Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

数えきれない小役人的味

2014-01-18 | ワイン
12月にフランスのスーパーで購入したロゼを開けた。モンペリエ周辺のランゲドック地方の2012年産のワインで、葡萄品種はシンソートとシラの二種類である。そういえば一昨年そこらの海岸のワイン地帯の中で登ったのを思い出す。勿論この手のワインも飲んだ筈だが全く忘れていた。

このロゼの良さは、日本感覚の下味の支えに果実風味が酸味と共に綺麗に乗っていることで、楽しめるロゼなのだ。数えきれないほど南仏のロゼを飲んだが、ロゼダンジュなどと比べるとただ快適なだけなので記憶に残らないものが殆どである。その中でこの風味だけは印象に残ったのである。

中華に良し、二日後でも酸化しきっていおらず、ロゼとしては比較的高価の5ユーロ以下の実力を十分に示していた。先ずは、エビのバンドヌードルカレー風味クリームソースに合わせたが、全く問題なかった。夏のサラダよりもコクのある食事にも合うロゼであった。

先日のラディオで、ミュンヘンで見つかったギロティンが、最後の処刑者である白バラ事件のゾフェィー・ショルの首を撥ねたものだという可能性があるということだった。DNA反応などを調べれば確認できるのだろう。流石に、ナチの手下となっていた法曹関係者も若い娘の首を撥ねることには抵抗があったようで、それを出来る限り避けようとしていたようだが、そもそも官僚主義の中での小役人は適当に口実を付ければ何でもやらかす好例で、その後も抜け抜けと定年まで任務を遂行し続けるのである。



参照:
地中海の海岸に遊ぶ 2012-04-09 | アウトドーア・環境
観念は自由、限りなく 2013-11-09 | 文化一般
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二つめのチョークバック

2014-01-17 | 生活
マンハイムに靴を見に行った。昨年も試して、今欲しいと思っているイヴォルヴのシャマンの試し履きである。結論からすると、買えなかった。何よりも親指は良くても薬指の当りが厳しかったからである。大きさは、三種類試したが、US9、即ちEU42若しくはUK8で良いと思われる。US8.5も足は入るのだが立つだけでも苦痛なので、恐らく使えないだろう。またUS9.5となると足は楽になってもつま先立ちとはならずに先が曲がってしまうので、これも大き過ぎて全く駄目だ。

最終的な判断は、US9が韓国製であったので無理して購入する気もしなかった。寧ろ、他所で米国製に当たる可能性を残しておく。若しくはサイズが欠けて来て安売りになるのを狙うかである。もう少し様子を見たい。帰りに新しい靴を室内壁で試してみるつもりだったので買えなかったので、ちょっと顔を出しただけで帰ってきた。

その代りチョークバックだけは購入した。重量は100G越とカメラほど重いが、安全ベルト無しでも快適に使えそうなエーデルリットのチョークバックを購入した。どうせアルプス行とは関係ない。三十数年ぶりの二つ目のバックである。当時はチョークの玉などは売っていなかったからマグネシウムの粉をそこに入れて使っていたのを思い出す。それでも、ボルダーリングで手掛かりを上手に使えなかったのは、腕力の問題ではなく技術が無かっただけだと分かったのはここ一年ほどの成果である。



参照:
5.10克服のための5.11 2013-12-01 | 雑感
安全を内部留保するために 2014-01-05 | 雑感
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身体の、「村上春樹」の変化

2014-01-16 | 文化一般
自宅に体重計が無い。だからここ十五年ほどは計ったことが無い。ここに来て急に気になってきたのは体重が増えたのではないかと思われるからだ。特に上体が分厚くなってきて、プロレス選手のようになりつつある。クライミングで体が重くなって来た感じがしているので、気が付いたのだ。本来ならば、使い続けているのであるから、腕力が付く分楽になる筈なのだが、なぜか疲れが溜まっていき、重くなってきているのを感じた。嘗ては相撲取り化を避けてきたことからすればマシなのかもしれないが、走り込みが更に必要になってきた。先週は四日もクライミングをしたので、一度も走れなかったのである。殆ど無かったことであるが、体重の増加と共に分岐点に差し掛かっている様で恐ろしい。

こうした身体の変化を相棒の町医者に話すとなると、ティーンエイジャーのように胸が大きくなってきてと言うことになるから、直ぐに中年オヤジの助平談義となることは分かっているのであるが、

もう一つ気が付いたのは、シャワーで体から水を弾くようになってきたことである。肌に脂分が乗ってきていることを示すのだろうが、急に弾くようになってきたのに気が付いて驚いている。決して、食生活の質が変わっている訳ではなく、シャワーを浴びる頻度が下がっている訳でもない。水の質や洗剤も影響しているとは思われない。健康的に悪い兆候ではないので問題は無いのだが、これも注視していきたい変化である。

