山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

マイルスデイビスの“枯れ葉”

2010-11-28 20:55:14 | 日記


本日は、マイルス・デイビスの「枯れ葉」
音楽を聴きながら写真を見て頂けると嬉しいです。




村上春樹の小説「風の歌を聴け」の中に、主人公の僕が「<ギャルインキャリコ>の入ったマイルス・デイビス」のレコードを買うシーンがある。
このとき、僕は3枚のレコードを買い、あとの2枚は「ボブディランのカルフォルニア・ガールズ」「ベートーベンのピアノコンチェルト3番」であったが、これらのどの曲も私は知らなかった。そこで、YouTubeで調べたところ、ボブディランのカルフォルニアガールズがあった。ベートーベンのピアノコンチェルト3番もあったが、こちらはあまりいい演奏ではなかったのでUPしなかった。そのまま、もう1枚のマイルス・デイビスの曲を探すのを忘れていた。そこで、今日、やっと探してみたところ、すぐに見つかったが、どうも「ギャル・イン・キャリコ」っていうのは、あんまり好きじゃなかった。そして、そこで同じマイルス・デイビスの「枯れ葉」を見つけたので、これは季節もちょうどいいと思って、これを使わせていただくことにした。



写真は何日か前に写したもので、枯れ葉というには、枯れ方がちょっと足りないようだが、手元にある写真の中では一番雰囲気がよさそうなので使ってみた。
枯れ葉といえば、イヴ・モンタンの歌もあるが、それよりも、トランペットとサックスがいい感じだなと思った。そうか、トランペットがマイルス・デイビスで、サックスがキャノンボール・アダレイという人のようだ。金管楽器は結構好きです。
マイルスデイビスって、こういう人だったのか。名前はよく聞くけど、恥ずかしながら知らなかった。1つ勉強。

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一段落して、木の実掲載

2010-11-28 19:42:49 | 日記


昨夜の徹夜は、朝の5時くらいまでやった。寝ようとしたら、なんだか寒くて眠れなくなった。毛布を1枚足して、寝つきは悪いものの、そのうち眠りについた。8時ころ夫が出勤するので目を覚ましたが、夫は勝手に朝ごはんを食べて出かけていった。夫が出かけたあと、また2時間ほど寝て、10時15分に携帯の目ざましで起き、またレポートをやった。今日は夫がいなかったので、妨害されずに済んだ。
今夜も夫は泊まりで仕事なので、自分勝手にできる。家事がたまっているけど、休憩してから少しやろう。やはり、睡眠不足で調子が出ない。
まだ、課題が1科目残っているので、明日中にやらなくてはならない。
ところで、この赤い実はなんなのかな?昨日散歩して見つけたもの。

あとは、ピラカンサと柿

 

柿は、葉がほとんど落ちた木もありますが、この木はけっこう残っていますね。
ピラカンサは、浮間舟渡の放送大学の入口のものです。(もともとは小学校)。
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徹夜

2010-11-28 01:33:24 | 日記
 

徹夜してもできるかどうだか、大きな壁にぶち当たっています。今日はとてもいい天気で、午前中ちょっとだけ散歩に出ましたが、その後レポートにかかってます。
でも、考えが文章にうまくまとめられず、昼寝をして休憩したり、夕飯のあともまた夜寝をしたりして、全然はかどりません。いやだから寝てしまうのかな。そんなに寝たのにまた眠たくなる始末です。
夕飯の材料を買いに夕方また外に出ました。車が停まってます。車を見ると運転しなくちゃという反応が、条件反射のように出てきてしまう。そして、焦る。昨年、免許をとってからというもの、そのビョーキは始まった。それは、一種の強迫観念のようなものでもあります。これは、一生続くのかな。
でも、車に乗っているどころではないので、1週間くらい乗らなくたって大丈夫だよと自分で自分の気を落ち着かせるしかありません。これは絶対にビョーキです。
私にとって、車の運転は大きな挑戦だった。自動車学校の先生は皆、普通にはない「厳しさ」を持っていて、甘えやいい加減さは許さなかった。「お前のようなものに運転は許されない」というかのような空気。それを乗り越えたいという挑戦の気持ちはあったと思う。そして、それは今現在も続いている。まともなドライバーとして、その1人と認められたい。車に乗るときの一種の緊張は、ほかにはないもので、それは、なぜか、免許をとる時に刷り込まれてしまった。
夫は、車の運転をしないが、駐車場の車の運転席に座って合図確認のまねをしたりしている。そのときに、ジャージにサンダルのような格好である。いくら本当に車を運転しないからといって、そんなだらけた格好で運転席に座り、サンダルでブレーキペダルを踏むなんて私には考えられない。しかし、人の精神構造はどうにもならない。道路に痰を吐く男も信じられないが、それを何とも思うことのできない本人を、他人がどうこうすることはできないのだ。車に対して一種異様な意気込みを持ってしまっている私も、他からみるとおかしなものかもしれないが、これもどうにもならない。やらなければならない宿題は、どんどんやってしまえばいいものを、そこでぐずぐずしているのはなぜなのか、自分にもわからず、他人にはますます理解できない。
みんな、ビョーキだ。
自然は、人間をなぐさめ、安らぎを与える。でも、紅葉を眺めたからといって、やるべきことから解放されるわけではない。何を大げさなことを言っているのだろう。簡単なことじゃないか。適当に済ませることも一手かもしれない。要領が悪い。かまえるからできない。こんなことなら、初めからやらなきゃよかった。
昨日、変な夢を見た。受験までは未だ何カ月もあった。そうだ、中学1年から順に英語の勉強をしていけば、まだ間に合う、と思ってやり始めようとする夢。高校3年のはじめくらいに、中学1年からって、それは気の遠くなる作業。それでも時間はある。やる気になれば間に合う期間だ。いまだ、受験のトラウマ、英語のトラウマに取りつかれているらしい。こんな夢は昔良く見た。いつもこれから大学を受験しようとする夢ばかりだ。そして目覚めるとすでに関係ない年齢になっているのだ。
放送大学は普通の大学とは違う。それは明らかである。放送大学は生涯教育の意味合いが強い。これから職業につくための大学ではないし、専門家になるための大学でもない。教養学部だ。
また、いい加減支離滅裂になってきた。ただ、苦しみを避けるために油を売っていただけですよ~
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