集成館関連遺産 」

2015-02-04 04:21:41 | 近代化産業遺産・土木遺産




鉄砲や大砲製造のために造られた反射炉









階段状になった底部の石積み














壁面基礎部には亀腹石と呼ばれる石を用いている








柔らかなアーチでかたどられた機械工場の玄関







凝灰岩を丁寧に削り積み上げた壁面







硬い感じの壁面にやさしいカーブを用いた窓枠







機械の出し入れに使ったと思われる大きな扉















尚古集成館の入り口






百五十ポンド砲





■ 鹿児島市吉野町
■ 旧・集成館  /  国指定史跡
■ 竣工  機械工場 / 1865年 ( 慶応元年 )
  国指定重要文化財
  反射炉   / 1857年 ( 安政4年 )製造



尚古集成館は、歴代の島津家当主が愛した
風光明媚な磯の別邸 ( 仙厳園 ) に隣接する施設で、
ここには西洋式の産業・科学導入に先鞭をつけた日本近代化の聖地でもある。
鋳鉄・ガラス・紡績・機械などの生産に果敢にチャレンジした
我が国最初の工業コンビナートである。

薩摩藩はいち早く近代化の必要性を自覚し、
西洋の技術を学びながら各種工業への挑戦をはじめる。
そこには連錦と培われた日本の、そして薩摩の伝統的な技が基礎として根付いていた。
藩主となった島津斉彬は洋式軍艦の造船に着手する。
そこで磯の別邸近くに反射炉を設け鉄製鋳造砲の製作にも乗り出した。
他にガラス・紡績・印刷・通信などさまざまな分野の実験、製造に着手し、
集成館という我が国初めての多分野工場群を形成したのである。
薩英戦争で工場や事業の拡大につながったが、西南戦争によりその多くは廃燼に帰した。


尚古集成館関連施設へのアクセス
尚古集成館関連施設へは国道10号線を北に進み、
稲荷町の浄水場を過ぎてから300mほど行った左側に仙厳園がある。
その入り口に集成館があり、反射炉は仙厳園の中にある。
駐車は、入り口に有料駐車場がある。
なお仙厳園への入園は1,000円が必要である。



2月3日節分の日の 「 中津の夜明け 」

2015-02-04 04:20:41 | 朝の風景とその他の風景



山国川の手前から











昨日から3月1日に開通予定の東九州自動車道の宇佐の現場に入っている。
早朝とはいえ、6時半には家を出ないといけない。
それでもギリギリだったので、今朝は6時20分になった。
家に帰り着くのも12時間後の6時過ぎだ。

サラリーマン経験がないので、自由な時間が短く感じる。



大分県宇佐市 「 開通前の東九州自動車道・宇佐インター付近 」

2015-02-04 04:19:41 | 日記 ・ イベント



















早朝からこの現場に向かっている。
3月1日の宇佐ー豊前の区間開通に向けて頑張っている。


沖縄県多良間島 「 前泊ビーチ 」

2015-02-03 04:50:41 | 離島めぐり



























多良間島の海の玄関口である前泊港。
その東側に広がるビーチ。
この日は天気が悪くて色合いがイマイチだったが、
それでも淡いグリーンとブルーが南国を思わせる。



「 絵葉書と3粒のチョコレート 」

2015-02-03 04:49:41 | 日記 ・ イベント






















鳴門のうず潮と馬蹄型のカリヨンの絵ハガキ





昨日、仕事から帰ると 「 小さな袋 」 がテーブルの上に置かれていた。
差出人は、かつてシャダイソフィアなどを牧場でお世話をしていた方である。
「 馬の詩 」 が縁で、もう20年以上のお付き合いになるが、
そんな彼女から送られてきた小さな袋には3粒のチョコレートと
メッセージカードに想いが込められていた。

主にポストカードのお礼であるが、
手書きの文字で馬の名前やその想い。
絵の感想などが書かれているのを見ると嬉しいものである。

そうそう、十和田や徳島からもお礼の絵ハガキが送られて来ていた。
こうした人たちとの付き合いも20年以上になるが、
手書きの文字から感じる近況や懐かしい思い出話はいいものである。