変化と言えば、UストリームなどのCMがとても煩わしいことになってきている。つまらない、全く興味の無いコーラや新作映画などのCMが流れ続けて嫌悪感を強く抱かさせる。TVにおける商業主義から逃れるためにネットに辿り着いているのであるが、本気でこうした商業主義を取り除いていかない限りネットにはいられない。フィアーフォックスからオペラにブラウザーを変えてから大分快適になったのだが、まだまだ商業主義追放には本腰を入れなければいけない。

今朝、ラディオで村上春樹の新作が話題となっていた。新作と言っても独訳が済んでのこの新作である。 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」がその評論家で村上ファンに言わせると「最も出来が良い作品」と言うことなのである。話を聞いて成程大きな大衆向けに練られた話だと理解できた、そしてとても興味をもった。そして新聞評などを読む。嘗ての英語訳からの翻訳とは違って、日本語からのドイツ語訳になっていることも気が付いた。状況が少し変わってきているようだ。



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緑の趣味の原風景 2012-02-24 | アウトドーア・環境
でも、それ折らないでよ 2007-01-26 | 文学・思想
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時代錯誤への対抗軸

2014-01-15 | 歴史・時事
宇都宮けんじと細川候補の政策協定へと圧力をかけろと言う声が市民団体などから出ているようだ。前者の政策は、巨大な首都機能の中であれだけ細かな補助金などの支出の煩雑さで「大きな政府」以外の何ものでもなく、時代逆行の感が強い。美濃部都政回帰どころか天皇機関論で時代錯誤な安倍政権に対峙するような従来の革新勢力の時代錯誤感覚が見受けられ、現代の市民運動を如実に反映しているかどうか疑わしい。

成程弱者への視線の熟成は、首都に活力を生み出す点では軍事的な示唆行為よりは遥かに効果的であろうが、高齢化社会の中での老人の公共交通無料化などは愚策であろう。もう少し抜本的で現代的な基本政策が要求されるのが政治的機能である。23区の区単位ならばいざ知らず、人口からすればドイツの連邦州のそれよりも遥かに大きいのであるから、その巨大な行政組織の存在と必要性はあまりにもグロテスクである。世界一醜い首都東京を少しはましな都市計画で環境改善していくべきだろう。

欧州では、特にドイツなどの生活保護がEU内の移動の自由で外国人にも与えられるとなると、生活保護を受け取るために旅行がてらに出かけてくるというルーマニアなどの貧しい諸国からの流入が問題になっている。東京の場合は、たとえ東京が手厚く保護しても外国からの移民の流入にはあまり関係が無いかもしれないが、公共事業を請け負う企業に対して審査を厳しくすることのように、他の地方自治体への手本となるようなものでなければいけないだろう。

そうした意味からは、原発問題以上に都政に求められるのは、小さな政府や都市機能の縮小など日本共産党や労働組合が「新自由主義」と呼ぶような政策こそが肥大化した都政に求められるものであり、大多数の都民はそれを求めているに違いない。



参照:
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
日本人の心理と思考  2014-01-14 | 生活
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日本人の心理と思考

2014-01-14 | 生活
日曜日の午前中のSWRラディオの文化波はそれなりに落ち着いた雰囲気である。アジアの音楽などが流れて、塗り箸の話へと流れていく。東京の塗り箸職人中島泰英へのインタヴューである。レデュー・ガガなどが買いに行く高級塗り箸の職人で、江戸八角箸と呼ばれる塗り箸を作る。

背後で聞こえる東京弁が歯切れが良い。材料にも塗りにもの拘りで、高級であることは良く分かるのである。そしてプラスチックや安物との違いは使ってみなければわからないと、普段から使っていないと分からないと話していた。まさしく、それが文化であるのだ。「時を越えた質素な文化」と称される。

夜中に目が覚めて、そしてウトウトとしていて久しぶりに定番の夢を見た。空を飛んでの逃避行はいつものパターンであり、その空域もいつも同じであるが、なぜかその前に人質になっているのである。そして、金庫とか何かが出てくるのだ。

その前に、安倍内閣の支持率が再び上がったと見て驚いていたので、ベットの中で再び明治維新とその後の国家神道への道に興味が向かった。つまりそこから日本国民の心理や思考を辿ることが出来ると考えたからである。

丸山などの論文を読むと、水戸学などから既にシナにおける天の思想の欠落がどのように埋められて、明治維新後の福沢などの脱亜思想へと受け渡されていく過程が分かるように説明されている。そのように、近代化が進んでいったことは間違いないのであるが、敢えて古色蒼然とした絶対主義体制が国体として利用されて、官僚主義と軍国主義が富国強兵と植民地主義の中で敗戦を迎えることになるのである。

そこを押さえておくと分かってくるのが疑問として呈された日本国民の心理と思考である。それは一般的に思われているように教養とか社会層とかに固有のものではなくて、寧ろ日本人のアイデンティティーと考えられているようなところに源を発しているということである。

