「影の無い女」第三幕、問題が整理されている。ミュンヘンでの制作でのプログラムにグラム化されている。重要な基軸転換は所謂変容の場面にもあるのだが、中々理解されない。再度音楽的な側面から楽譜を片手にこの流れを負うと、結構早めにフィナーレファ―ゼに入っていて、それ程肥大化した印象は受けなかった。
恐らく、肝心の二つのペアーが重唱となる所がそれほど明晰な印象を与えないからかもしれない。上の図では最期のハ長調となる所なのであるが、主を担う皇后の基軸がロ長調にあって、変ロ長調から入ってくるところが、マーラー的な発想となる。
それは作曲家のリヒャルト・シュトラウスがマーラーを意識して交響的な楽劇を残したという思いがあって、実際にエンタメ要素で売れた「バラの騎士」から「ナクソス島のアリアドネ」を通しての創作的な転換にあったとされる。
アドルノなどが指す三全音での交差や五度音圏内での重なりが、復調的な扱いとなってその間の二重の意味を含めて容易な印象を与えないことに問題があるようだ。失敗は作曲家自身が語る様に終戦直後に中小の劇場では演奏できなかったことにある。なるほど水準に達する演奏が困難な楽劇であることは今も変わりないだろう。
因みにミュンヘンでの公演では三幕には削除等は見られなかった。すると一幕と二幕の皇后のモノローグの辺りをもう一度確認しておかないといけない。
やはり二幕の皇后のモノローグから変容へとアンサムブルが今回の復活際のプログラムで最も難しいかもしてない。現在のベルリナーフィルハーモニカーは恐らくどこでも出来ない演奏を展開すると思う。一番の聴きどころである。どうしてもアーティキュレーションをしっかり出すのは至難の業で、ミュンヘンでは歌手もパンクラトーヴァには難しそうであった。今回は話題のヴェレ―ラという人が歌うので期待したい。
楽譜はミュンヘンでの演奏と同様に全く削除無しだろう。
今回は、美術館にも出かけなければいけないので、それも出来るだけ早めに済まして、出来れば参考になる紹介もしてみたいと思う。但し今回は一日中滞在するような日は限られていて、行ける機会も限られる。更に週末は雨模様なので、傘も必要で、足元も履き替えないと駄目なようだ。
参照:
初日でのお約束をする 2023-03-31 | 文化一般
変ホ長調の英雄の主題 2023-03-29 | 音
恐らく、肝心の二つのペアーが重唱となる所がそれほど明晰な印象を与えないからかもしれない。上の図では最期のハ長調となる所なのであるが、主を担う皇后の基軸がロ長調にあって、変ロ長調から入ってくるところが、マーラー的な発想となる。
それは作曲家のリヒャルト・シュトラウスがマーラーを意識して交響的な楽劇を残したという思いがあって、実際にエンタメ要素で売れた「バラの騎士」から「ナクソス島のアリアドネ」を通しての創作的な転換にあったとされる。
アドルノなどが指す三全音での交差や五度音圏内での重なりが、復調的な扱いとなってその間の二重の意味を含めて容易な印象を与えないことに問題があるようだ。失敗は作曲家自身が語る様に終戦直後に中小の劇場では演奏できなかったことにある。なるほど水準に達する演奏が困難な楽劇であることは今も変わりないだろう。
因みにミュンヘンでの公演では三幕には削除等は見られなかった。すると一幕と二幕の皇后のモノローグの辺りをもう一度確認しておかないといけない。
やはり二幕の皇后のモノローグから変容へとアンサムブルが今回の復活際のプログラムで最も難しいかもしてない。現在のベルリナーフィルハーモニカーは恐らくどこでも出来ない演奏を展開すると思う。一番の聴きどころである。どうしてもアーティキュレーションをしっかり出すのは至難の業で、ミュンヘンでは歌手もパンクラトーヴァには難しそうであった。今回は話題のヴェレ―ラという人が歌うので期待したい。
楽譜はミュンヘンでの演奏と同様に全く削除無しだろう。
今回は、美術館にも出かけなければいけないので、それも出来るだけ早めに済まして、出来れば参考になる紹介もしてみたいと思う。但し今回は一日中滞在するような日は限られていて、行ける機会も限られる。更に週末は雨模様なので、傘も必要で、足元も履き替えないと駄目なようだ。
参照:
初日でのお約束をする 2023-03-31 | 文化一般
変ホ長調の英雄の主題 2023-03-29 | 音