(承前)フランクフルタ―アルゲマイネ新聞の評が出ている。先ずはタイトルロールを歌ったファンデンへ―ヴァ―を絶賛している。下から上まで素晴らしい声で聴かせる技術とその声で難しい役を熟した彼女の歌を驚きを以て受け取っている。夜の女王がヴァルキューレのブースターでと、楽々と熟した様を紹介。フィナーレにおいても百人に至る大管弦楽団と三人のソロイスツ゚の上に輝いていたとしている。
その歌手陣に関しては脇役迄我慢したようなキャスティングではなく文句の付け所がないとして、コッホが歌ったバラックの貴族のようなエレガンスを挙げ、日常の騎士を犠牲を厭わない父性的な伯爵としたとする。
染物屋の妻のリーザヴェレーラをその役に沿った歌唱として評価、その他合唱迄を絶賛して、ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーを絶賛しつつ、各種楽器のバランスなどで最終日の仕上げを期待している。
その一方最終的な盛り上げに影を射したのは演出の芸術的技術的な不備だとしている。つまりここでもプログラムを文字通り子を亡くした不順異性交遊少女の施設として今回の演出の枠組みを理解して、女の性は母性だとするモラルに対抗しているとして、それでは如何にも狭義な理解だとして批判している ― 因みにそうした幾らでも可能なメッセージを演出を通して出すというのは無しだと演出家は語っていた。
まさしく、ここにこの男性批評家ならず他の女性批評家も如何に性をその様な伝統的な枠組みでの対峙でとしか捉えられていないかがあからさまになる。精々1968年の性解放の思考でしか現在のダイヴァシティーを理解しておらず、如何にも自身はリベラルだと自認している団塊の世代の思考方法から一歩も出ていない。こういう人たちは私の様にセックスサイトの杜に入って学んでこなければ一生馬鹿者でしかありえない。
しかし、流石に地元のSWR2では的確な批評が出ていた。恐らく総稽古から様子を見ていて、その仕手となっているカトリック寄宿所の少女の枠組みを理解している。まさしく演出家自身が語っていたように、幸せな結婚を夢見る少女像なのであるが、その施設は戦災孤児院だと当然の様に納得する回答を与えていて、影が無いので妊娠できないのではなく、親を亡くした少女の目からそれらの事象が悪夢として描かれているというのだ。これ程すっきりした解説はないであろう。
そうした視線を得ることによって、当時話題ともなっていた堕胎つまり生まれ得なかった子供たちなどのFAZが語るこの作品のカトリック社会での本質的な生や死をも抱合してしまうことは理解される。そしてここに演出家自身が敢えて多くを語らなかった訳があるのではないか。勿論その前提には女の男の人類の性が横たわっている。二回目の公演で如何にそこが整理されて提示されるだろうか?特にフィナーレへの繋がりである。
参照:
Osterfestspiele in Baden-Baden – Triumph für Kirill Petrenko mit „Frau ohne Schatten“, BERND KÜNZIG, 3.4.2023, SWR2
Spitzentöne einer Kaiserin, JAN BRACHMANN, FAZ von 3.4.2023
悦びの多産への意識 2023-03-30 | 女
復活祭の一番の聴き所 2023-04-01 | 音
その歌手陣に関しては脇役迄我慢したようなキャスティングではなく文句の付け所がないとして、コッホが歌ったバラックの貴族のようなエレガンスを挙げ、日常の騎士を犠牲を厭わない父性的な伯爵としたとする。
染物屋の妻のリーザヴェレーラをその役に沿った歌唱として評価、その他合唱迄を絶賛して、ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーを絶賛しつつ、各種楽器のバランスなどで最終日の仕上げを期待している。
その一方最終的な盛り上げに影を射したのは演出の芸術的技術的な不備だとしている。つまりここでもプログラムを文字通り子を亡くした不順異性交遊少女の施設として今回の演出の枠組みを理解して、女の性は母性だとするモラルに対抗しているとして、それでは如何にも狭義な理解だとして批判している ― 因みにそうした幾らでも可能なメッセージを演出を通して出すというのは無しだと演出家は語っていた。
まさしく、ここにこの男性批評家ならず他の女性批評家も如何に性をその様な伝統的な枠組みでの対峙でとしか捉えられていないかがあからさまになる。精々1968年の性解放の思考でしか現在のダイヴァシティーを理解しておらず、如何にも自身はリベラルだと自認している団塊の世代の思考方法から一歩も出ていない。こういう人たちは私の様にセックスサイトの杜に入って学んでこなければ一生馬鹿者でしかありえない。
しかし、流石に地元のSWR2では的確な批評が出ていた。恐らく総稽古から様子を見ていて、その仕手となっているカトリック寄宿所の少女の枠組みを理解している。まさしく演出家自身が語っていたように、幸せな結婚を夢見る少女像なのであるが、その施設は戦災孤児院だと当然の様に納得する回答を与えていて、影が無いので妊娠できないのではなく、親を亡くした少女の目からそれらの事象が悪夢として描かれているというのだ。これ程すっきりした解説はないであろう。
そうした視線を得ることによって、当時話題ともなっていた堕胎つまり生まれ得なかった子供たちなどのFAZが語るこの作品のカトリック社会での本質的な生や死をも抱合してしまうことは理解される。そしてここに演出家自身が敢えて多くを語らなかった訳があるのではないか。勿論その前提には女の男の人類の性が横たわっている。二回目の公演で如何にそこが整理されて提示されるだろうか?特にフィナーレへの繋がりである。
参照:
Osterfestspiele in Baden-Baden – Triumph für Kirill Petrenko mit „Frau ohne Schatten“, BERND KÜNZIG, 3.4.2023, SWR2
Spitzentöne einer Kaiserin, JAN BRACHMANN, FAZ von 3.4.2023
悦びの多産への意識 2023-03-30 | 女
復活祭の一番の聴き所 2023-04-01 | 音