要するに島国の輸入文化の需要が、絶えず文化的「先進国」へのコムプレックスとなっているようで、そこから抜け出しがたい日本人の姑息さと言うようなものは虚勢になり、そのアイデンティティーの一つであるのだろう。


参照:
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
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六級に誘うための疲れ方

2014-01-13 | 生活
BASFの「農民」と室内で登った。彼にとって前々回に六級マイナスまで付き合ったことから、室内での練習に動機付けがなされたようだ。彼のような確実な登り方で、我が室内壁であるドイツ山岳協会スポーツクライミングトレーニングセンターでそれだけの難易度が登れれば、どこの壁でも外でその程度は登れることを自ら昨年証明している。つまり、五級までに拘って、確実に登ることに拘っていた農民がここに来て上を見るようになったのである。

だから、お付き合いするにしても、六級を登るように導くことが我が目標であったのだ。結局リードで三本も六級を登って貰った。単純に喜ぶような人物ではないが、可成りの満足感があったに違いない。その間、三時間、私自身は完全に疲れた。

そもそも彼と付き合うと、リードでどんどん登らされる上に、レッドポイントを基本にしているのでそれだけで疲れるのだが、その技術難易度が上がってくると苦しくなるばかりだけでなく、週四日目と室内壁を最も登った週になったこともあって完全に疲れてしまった。未だに完璧に登っていない六級のところをもう一度繰り返して登って、更に自分自身は5.10を一つ間に入れるが、レッドポイントで登ったところも登れなかったりする疲れ様である。

動機付けをするように誰それがそこをどのように登ったかなどを語りつつ、競争心をあおったりと彼が言うように巧みに誘って登って貰ったのである。体力は十分にあっても、身体の使い方などがまだまだ十分でないために其の域に達していなかったのが、昨年ドロミテで実力を示したように、可成りのところまで来ていることは分かっていた。

手掛かりの使い方も大変上手になってきていて、安定感があるのだが、ザイルをカラビナにかける体勢やしばしば三点支持を守らない点など、まだ改善の余地がある。次回以降に更にどんどん六級を登って貰うことになれば指摘することが増えるかもしれない。少なくとも彼自身の壁はこれで破れたに違いないのである。

自分自身は、靴を新調するためにVIDEOなどを見ていて、クリス・シャーマの休憩の仕方やレッドポイントのやり方をやってみたいと思ったが、なかなか身に付くまでは時間が掛かりそうで、難易度の余裕とはあまり関係ないことにも気が付いた。徹底的に練習しなければ身に付きそうになさそうである。

夏にピレネーにトレッキングに行くという話から、彼が行ったことのあるアンナプルン山群北面の話になった。そこに地上でもっとも標高差がある谷があって、標高差7000mあるというのだ。パラパンテで飛ぶか、トレイルランニングとクライミングを合わせて一挙に登っているのかどうかということになった。



参照:
電装系の弱いドイツ車 2014-01-12 | 雑感
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境
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電装系の弱いドイツ車

2014-01-12 | 雑感
ドイツ車も13年目になると少しづつ壊れてくる。特に問題なのは工場に取りに行って一月以内から調子の悪かった電装系であるが、エンジンやその他がしっかりし過ぎているので、直すところは直していかなければいけない。それでも常であまり重要でないところから壊れてくるのである。

一つは座席の伝熱ヒーターで、運転席の尻の部分だけが温まらない。背中は温まるので使えるので、スキー場で零下二ケタほどにならない限り、どうしても必要なものではない。だから修理にも抵抗があるが、自分で原因調査するのも面倒なので置いてあるだけだ。

もう一つ壊れたのは液晶の時計の一ケタ目の1表示である。18時が'8時としか表示されないが、20時は20時と表示される。要するに24時間時計では、1を補うだけであるが、12時間表示にすればあまり気にならないだろうか。そのように考えると再び1が表示されるようになっていた。理由は分からない。スタビライザーなどの制御機構も一時はおかしかったので、電気的な問題が潜んでいるようである。

しかし、ドイツの場合は電気的な修理を依頼してもあまり上手に直せないことが多く、その分割高で割が合わない。だから出来る限り自分で直すように考えるのだが、こちらの技量も限られているので、原因が分からないままのものもいくつかある。

室内シーズン24日目も疲れた。初めてのところを試みて、庇の上までザイルを掛けたが、その上がカンテ状のハングになっていて、更にそれが天井まで続いているので、ルートを間違ったと思って降りてきた。良く調べると、上部で右へと枝分かれしていた。次の機会である。

その後、5.10でトップロープで登っているところを二つほど登った。一つ目はトップロープでも登り方を変えるととても難しいことになって登れなくなってしまっている。もう一つは初めてリードしてみると、とてもザイルを掛けるのが難しく、完璧にはなかなかいかない。その後、5.11の垂壁を登ると、間違いなくチョークが無いとザイルが掛けられなくなる。兎に角、新しい靴もチョークバックもに必要になってきた。日曜日は早25日目となる。



