(承前)その晩真面に息継ぎできなかった歌手は、もう二度とその指揮者と仕事をしたくないだろうと。歌手は其々異なるのです。ある者は長く息をつきます、またある者は、気が付かない程に短い息づきをする。それ自体が学術的です。
ということは、毎晩、長い人短い人といつも捉えているのでしょうか?
当然ですよ。歌手によって弱起の息遣いは違います。それはその体格にも、声域にも、その重量感によっても異なり、それら全てはテムポに大きく影響します。
それに相当するものは交響楽団指揮にもありますか?
勿論、トロムボーンはハープのように呼吸出来ません。そしてそこには様々な異なった息づきの前提を持った楽器があるのです。だからアコードを揃えるというのは時には難しいのです。皆が異なった息づきをしますから。
ペトレンコさん、回顧を以ってこの会談を始めましたが、終わりに今後の展望で締めたいと思います。ベルリナーフィルハーモニカーへの期待は何でしょう?
今もこの楽団への敬意を持ちつづけています。どうしようもないほどいい音楽家達だからです。この大きな集団の前に立つときは確りしていなければいけません。それでも彼らからとてもいいフィードバックを得ています。何時も楽団員が、素晴らしい演奏会だったと返してきます。これは多くの迷いを取ってくれるものです。当然のことながら、この関係をもっとツーカーのものにしたいとは思いますが、何度も言うようにそれには限界もあります(注五)。それはたとえ何年経とうとも、この楽団の前に立つというのは決して通常の状態とはなりません(注六)。
それはそこに生産的な力が働いているということ?
そうである限り、この楽団との日々はいつも特別で日であり続けるということ。素晴らしく行けば、それだけ幸福であります。それはこの楽団の為になるならばという心掛けがなによりも重要であるということです。今迄の感じからすれば、楽団も基本的に同様に感じています。さもなければここで毎日働いていられないでしょう。時間を持て余す様な管弦楽団ではないです。希望は、更に進展していくことで、その跳躍が大きいほど、幸福に感じるということです。(終わり)
注釈五、指導者としての仕事に関してはペトレンコ自身が再三言及している。カラヤンがカリスマ性で楽員を支配したような姿勢とは大きく異なる。
注釈六、夫婦に例えてフルトヴァングラーが同様にヴィーナーフィルハーモニカーを恋人とした様だが、残念乍らペトレンコにとってはイタリアの楽団がそうした心おきない関係となりそうである。
ある年齢に至って肉体的有限性を感じ、そのライフワークを考えてという塩梅である。演奏芸術としては此処先10年程で頂点を向かえるだろう。要するに大管弦楽演奏の歴史をそれで終えるということになりそうである。
参照:
誠心誠意に演奏する 2024-11-30 | マスメディア批評
日本旅行を越えて何時か 2023-06-22 | 文化一般
ということは、毎晩、長い人短い人といつも捉えているのでしょうか?
当然ですよ。歌手によって弱起の息遣いは違います。それはその体格にも、声域にも、その重量感によっても異なり、それら全てはテムポに大きく影響します。
それに相当するものは交響楽団指揮にもありますか?
勿論、トロムボーンはハープのように呼吸出来ません。そしてそこには様々な異なった息づきの前提を持った楽器があるのです。だからアコードを揃えるというのは時には難しいのです。皆が異なった息づきをしますから。
ペトレンコさん、回顧を以ってこの会談を始めましたが、終わりに今後の展望で締めたいと思います。ベルリナーフィルハーモニカーへの期待は何でしょう?
今もこの楽団への敬意を持ちつづけています。どうしようもないほどいい音楽家達だからです。この大きな集団の前に立つときは確りしていなければいけません。それでも彼らからとてもいいフィードバックを得ています。何時も楽団員が、素晴らしい演奏会だったと返してきます。これは多くの迷いを取ってくれるものです。当然のことながら、この関係をもっとツーカーのものにしたいとは思いますが、何度も言うようにそれには限界もあります(注五)。それはたとえ何年経とうとも、この楽団の前に立つというのは決して通常の状態とはなりません(注六)。
それはそこに生産的な力が働いているということ?
そうである限り、この楽団との日々はいつも特別で日であり続けるということ。素晴らしく行けば、それだけ幸福であります。それはこの楽団の為になるならばという心掛けがなによりも重要であるということです。今迄の感じからすれば、楽団も基本的に同様に感じています。さもなければここで毎日働いていられないでしょう。時間を持て余す様な管弦楽団ではないです。希望は、更に進展していくことで、その跳躍が大きいほど、幸福に感じるということです。(終わり)
注釈五、指導者としての仕事に関してはペトレンコ自身が再三言及している。カラヤンがカリスマ性で楽員を支配したような姿勢とは大きく異なる。
注釈六、夫婦に例えてフルトヴァングラーが同様にヴィーナーフィルハーモニカーを恋人とした様だが、残念乍らペトレンコにとってはイタリアの楽団がそうした心おきない関係となりそうである。
ある年齢に至って肉体的有限性を感じ、そのライフワークを考えてという塩梅である。演奏芸術としては此処先10年程で頂点を向かえるだろう。要するに大管弦楽演奏の歴史をそれで終えるということになりそうである。
参照:
誠心誠意に演奏する 2024-11-30 | マスメディア批評
日本旅行を越えて何時か 2023-06-22 | 文化一般