昨日、中津へ・・・

2015-02-03 04:48:41 | 日記 ・ イベント


























きのう4トンダンプに乗って
中津へ機材を取りに行く途中
太平楽あたりから見る
八面山の上空が独特だった

乳房雲のようなカタチから
わずかに漏れた日が印象的だった

上毛から中津
中津から
宇佐につながる空

ひとつの空・・・



2月2日 「 朝の月 」

2015-02-02 19:18:41 | 朝の風景とその他の風景
















今朝の月は西の空の低い位置に浮かんで、
独特な色と雰囲気を醸し出していた。


「 今朝はよく冷えた。 」 とはいっても、
5時前の散歩の時はそんなに寒さを感じなかったが、
出勤する7時過ぎには寒さを感じた。
ダンプのフロントガラスがバリバリに凍っていて、
溶かすのに大変だった。

そういえば、山の現場の下も氷が張っていた・・・




沖縄県伊良部島 「 伊良部大橋 」

2015-02-02 04:49:41 | 沖縄の橋















































































2年前に多良間島に行く時にこの橋の下を通った時は、
「 まだまだ先の話 」 だと思っていたが、
1月31日に開通したと訊いて、
「 もう、開通したのか。 」 と言う感じである。

沖縄県の宮古島と伊良部島の間に、
無料で渡れる橋としては日本一長い伊良部大橋が31日開通し、
地元の人たちが真新しい橋を歩いて渡って開通を祝った。

開通した伊良部大橋は、沖縄県の宮古島と伊良部島を結ぶ長さ3540メートルの橋で、
無料で通行できる橋としては日本一の長さを誇る。

1月31日は橋の宮古島側で開通の式典が行われ、
沖縄県の翁長知事や宮古島市の下地市長らが、構想から40年余り、
建設開始から9年かかって完成した橋の開通を祝った。

そして、橋で結ばれた2つの島に住む3つの家族を先頭に、
伊良部島に向けて渡り初めをしました。
参加した地域の人たちは 「 念願の橋が出来て、とてもうれしい 」 とか、
「 私の時代には出来ないと思っていたので、感無量です 」 と話し、喜んでいた。

その一方で、「 今ある島の静けさを守っていくことも大事だ 」 とか、
「 橋の開通で、伊良部島では日帰り客も多くなると思うので、
どうしたら宿泊してもらえるか考えないといけない 」 といった声もある。


伊良部島にはおよそ5000人が住んでいて、
宮古島市の中心部がある宮古島と橋で結ばれたことで、
観光客の増加や医療と教育の環境の改善を期待する声がある一方、
人口の流出や島の産業の空洞化などの懸念もあり、
橋の開通を島の発展にどうつなげていくかが課題となっている。



福岡県築上町 「 城井ノ上城の砦 ・三丁弓の岩 」

2015-02-02 04:48:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )























三丁弓の岩は、軍師官兵衛でも紹介されたが、
黒田長政が城井谷を攻めた時に
攻めあぐねた城井ノ上城がある前衛の砦である。

『 城井谷絵図 』 には 「 城井盾籠所 」 と書かれ、
自然の巨岩の表門と裏門がある。
周囲を岩壁に囲まれた地形で、村人などが避難のため籠る場所と思われる。
三丁弓の岩は独立状の巨岩で、ここの攻め手を防ぐのに
三丁の弓をもって足りたことに由来すると言われている。



沖縄県西表島   「 西表島大原港 」

2015-02-01 05:26:41 | 船 ・ フェリー ・ 港



パナリ ( 新城島 ) から見た西表島







西表島の大原港




石垣島から船で約35分で到着する西表島。
そこは観光客がごった返していた。
でも、少し行けば自然があふれる。

ヤマネコにはお目にかかれなかったが、
また訪れたい島である。



KBS京都テレビからの贈り物

2015-02-01 05:25:41 | 日記 ・ イベント







昨日、仕事から帰ると郵便物が届いていた。
「 なんだろう? 」 と思って開けると、
ボクのポストカードをテレビで紹介した放送のDVDだった。
KBS京都テレビとは、長い付き合いで、
熊本時代からお付き合いさせて頂いている。

当時のプロデューサーさんとの付き合いで、
競馬を通して色んな物を紹介して頂いた。

そうそう、向日町競輪の帰りにテレビ局に寄って
局内を案内して頂いたことや、
アナウンサーの方々と一緒に競馬談義に花を咲かせたこともある。

あの時・・・

カッと燃えるような差し脚は
疾風の如く 火の如く
いまは短離路線をひた走る
小倉デビューのサンキンハヤテ

というサンキンハヤテの詩を詠んだら、
競馬スタッフの皆が、息を飲んだのを憶えている。