参照:
そこの国境を越えると 2006-01-20 | 生活
愈々佳境のプラトー現象 2014-01-09 | 雑感
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もう一つ、2007年産

2014-01-11 | ワイン
2007年産のヴァッヘンハイマー・レッヒベヒャルが手に入った。割安価格である。残念ながらゲリュンペルは売り切れていた。比較すると、もともとのその味筋が異なることが、こうして瓶熟成する更に明確になる。

瓶熟成度は、明らかにレッヒベヒャルの方が進んでいる感じがするが、開けて二日目に酸が効いてくるところを見ると一概には判断しかねる。その基本的な個性の差は、香りの質で、ゲリュンペルが柑橘系なのに対してこれは黄色系の果物のそれである。その地所の位置関係は、殆んど隣り合わせであり、斜面の場所が違うので、若干のミクロクリマと土壌の差だけである。そして、これだけ異なるのはまさしくテロワーの差なのである。しかし、2007年はまだ完全に天然酵母百パーセントで無かった筈だ。

食中には、酸が鋭く効いているゲリュンペルの方が明らかに新鮮味があってよいが、食後にはレッヒベッヒェルがチーズに最適で、酸が前面に出ない分も好都合なのかもしれない。個人的には前者の方が好みであるが、今回の入手価格を考えると決して悪くはないと思った。それでも追加購入や更なる推薦は保留である。

シーズン23日目はBASFの上海マラソンマンがお相手である。練習課題を、前回伝えた重心を下げることにして、更に自分自身が感じている上への攻撃姿勢への入れ替えを意識した登り方にした。つまり、文字でAとV体勢と表されるものであるが、移動中間支点の設置などは当然のことA体勢で安定して三点支持で立つことが要求されるが、それ以外の場合も安定した基本体勢であることは間違いない。逆にV体勢を意識することは、手掛かりの使い方にも繋がり、困難度五級を克服するための基礎技術になるかもしれないからである。自分自身は、それを意識することで、AV、VAの動きを精査することで、5.10克服の流れるような動きを身につけたいのである。

実際の結果は、それなりに確認できた。先ず彼の立ち方が可成り安定してきていて、前日に吹っ飛んだルートをトップロープで登って貰ったが、六級を可成りまともに登っていた。その前に登り直した六級も核心部を除いては綺麗に安定して登っていた。自分自身は、前日の吹っ飛んだ横の5.10に再挑戦した。核心部の一カ所はザイルを掛けれなくて、掛けてから登り直した。



参照:
2007年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン
身をもって分かることの困難 2012-12-22 | 雑感
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バルコンからの冬籠り

2014-01-10 | アウトドーア・環境
クリスマス後の最初の土曜日に階下に住んでいるご近所さんの突然の訪問があった。階下で水が漏っているというのだ。八年前に同じことが起きたので、事情は分かっている。それを説明した。

歴史的建造物でありながら市の許可を取って作ったバルコニーからの水漏れが疑われている件である。八年は何ともなかったのだが、再び漏ってきたようである。

前回は晴れた乾いた日に水が漏ったので、その原因は皆目分からなかったが、今回はクリスマスからのお湿り具合で、直ぐにバルコンが原因となりやすかった。そこに管理人がやってきてタイルの目地に割れ目を見つけたものだから、一先ず原因決定となったのである。

その後、専門家がやってきて、タイルの目地は関係が無いということになったが、先ずそこを直してということになった。どこからどのように雨水が漏っているかが分からないのはとても不安であるが、水の経路は寧ろ階下の天井を遡らないと分からないかもしれない。

兎に角、応急処置として目地を直して、シリコンで隙間を徹底的に防ぐしかない。しかしそれで根絶できるとは思われないのだ。また幸運ならば八年後ぐらいに洩れるかもしれない。

セメントを乾かすために、厳冬の外気を避けるために、シリコンを乾かすために窓がシートで塞がれた。春の陽射しが、冬の曇天になってしまった。遅くとも月曜日までにシリコン処理が終わるという。もし終わらなければ、シートを剥がしてしまうだけである。

鬱陶しいと思っていたシートは外出から帰ってくると完全に剥がれていた。折からの強風のお蔭である。先ずは、煽られて楔を入れた横木が吹っ飛んで、その後シートの波動で開いてしまうことは分かっていた。二本目の横木も取れて、二枚のシートは下にぶら下っていた。そうなれば引っ張って、下の横木も外すだけだった。下手に煽られて雨水が中に溜まるよりは、修理個所をシートで保護した方が良いからである。設置から十時間も経っていなかった。



参照:
スポーティーなヤッケの生地 2012-11-23 | テクニック
バルコンでPCで寛いだ午後 2010-08-02 | アウトドーア・環境
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愈々佳境のプラトー現象

