Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

スカムポの中身のバランス

2023-04-29 | 雑感
フランクフルトのアルテオパーからの中継を観た。地元の放送局の交響楽団演奏会生中継である。平素は殆ど観ない。なぜならば楽団にそれ程の魅力がないからだ。今回観たのは三月に聴いた学生指揮者のタルモ・ペルトコスキーの重なる客演の様子を知りたかったからだ 。

結論からすれば、若手指揮者の客演に過ぎなく、適当にやれる範囲での誤魔化しもある。しかし今回は独伝統的配置にしての演奏であり、明らかに音が違う。恐らく指揮者の発案だと思うが、とても魅力的な音を出していた。

「影の無い女」幻想曲に「魔笛」、「バラの騎士」組曲に「フィガロの結婚」とリヒャルトシュトラウス二曲とモーツァルトを数曲並べたプログラムである。どの曲においても楽器配置が生きていた。音合わせの時から平素とは異なっていた。

結論からすると、手兵のブレーメンの室内楽団を振る時ほどの成果は出ていないのだが、それでも北欧の同門指揮者の中では格別である。何がいいかと言えば自らでリズムを刻めることで、名前からしてもロシア語でも話せそうな感じで、後まで崩れない拍取りである。キリル・ペトレンコにおいてもそれが裏打していると思うのだが、ここでは同じような歌い口でも模倣に聴こえない。売り出し中の同門のマケラ指揮が悉く月並みで明らかに録音を聴いてレパートリーづくりをしているというのとは大きく異なり自ら楽譜から音楽を引き出している。最高の美点だろうか。

最後に持って来た幻想曲は久しぶりに聴く。選別された動機がまるでメドレーの様に和声連結で繋げられている曲で、これを聴いていても全くその楽劇の骨子は分からない。まさしく幻想曲で組曲にもなっていない。

改めて演奏の難しい曲だと思うが、それなりに纏めていて、全プログラムを通してこの放送交響楽団としては終始素晴らしい音を奏でていた。それでも結構聴衆に受けていたのは立派である。
Frankfurt Radio Symphony Live: Tarmo Peltokoski & Regula Mühlemann with Mozart & Strauss


共演の歌手ミューレマンはタレントとしても大成功しているスイスの歌手で、じっくり聴くのは初めてだったが、声の帯域も広くて、それが最も使い易いのではないだろうか。反面歌がもう一つのところに至れないのは、やはりそうしたところに限界がある為かもしれない。

先日スカムポのケーキを半分ほど購入した。上にメレンゲが付いているのがこのパン屋の特徴であるが、酸味と甘みのバランスがとれていたので、そうした考慮をもってこうしたオファーになっているのだと思われる。



参照:
飽くなき追及への表現方法 2023-04-28 | 女
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
コメント
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