清明神社から更に北に行き、今出川通を西に進んでいると首途八幡宮の案内板が見えてくる。
首途八幡宮と書いて、カドデハチマングウと読む。首途(かどで)すなわち門出のことである。
源義経が奥州へ旅立つ際に道中安全を祈願した神社だそうだ。このことから内野八幡宮と言っていたのを首途八幡宮と呼ぶようになったとのことだ。
門出をなぜ首途と書くのか考えてみた・・・首とは頭のことじゃないかと・・・即ち、途(みち)の頭ということでは・・・勝手な想像です・・・
鳥居の両脇には、これでもかというくらいに由緒書きやらが立ててあるが、内容は義経のオンパレードである。
鳥居からは細い参道が奥に続いている。
参道脇には新しそうな石碑が建っていた。
本殿は奥のちょっと小高くなった場所にあった。
平安時代、この辺りは平安京の大内裏の北東の角にあたり、貴族の邸宅が建ち並んでいたらしい。源氏物語に出てくる桃園の宮というのが、この辺りのことだそうだ。清明神社の厄除け桃もここから来てたんだと納得!・・・
義経は、ここで道中安全を祈願した後、近江の鏡神社で元服し、奥州に向った・・・昔の人は御参り好きですなぁ・・・
首途八幡宮と書いて、カドデハチマングウと読む。首途(かどで)すなわち門出のことである。
源義経が奥州へ旅立つ際に道中安全を祈願した神社だそうだ。このことから内野八幡宮と言っていたのを首途八幡宮と呼ぶようになったとのことだ。
門出をなぜ首途と書くのか考えてみた・・・首とは頭のことじゃないかと・・・即ち、途(みち)の頭ということでは・・・勝手な想像です・・・
鳥居の両脇には、これでもかというくらいに由緒書きやらが立ててあるが、内容は義経のオンパレードである。
鳥居からは細い参道が奥に続いている。
参道脇には新しそうな石碑が建っていた。
本殿は奥のちょっと小高くなった場所にあった。
平安時代、この辺りは平安京の大内裏の北東の角にあたり、貴族の邸宅が建ち並んでいたらしい。源氏物語に出てくる桃園の宮というのが、この辺りのことだそうだ。清明神社の厄除け桃もここから来てたんだと納得!・・・
義経は、ここで道中安全を祈願した後、近江の鏡神社で元服し、奥州に向った・・・昔の人は御参り好きですなぁ・・・
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