2014-01-09 | 雑感
冬シーズン第二十二日目は、一回目の挑戦で上まで行けなかった庇を登る前に、垂壁を登った。三本とも5.10以下であるが、完璧に熟すための二度目の挑戦であった。

先ず一本目の垂壁で、カンテに手を掛けてバランスを保ちながら、ザイルを掛けようとしたら、吹っ飛んだ。簡単に帽子も吹っ飛んだ。気を取り直して、再度その部分を登り直す。そこでザイルをカラビナに掛ける姿勢を保つ前に、その上にある手掛かりを使って、腰のあたりまで登ってからザイルを掛けた。要するに、ザイルを掛ける個所が違っていたのであった。これで、クリアーした。

二本目に庇は、一回目に試した時に上から二番目のカラビナにザイルを掛けることが出来ずに落ちたところである。今回はそのカラビナまでは何とかなったが、最後の折り返しのカラビナには掛けられなかった。チョークが無いと手が滑って繰り返す意味がなかった。そこに至るまでも完璧な足運びも出来ずに、不満足な結果であった。

三本目は、同じ困難度でありながらも短いので、一カ所だけザイルを上手く掛けられなかった。一本目と共通しているのは、無理して下から上のカラビナにザイルを掛けようとしなかったことで、明らかに上へ上へという視線が欠けていることを示している。特に今回は、靴のヴェローツェが駄目になったのでイヴォルヴのそれを使ったので、どうしても足に荷重して重心を下に落とすことを心掛けているものだから、上の手掛かりを掴みこむという運動から離れているのである。

ここに来て、冬シーズンのプラトーに達した感があって、今まで心がけていたことが欠点となってきているきらいがある。そもそも上に手掛かりを求めて、重心を高くすることは出来る限り避けてきたのであるから、その視線までが上に伸びなくなってきているようである。それならば、視線だけでも上に求めて、出来る限り足で立つように練習しなければいけないのかもしれない。技術的な練習が佳境に入ってきているように感じる。



参照:
安全を内部留保するために 2014-01-05 | 雑感
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境
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老支那人と小日本人

2014-01-08 | 歴史・時事
年末年始にIWJで現代史教育的なインタヴューが多く再配信されていた。その一部を観たが、学術的な見識をもつ研究者によって、科学的に語られる優れた内容であった。その内容の一つが、重慶爆撃の軍事的な意味合いと、その歴史的な意味合いの掲示が含まれていた。そして国民党の対日帝防衛の意味が、重慶の町でも知られるようになっている現状について、とても興味をもった。そしてそれについても調べてみた。

後述の新聞記事にも言及されているのだが、重慶などはその典型で、既に近代化と工業化が始まっていたことから、工場なども花崗岩の要塞の中に隠されたというのである。そうして「国民党が日本軍の攻撃からシナを護った」ことと、「日本の侵略によって近代化が遅れた」とする、今でも日本の「亜細亜解放論」が主張するような満州などとはまた違った状況をも日本人は認識しておく必要がある。そして、その後の反共への戦いは、重慶の白公館の展示にみられるような米国と国民党との協調作業となるのである。蛇足ながらそうした防空壕施設は文革後の冷戦時の米の核攻撃にも備えられたという近代史を付け加えておこう。

同じような展示内容が、北京の抵抗博物館でも紹介されていると、フランクフルターアルゲマイネのジーモンス氏は現地盧溝橋から伝えている。そこでは、もはや反日の内容よりも、2005年当時の現在の近代化のなかでの繁栄と世界的地位を築いた共産党のそれだけではなく、市民の日帝への抵抗運動と共に国民党のそれが展示されているのである。そこでは、小平と天皇の並んだ写真と共に、責任は日本人そのものではなくて日帝と国粋主義者にあるとされて、とても友好的な展示内容となっているというのである。

大日本帝国は、侵略に際して、シナに居る「邦人の保護と財産の保全」を理由として、遠征の口実としている。これは、まさに今安倍政権などが主張している海外の日本の権益を守るための自衛隊もしくは防衛軍の派遣と同じ口実であることを、少なくとも日本人は歴史教養として肝に銘じておかなければいけないのである。

中共の西洋的で合理的な認識には、そこではシナは第二次世界大戦で軍事債を受け持った英国、ソヴィエト、米国と並ぶ連合国の四強国として位置づけられていて、何度も繰り返すように二十世紀からシナの台頭があったとする史観であると同時に、戦後の冷戦構造をも通して国際秩序を担ってきた戦勝の大国であったという理解である。

この二つの情報で大変打ちのめされた気持ちになった。中共が、19世紀の列強の圧力の被害妄想から抜け出て、国民党までを評価するような堂々とした大国面を構えるようになるとすれば、FAZが書くように大国中国には歯が立たないために、修正主義に溺れる日本人の日本では、最早国際的な評価は全く入れ替わってしまうのである。

