Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何もかも水に流す文化的特性

2011-05-02 | マスメディア批評
福島原発統合記者会見中継のネット配信を流していた。長丁場であるがここに来て大放送局や新聞社の質問が急先鋒になってきたのを感じた。理由は様々にあるのだろうが、世界的に報道された官房参与の辞任劇が切っ掛けになり、NHKをはじめとする報道機関は、ここでなにもしなければその使命が終わることを、小佐古敏荘教授の所感に重ね合わせたのであろう。卑しくもジャーナリズムを志した者ならば当然の感化であるが、編集担当者を納得させるだけの記事となるかどうかはなんとも心許ない。

学童への影響やその基準などに関しては、また脱原発やライフスタイルに関しては、学術的な権威やオピニオンリーダーが求められているわけではなく ― そうした世界の最先端の知識人などは日本には居ない、市民と同時に考えつつその道筋を示していくことがジャーナリズムの任務であることは改めて言うまでもなかろう。

それにしても決定権のある審議や会談などで対話録が取られないことなど、日本では一般の社会生活でも存在するのだろうか? ― パーティー外交宜しく、秘書ならず芸者・コムパニオン帯同の料亭・ゴルフ会談などが常習化しているからか?

そのことが注目される矢先、上の統合会見で以前から気になっていた記者と会見者の間の談合で起きていると思っていた「ぶら下がり取材」が実は東電や会見者の都合で、公に質問に答えるではなく個人的に回答するという姿勢になっていると知ってこれまた大変驚愕した。まさに政治行政と同じ思考が記者会見にも活きていて、流石にこの矛盾に記者も気付いたようだ。

大臣のぶら下がり取材とか称するものはてっきり記者側が権力者に媚びて、権力者が記者を利用する構造と映っていたのだが、必ずしもそれだけではない隠蔽体質の一つを象徴しているようで大変興味深い ― こうした社会の一面がソニーの隠蔽体質そのものと会見に現れているようで、福島の東電と同じようにソニーが世界の批判の矛先となっている。日本の社会では公でない私というものが公に微妙に関わっている、丁度中共の高官が賄賂で巨額の富を築くような構造がそこに活きているのだろう。

冒頭の疑問に戻れば、日本政府が脱原発を逸早く表明して、その日程を示すことが様々な国民各層の疑心暗鬼を解消する最も有効な手段である。再生可能エネルギーへの転換を謳っても原発の操業停止の日程を示さない限り、産業技術的にも進展はない。ドイツ連邦共和国も、今回のメルケル首相の判断よりもなによりもシュレーダー首班当時の緑の党の殆ど無謀に見えた強い操業停止へのデッドラインがあったからこそ、脱原発への現実的な可能性を広げた。現在、日本が幾ら開発などの技術面に力を入れてももはや文化・技術先進国ドイツの優位は変わらないであろう。

都会にクーラーの室外機が並ぶような光景は洗濯物をベランダに干す風景よりも ― 百年前のニューヨークのようにそして天日干し法案のボストンの新しい傾向のように ― 遥かに貧しい。東北の貧しい漁村の悲惨な様子が世界に伝えられて記憶に新しいが、実際は日本の都会の生活の方が遥かに貧しいのである。二股電球ソケットが貧しいと思うか、明るいと思うかに少し似ているのかもしれない。



参照:
Ustream channel [1] (岩上安身オフィシャルサイト)
備えあれば憂いなしとは 2011-04-05 | 歴史・時事
なぜ今頃の感の疑心暗鬼 2011-04-13 | 雑感
真夏のポストモダンの夢 2005-06-25 | 暦
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