Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

しなやかな影を放つ聖人

2007-12-15 | 文化一般
グリューネヴァルトとその時代」と称する展覧会を訪ねた。グリューネヴァルトはその表現主義的などげつさで敬遠していた芸術家であり、有名なイーゼンハイムの聖壇画はコルマーに行けばひっきりなしに訪問者が絶えない有名芸術品である。年間三十万の訪問者数に世俗化以外の何物でもない事実を確認出来るだろう。しかし、何度もその前を通りながら車を停める機会を持たなかった。それはバーゼルの美術館のベックリンなどの名画の場合も変わりなく、そこを訪ねながら鑑賞する機会を今まで作っていない。

しかし今回は、そのコルマーのウンターリンデン美術館とカールツルーヘの美術館の共同プロジェクトとして「史上最大規模のグリューネヴァルトの展覧会」との見出しに躍らされて、先ずは開催一週間以内に訪れた。

アルザスの展示の場合は、その有名な聖壇画の制作行程を知ることが出来るスケッチなどの前作品がルーヴルなどから集められていて、カールツルーヘではグリューネヴァルト時代のライヴァル画家の作品がモティーフや技巧などを軸にして集められた。

グリューネヴァルトの作品だけで19作品の展示数は、現存する作品の四分の一にあたる。他の同時代作品を含めて、160作品ほどが全部で九室ぐらいに別けえられた展示であったが、二時間ほどかけて鑑賞した。

グリューネヴァルトと呼ばれる芸術家の本名こそは知られているが、同時代のデーュラーなどとは比べられないほど、その情報は限られる。水道関係の技術者をしていた著名な芸術家だったようだ。

しかし、今回の展示会で二百年以上振りに一同に会したという四点の聖壇画は、ヘラー聖壇画と呼ばれフランクフルトの裕福な布巾屋がデューラーなどに依頼したもので、その白黒の画はイーゼンハイムのそれの印象にへきへきする者をも唸らしてくれる今回の目玉となっていた。

その1511年ごろに描かれた四人の聖人は、そのモデルとなった娘達の活き活きした表情を堪能できるのみならず、殉教の聖人達をことのほか素晴らしく描いている。当時のイッセイミヤケの衣装と呼ばれる流行のエレガントな細かな襞の入った裾長のスカートの風合いの描写は超一級の芸術以外の何ものでもない。裾のフリルもが空気を以ってそよそよとそよぐのは、そのスカートに限らず手に持つ細い長い葉やら足元の植物学的な繊細な描写の下草が、淡く影を添える月の光にそやそやとしているのにも見られる。その適当な湿り気の大気は、作者の感興と共に五百年前の香りを届けてくれる。

左下に置かれるフランシスコ会に尽くし清貧で殉教した聖エリザーベート王女は、なにやら物乞いをしているようだ。その上には、聖ローレンティウスが躍動的である。

因みに右上に置かれた聖シリアクスは、医師でありエクソシストとなっており、癲癇の子供を治療する。また、その遺骨がロルッシュからヴォルムスへと移された所縁からかプファルツではワイン農家のパトロンとされているらしい。

カールスルーヘの州立美術館は小さいが、憲法裁判所などに囲まれていて、宮殿の端に位置している。そこへの道筋は、至るところ交通違反カメラが設置されていて、通常の許容範囲の半分ほどの制限の厳しさで、更に路上駐車は一時間のシュートステーしか認めない。それでも充分な駐車場が方々にあるので無理をせずに駐車する。三時間で4.50ユーロは許容範囲である。(続く


追伸:上のリンクの写真では残念ながら実物の感触は伝わらない。



参照:
Grünewald und seine Zeit (Begleitheft)
Das unergründlichste Lächen der Geschichte, Konstanze Crüwell, FAZ

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4 コメント

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実物! (やいっち)
2007-12-15 04:04:57
ミーハーかもしれないけど、グリューネヴァルトは一度は実物をじっくり観たい。
特にドストエフスキーが、あれを観たら信仰を失ってしまう(このような表現)とか言った「キリスト磔刑図」なんて、特に。
pfaelzerweinさんのレポートを読めるだけでも、ありがたいと思います。
続きが楽しみ。

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なるほど (pfaelzerwein)
2007-12-15 04:58:01
イーゼンハイムの聖壇画は、確かに題材的にも興味深いですからね。今回観た中に同じ題材も画風も幾つか含まれていましたのでネットであれを見ると大体想像が出来ます。

ドストエフスキー、なるほどと思います。

その辺りも踏まえて続きをアップしますので期待せずにご覧下さい。
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忘れられていたもう一人の画家 (old-dreamer)
2007-12-16 22:22:55
グリューネヴァルト!しばらく忘れていた懐かしい響き。初めてアルザス巡りをした時、コルマールを訪れ、対面しました。この「イーゼハイムの聖壇画」、画家の代表的傑作だが、ご指摘の通り迫真力があり過ぎて、好きな作品にはなりにくい。トリエント公会議以前の作品でもあり、「この時代」、苛酷に描くほど人を惹きつけたのでしょう。最初に掲げられていた修道院付属の病院(現代のホスピス?)では、患者には心の癒しとなったのでしょうか。多分、死は今よりもはるかに近くにあったことは確かですが。ほぼ100年後のラ・トゥールではかなり様式化され、精神性の深化に代わっています。図らずもグリューネヴァルトも20世紀に再発見された画家。それにしても、年間30万人の集客力とは。大都市の大きな企画展並みですね。
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市民的な聖人達 (pfaelzerwein)
2007-12-17 03:29:18
確かに流行とかあるでしょうから、懐かしさもあるかもしれませんね。先日の話しにも近いオーバーアマルガウの受難劇の歴史とか、または死の舞踊などの歴史的社会的事情も、こうした芸術に表れるのでしょう。仰るように「趣味」となると同じように時代背景に左右されますね。

スピタルに設置とは驚かされますが、その題材への関心のみならず、今でも現に展覧会が開かれたように人気は絶えないようですから、そこにも時代背景があるのでしょう。

市民生活の基本である憲法裁判所の懐で、市民的な聖人達をもって、この芸術家が今扱われたのを、こじつけて観察しています。
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