なるほど、私が知っているような文化革命時代の中国人ではなくて膨大な数の中国の若者が世界中で学んでいることを考えれば、日本人の知能や教育では全く文化的に話にならないことは一目歴然としている。既に四十歳を過ぎようとしている海外に滞在するような日本人が、BBCが伝えるように正しい世界史や現代史を学んでいないことから、シナ事変ですら侵略戦争であることを否定しようとするのを見かけたことがあるからである。こうなれば、嘗て私が知っていた文革世代のシナ人よりも日本人の教養の程度が低いことになる。

即ち、個人個人の日本人と言うのではなくて、現代の日本人とシナ人を比較すると、明らかに後者の方が世界的に通じるエリート層が割拠していて、前者は殆ど北朝鮮の連中と程度が変わらないと見做すしかないのである。なるほど、ある程度の年齢の日本人にも同じような人間はいなくはなかったが、少なくとも戦前のそれをまたは敗戦を経験している明仁天皇や三島由紀夫のような世代には、立派な近代的な知性を持ち合わせていた人たちは少なくなかった。しかし、現在も人種差別的な発言を繰り返すフクシマ禍以降有名になった武田邦彦などの世代にも代表されるようにとんでもないコムプレックスのようなものが蔓延っていて、敗戦の事実を見つめようとしない修正主義的な考え方が浸透している場合も少なくないようである。

そうした日本人白痴化の現象は、靖国や護国神社などの意味合いも分からずに、「英霊への哀悼」などと、狂人的な国家神道思想を宗教的に曲解している無知な人々にも良く表れていて、同様な現象は「非武装中立の玉砕思想」と対をなして戦前・戦後から形を変えながら脈々と受け継がれてきているものなのだろう。しかし、そうした一億総白痴化が学校教育などに引き継がれて、現在の日本人の全体像を世界に晒すことになっているのである。

「アホノミクス」の浜矩子女史などは余程の楽観主義者なのか、人材だけはそこそこいると期待するが、シナのそれとは比較などはできない。それが文化芸術学術的な面において、十九世紀の植民地主義から本当の意味で解放されそれを克服するとき、その合理的な思想がドミノ倒しのように押し寄せるとなると、最早日本などの小国の出る幕ではないのである。彼女が言うように、小さな島国はそれ相応に可愛らしく振る舞うことで、明治維新の時にも議論されたような小国としての生き方が可能とがなるに違いないのである。現在の日本人には、虚勢を張って束になって自国の国威発揚などと古臭い国家主義を振り回したい、シナ人よりも時代遅れの無教養層が増加しているようで本当に情けないことである。



参照:
Eine Reihe offener Rechnungen, Mark Siemons, FAZ vom 6.1.2014
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
日本無力化への道程 2013-11-30 | 歴史・時事
普通の日本人たちの責任 2013-05-20 | 歴史・時事
稚拙な権力者と外交戦略 2013-01-29 | 歴史・時事
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2007年に鼻を突っ込む

2014-01-07 | ワイン
2014年の走り初めは山登りとなった。前回頂上まで行ったのは12月の初めだった。その後は鼻の調子なども悪く、途中の緑のベンチで引き返すばかりだった。そして今回は「ゆっくりと最後まで」を最初から考えて走ったので、息が上がることが殆ど無い走り方が出来た。これだけの急傾斜を頂上まで心拍数をあまり上げずに走れたのは初めての経験である。それでも足取りは軽く、テムポも悪くはなかった。途中経過時間などを一切無視して走ると、頂上へは43分、6110歩でそれなりにかなりゆっくりしたペースであった。

とても良い走りが出来たと思うのは、後半のどこでもスパートが出来るだけの走り方で、このような走りが出来るならば、どのような山も走り通せることが出来るということになるからである。標高差は500Mほどしかないので1000Mをやってみないと分からないが、爪先立ちの脚が問題なければいけるだろう。駐車場に降りてくると、72分、10475歩であった。心拍数は130に至らないぐらいであった。

そして鼻の調子が、あれ以後変わってきたのである。十カ月前ほどの抜歯の後、波はあっても結局鼻の調子は完璧とはならなかった。しかし12月の鼻噛みの連続の日々を経て少し変わってきている。兎に角、比較的乾いてきた感じで、走り出しからとても右の鼻から酸素を吸えたのである。そして走り終わってもそれほど腫れた感じはしない。ある意味、抜歯以前の状態に戻った感じもあるが、その抜けは大分違うようだ。もし、これが良い方に改善されれば運動能力は大分上がる筈である。

