Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

愛おしく美しい一瞬

2025-02-07 | 
ハノーファーが遠くなる。この間にティケットを二枚購入した。5月の予定であるが、合わせて280ユーロ程になる。それ自体は予定していたぐらいの出費であるが、まだその先もある。

車で遠出するにはいい季節でもある。車内で仮眠するのにも問題はない。一件は宿泊も準備してあったが、宿泊日数を短くして、走行距離を延ばしてもよいかとも思っている。ブッキングした時点で新しい車輛を考えていたのだが、思っていた以上に長い距離を走れそうな感じはしていて、より条件の良さそうな宿泊施設を探してもいいかとも思う。

プログラムのマーラー交響曲九番は此の侭いくと、恐らく日本公演壮行演奏会でも聴くので、少なくとも4回は聴くことになりそうだ。コロナ期間中にはフォア―ベルクで二回聴いているので、ぺトレンコ指揮で6回聴くことになるのだろうか。

ケルンのフィルハーモニーもコロナ期間中に出かける準備をしていたのだが、中止でならなかった。扇の円形劇場型でその音響は想定内で、放送等でも馴染みがある。前回同地の二つの管弦楽団で狙っていたような席が確保できた。新しいホールを体験する為にはそれなりに音響的に期待できる席を狙う。勿論今回もより間違いのない席も考えたのだが、既述したように何回も同じプログラムに出かけることを考えて、価格共々より面白そうな席とした。そしてケルンこそは日帰りで出かけるのに丁度いい距離だ。往路の市街地交通だけで帰路は楽である。

この曲に関しては、なによりもバーンスタイン指揮での体験、またケルンを本拠としたWDR饗の若杉指揮、同じく亡くなったハイティンクの生涯最後の指揮など少なくとも3回は記憶に残っている。今回も全てを無事聴き通せるとすれば、全部で9回となる。今迄に最も実演で体験の多い交響曲となるのは間違いがない。

特別理解が難しい交響曲かどうかは若干議論があると思うが、その心理的な内容は必ずしも容易には理解されない曲かもしれない。そうした意味では演奏技術的に克服すればするほどその心理状況を有機的に描き切るのに限が無くなって来るのではないか。ブルーノヴァルター指揮のそれを参考にしているというのだが、表現の精度が上がれば上がるほど深みが見えてくると思う。手元にあるブレゲンツでの放送録音を流して猶更その感が強まる。

そうこうしているうちに指揮者キリル・ペトレンコの重なるキャンセル情報が入った。来週の新曲初演と「田園」交響曲のビエンナーレ初日演奏会から下りて更に3週間休養するということだ。医者の勧めとなっている。月末のキャンセルでは練習までしていての断念だった。指揮者にありがちな物理的な疲労とすれば慢性化していて悪化しているのだろうか。

どのような天才でも肉体的な限界もある。そのようなことでやはりここという時に見届けておく義務感を感じている。音楽演奏の歴史も人の一生と同じく一瞬にして輝いて、不意に終焉を迎えてしまう可能性の方が強い。それゆえにその一瞬が愛おしく美しいというのが芸術の輝きか。



参照:
ざわざわした胸騒ぎ 2025-02-06 | ワイン
誰かの代わりにしている行為 2021-10-10 | 音
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