ルクセンブルクにあるEU裁判所の裁定が紹介されている。ドイツ連邦など国によっては、「故意の処罰」として国内法に抵触するらしい。
事の起りは、ベルギーのガレージドア会社がその製品の設置のために購入者の所に派遣する設置工の採用において、外国人を排斥した事にある。企業側の言い分は、顧客が現場に派遣される設置工が外国人である理由で、その購入を破棄して、営業が成り立たないとするものである。
これをしてベルギーの担当局である機会均等と差別禁止局が、この企業を提訴して争そっていたのが、EUガイドライン2000/43を根拠に、直接の被害者が居なくとも損害賠償に準ずる制裁金をこの企業に科すことが出来るという判決であった。
要するに雇用の制限を公にする事は、外国人の統合と機会均等を妨げる行為であると認定され、それは顧客の外国人労働者排斥の意思と係わらない。
こうして、この法廷闘争が結審した訳で無く、ベルギーの裁判所に差し戻しされることになるようだ。
少子老齢化を迎える先進工業国は、今後外国からの労働力つまりその出身国の税金で教育を受けた労働者を迎える必要がある。その労働市場もグリーンカード導入などの専門分野からありとあらゆる分野に広がるのは自明なのである。
教育自体が労働者養成の国の事業となればなるほど、その教育を受けた者はその税金から支出された額だけの義務を負わされるようになり、そこに横たわる消費社会の拝金趣味は、生み出す労働意欲よりもその債務からの逃避を余儀なくされる傾向とはならないだろうか?少なくとも、十二分に厚遇された労働環境と公的従事者のような尊厳を与えられない限り、そうした抑圧感からは逃れられないに違いない。
反対に、従来の肉体重労働しか求められないような最低限の教育しか受けていない者は、社会に対しても居直りのような精神があり、更なる労働意欲へと駆り立てられる。元々その社会に債務を持たない者は、端から社会からの摂取をのみ考えれば良いからである。
それらは、外国人労働者にも当てはまる感覚であるかも知れない。少々、逆説的となったが、少子化の原因にも通じるような複雑な人間社会心理がそこに働いているのだろう。
参照:
日本の移民政策はどこへ (時空を超えて)
人間性を豊かに (たるブログ)
事の起りは、ベルギーのガレージドア会社がその製品の設置のために購入者の所に派遣する設置工の採用において、外国人を排斥した事にある。企業側の言い分は、顧客が現場に派遣される設置工が外国人である理由で、その購入を破棄して、営業が成り立たないとするものである。
これをしてベルギーの担当局である機会均等と差別禁止局が、この企業を提訴して争そっていたのが、EUガイドライン2000/43を根拠に、直接の被害者が居なくとも損害賠償に準ずる制裁金をこの企業に科すことが出来るという判決であった。
要するに雇用の制限を公にする事は、外国人の統合と機会均等を妨げる行為であると認定され、それは顧客の外国人労働者排斥の意思と係わらない。
こうして、この法廷闘争が結審した訳で無く、ベルギーの裁判所に差し戻しされることになるようだ。
少子老齢化を迎える先進工業国は、今後外国からの労働力つまりその出身国の税金で教育を受けた労働者を迎える必要がある。その労働市場もグリーンカード導入などの専門分野からありとあらゆる分野に広がるのは自明なのである。
教育自体が労働者養成の国の事業となればなるほど、その教育を受けた者はその税金から支出された額だけの義務を負わされるようになり、そこに横たわる消費社会の拝金趣味は、生み出す労働意欲よりもその債務からの逃避を余儀なくされる傾向とはならないだろうか?少なくとも、十二分に厚遇された労働環境と公的従事者のような尊厳を与えられない限り、そうした抑圧感からは逃れられないに違いない。
反対に、従来の肉体重労働しか求められないような最低限の教育しか受けていない者は、社会に対しても居直りのような精神があり、更なる労働意欲へと駆り立てられる。元々その社会に債務を持たない者は、端から社会からの摂取をのみ考えれば良いからである。
それらは、外国人労働者にも当てはまる感覚であるかも知れない。少々、逆説的となったが、少子化の原因にも通じるような複雑な人間社会心理がそこに働いているのだろう。
参照:
日本の移民政策はどこへ (時空を超えて)
人間性を豊かに (たるブログ)
外国人労働者も難民も国外へ流れ出してしまったら、対応の手だては少なくなりますね。大部分の仕事の機会は自国にあることが望ましいが、グローバル化は容赦なく繁栄と荒廃の局面を創り出してしまう。どの国も自分のことで手一杯。「アメリカ後の世界」が語られる時、ヨーロッパの良識に期待するしかないか。
それはドイツで教育を受けたトルコ人が、IKEAやその他の西欧もしくはドイツモデルのビジネスを故郷で展開して成功している話です。
こうした現象が顕著ならば、イスラム化が色濃く出るエルドガン案は受け入れられないとしても、ドイツでも持ち出し覚悟の教育を推進していくべきでしょう。その投資は最終的には大きな意味を持ってくると思うのです。
そして、時間が掛かっても、顧客の教育以上に、出先でも通じる教育を施すことがグローバルな社会での力にならないでしょうか。例えば、東ドイツにおいても、イタリア語や日本語や中国語などを学ばせる事で、スイスなどにおける接待業市場などでの有利性がより確保されます。
労働市場の新興国への重心の移行が避け難いとすれば、やはり労働市場のグローバル化は避けられないのではないかと思いました。
労働市場のグローバル化はご指摘のように不可避でしょう。問題はグローバル化のありようですね。混乱と荒廃をもたらすグローバル化だけは、次の世代のために回避しなければ。イスラムとアフリカへのEUの対応を注目しています。
ドイツで売られるようなTV受信機の四割はトルコで生産されている事実もあります。
トルコ市場での購買力が上がってきているので、こちらでトルコ人が集う販売店などはそのままトルコでも成功するのは自明ですね。
今後は、トルコ資本のそれもドイツの教育を受けたような世代が、特に市場の中心が移った業種でドイツ経済に影響を与えていくと思われます。
工業先進国の空洞化が、次世代には異なった形で埋められるようになれば理想的なのでしょう。