2007年産のゲリュンペルを開けた。2007年産のグランクリュのパイロットとして購入したPCである。抜栓早々、美しい果実風味とアロマが漂い、間違いのない熟成が確認できた。実際に飲んでみると今までほとんど感じなかったほどの柑橘系の風味が新鮮な酸と共に湧き上がるのである。三年ほど前に開けたときは酸が全く引っ込んでいて、苦味を感じた位であるから、リースリングの瓶熟成とは殆ど魔法のようなものなのである。瓶詰め四年半であるから、このクラスのワインとしては当然の飲み頃なのであるが、その液の色と言い味筋と言い、2007年の健康な葡萄の大成果である。2001年のそれを彷彿させるぐらいだ。二日目も流石に残糖感のようなものは若干出てきたが、このクラスとしては十分な強さである。

こうなればもはや議論の余地はない。明日ぐらいから、2007年の残りを探して見ようと思う。先ずは自分の体験を醸造所で披露し、意見交換して、手を打ってみよう。手元にはペッヒシュタインやホーヘンモルゲンなどはある筈だが、2001年産と比較しても十分にあるとは言いがたい。グランクリュをあと数年は寝かすと、2001年産との比較となるだろう。



参照:
麹の扱い方だけではない 2014-01-03 | ワイン
うちの原発と蕾の加齢 2012-03-17 | 雑感
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二人の阿保のミックス

2014-01-06 | マスメディア批評
金正恩がリフトに乗っている写真をネットで見かけた。とても興味深く思った。背後のスキー場らしい風景に反して、一人で腰かけている風景である。本人はスイスで過ごした日々を思い出して、故郷でも皆があのように娯楽を楽しめればよいと純粋に思っているに違いないような、どこか寂しい光景である。そうである、国民の隅々までが皆楽しめるスキー場や娯楽施設が彼の夢に違いないのだ。恐らく、皆が食べていけないことなどは全く分かっていないに違いない。スイスでは働かないでも豪勢な生活が出来る人が増え続けているのだから。

写真に注目したのはそのリフトの形状や塗装などの具合である。恐らく、スイスのフランス語地域で使われていた中古だろうか。正しく、彼が初めてのスキーなどで経験したリフトである。次に造らなければいけないのはチーズ工場やレストラン、そしてミネラルウォーターの工場などだろうか。とても国民想いの指導者なのである。

どこかでこの指導者の新年の挨拶やその内容が紹介されていたが、その映像をYOUTUBEで探して見た。肝心の「粛清された反逆者」を意味する部分は会場の外の冬景色が映されていて。話者の表情などが分からなくなっている。声を分析すればそれなりの分析は得られるのだろうが、最も見たい場所は映されていなかった。

しかし、2013年の新年の挨拶を探して見比べるととても面白かった。目につくのは体を揺らす演説の姿勢が今年の挨拶には無くなっていたのだ。昨年のそれは初代に似せて練習させられたと言われるものだろうが、真似が上手くなったのか、それとももはや真似をする必要をそれほど感じなくなったのか?声の質も太く、自信溢れる雰囲気になっていて、昨年とは大分変わっているのである。

もう一つの極東の指導者についてFAZが書いている。所謂アベノミクスについてである。それはもはや色褪せてしまったという見解である。スタンフォード大学のホシ教授が語るように、デフレ脱却に成功するのは僅か12%の確率で、八割八分は失敗するという予測で、それは市場関係者も一致した見方だという。だから驚くほどの市場の進展を見たが、弾けるのは時間の問題だとする共通認識である。昨夏には年末までに構造改革を明確にすると言ったが、安倍政権は全く何もしないどころか、国粋主義的なアジェンダを推し進めているのだという。

具体的には、経産省や大蔵省がリストアップした百にも及ぶ構造改革は古い工業政治の詰め合わせで、補助金と表面上の修正だけだと厳しい。ただ唯一の例外は経済特区なのだが、首都圏でそれを行うとなれば、地方との乖離を起こすだけだと批判される。要するにジャパン・アズ・ナムバーワンの時代の焼き直しで、まさしく浜矩子女史が名付けた「アホノミクス」そのものなのである。

高齢化が進み既に工業の飽和化が進んだ日本で、移民を受け入れる訳でもなく女性のキャリアーを推し進める訳でもなく、アベノミクスの行方は弾け、「工業世界の終焉」を逸早く示すことになるのではないかと言うのがこうした見解である。そうしたことを、アベノミクスの当初に騙された多くのケインズ学者は、気が付いていないというのである。そして、安倍政権は、金融政策だけでは満たされない構造政策のために何一つせずに、権力構造のそれにも何も手つかずにしているというのである。

こうして二人の極東の指導者を並べると、その程度がとても似ていて面白い。しかし国民は前者の国民の方が行間を読む力は身に付いていて、後者の国民の方が「裸の王様」を抱いている国民に違いない。そしてそうしたものを支持する国家主義教育は後者の若い国民に徹底的に為されてきたのである。前者の国民は寧ろ賢明で決して「国民の義務」などと言うようなことは誰も考えていないに違いない。



参照:
Abes Zauber verblasst, Carsten Germis, FAZ vom 3.1.2014
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
必要な改革への粛清? 2013-12-15 | マスメディア批評
間違った国策と呼ばれるもの 2013-10-11 | 文化一般
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安全を内部留保するために

2014-01-05 | 雑感
室内シーズン20日目で2014年のクライミング初めとなった。大したところは登らなかったが、また新しい5.12に挑戦した。このレヴェルとなると登ることよりも使われる技術に興味が向かう。結局後半は道が開けなかった。到底年内に解決する問題ではなさそうだ。もう少しボルダーリングで技術を磨かないと駄目である。

それどころか六級の垂壁のキーポイントが旨く熟せなかった。どうも靴の状態が悪く、このまま使い続けていては技術難易度が落ちてしまいそうである。要するに前回から気が付きだしたが、足で立てなくなってきている。改めて観測すると二足目のヴェローチェの五センチに分厚くしたヴィブラムの爪先が擦り減って先が開いて来てしまっている。二度目の底張りに出すかどうかは考えものだ。

左右に爪先で突っ張って立つと直に疲れ、この靴に期待していたパワーが掛けられなくなってきている。手元にある靴ではイヴォルヴの一足目の底直ししたポンテスしかこれ以上の張りのある靴は無い。だからそれを試しに使ってみて、オヴァーハング用の靴を買うべきかどうかを考えてみよう。兎に角、足で立って、腕力を使わないような登り方を追求しなければ、外では話にならない。

21日目は、我がライヴァルも現われたので一緒に登ったが、彼は5.10には今まで全く挑戦していなくても、トップロープでまさにそれを可成り熟していた。流石に我々の支部では最も強いロッククライマーである。年間二週間も登っていない筈であるが、その体幹から安定した登りを見せる。宗教改革の日に登った百年たっても難しい五級の割れ目を二年ほど前に登っていると聞いて成程と思わせた。

法律家の左右への脚の張力で登るそれに比較すると、体重の軸が殆どぶれないのは全身の力が重心を上手くとっているからに違いない。もう少し回転力や捩じりを取り混ぜられるようになると、一気に5.10を克服するに違いないが、そこまで練習時間が取れるかどうかである。一緒にボルダーリングに行く約束をしているので、その辺りの技術的な課題が明確になってくるだろう。

私は、新たに5.10のオヴァーハングをザイルの張力を使って登ったが、十分に熟せるようになってきている一方、一寸したところで上手に立てないことが多く、腕力に負担が掛かるようになってきているのは靴の影響があると思っている。

室内壁シーズンはそろそろ結果を考えるようになった。現在完全に登れていないところを完全に登ることを二度目か三度目で果たしている一方、5.10の克服のための新たな課題に挑戦しているが、もはやその到達点も見えてきたからである。そして、それと同じ難易度を本物の岩壁で熟せるような技術的な確信も得なければいけない。

先ずは靴を試してみて、チョークバックを購入して、その使用の有無などの差異から安全度を測るようにして行くべきだろう。どの程度まで、安全度を高めることが出来るかである。



参照:
胃袋一杯にしなくても 2013-12-27 | ワイン
冬至過ぎてクリスマス休み 2013-12-23 | 生活
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EUのエネルギーミックス

2014-01-04 | アウトドーア・環境
EUのエネルギーミックスの決定が行われる。2015年のパリでの環境会議に準備するためである。しかし2030年のためのエコ発電の割合は決定されない様子だ。その理由は、英国、フランスが二酸化炭素排出削減のために原子力を使うことを崩さないからである。バロッソ議長によると1990年比で四割の削除が図られているが、ドイツのギュンター・エッチンガーなどは三割五分で話を付けようとしている。その理由として古いプラントのある東欧圏の工業の問題が挙げられる。

また、エコ発電の目標値設定には、ポーランドを代表とする東欧諸国やオランダやスペイン、イタリアなどが反対している。その一方で、エコに熱心なドイツを孤立させないために、従来の化石燃料の発電を削減する目標値を出すことで合意する方向にあるという。

ドイツの連立合意の中には、2030年までに四割の二酸化炭素排出削減、2035年までにエコエネルギーの割合は六割と目標が謳われている。これによって、最も努力しなければいけないのはエネルギー産業だと言われていて、益々新技術が導入される。二割の排出削減と二割のエネルギー消費量削減が計られる。

思い起こせばかれこれ三十年ほど前に比較すれば欧州の町の雰囲気は全く変わってきている。あの当時は排気ガスを吐き散らして轟音を轟かして町の中を車や汽車が走っていたが、欧州の町の中の交差点は大分静かになり、空気も綺麗になった。欧州は間違いなく発展している証拠である。



参照:
EU-Kommission richtet Klimapolitik neu aus, FAZ vom 23.12.2013
我が市のエネルギーミックス 2013-02-17 | アウトドーア・環境
揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル 2012-08-03 | マスメディア批評
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