山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

このごろ思うこと

2010-11-21 09:46:55 | 日記
 このごろ、手軽に写真が載せられることから、ついつい画像を載せてしまう。そのほうが手っ取り早く内容を伝えられ、わかりやすいと思えるからだ。でも、それでいいのかな?と疑問に思うこともある。安易な方法をとっているからであって、書く方は画像の情報に頼り、読むほうは、時には画像の情報に囚われることがある。
 画像は過不足なく情報を伝えるわけではない。画像の中に含まれる別の情報が独り歩きするとも限らない。画像に目を奪われて文章の内容が正確に頭に入らないこともあろう。そんなわけで、なんでもかんでも画像を載せればいいというものではなさそうだ。

 でも、やっぱり“紅葉”などは、画像を載せたくなるものですね
昨日は、近隣に紅葉を探しにでかけました。今週を逃したら、来週はもう落ち葉になってしまいそうです。観光地に行くヒマがないので、街中で間に合わせましたよ。

川辺の遊歩道

 

運動場

  

桜の落ち葉

 

イチョウは、まだ緑ですが、桜は色づいて、かなり落ちちゃってます。
なんか、単なる観察日記になっちゃいました。

今日は、ドライブに行きたいところですが、放送大学の課題もあるし、午後から友人とも会うので、自宅で掃除でもしようと思います。
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あれっ?

2010-11-21 09:05:10 | 読書


 さくらももこの『たいのおかしら』を読み終えた。結局、昨夜は眠くなってしまい、朝起きてから読んだ。引っ越しのことやら、家族のことやら、私の体験に似ていることが多くて面白かった。ああ、これでめでたく友人に返すことができる。
 先日、この本のことを長女に話したら、「さくらももこの本、家にもいくつかあるでしょ」と言っていた。引っ越すときに古い本は色々処分したが、きれいな本と思い出深い本だけは捨てずに持ってきた。そのなかに、『さくら日和』という青い本があったのは記憶している。娘たちの本は、私の部屋の本箱に無作為に収納してあるので、近いうちにそれを読もうと存在を確認した。そうしたら、なんと、本箱の中の『さくら日和』の左3冊めに『たいのおかしら』があるではないか! 自分で持っている本を借りてしまったという失態だった。
 もっとも、この本は私が友人に貸してくれと頼んだわけではなく、友人が勝手に持って来たのだが、「家にもある」と認識してないんだから、どうしようもない。でも、友人のおかげで読む事ができてよかった。こんなことでもなければ、家にあってもずっと読まないままになっていただろう。それに、この本の内容について書きたいこともあるので、その時には、自宅の本を開いてみればいいわけだ。
 この本、1993年に出版されたもので、17年も昔のもの。今は、もっと新しいエッセイが出てるんだろうな。ちなみに友人から借りた本には200円のシールが貼ってあり、古本屋で買ったものだということがわかる。そういえば、私が先日ブックオフの百均で本を買ったときも、さくらももこのこれらの一連の本が100円で並んでいたっけ。
 古本の回し読み。それが一番経済的だね。
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『たいのおかしら』読書中

2010-11-21 01:53:28 | 読書
昨日に引き続き、『たいのおかしら』を読み続けている。4分の3くらいまで読んだから、明日の朝までには読めると思う。
そこで、ちょっと休憩だ。
さくらももこのエッセイは、ちびまるこちゃんの世界そのもので、飾ることなく、テンポが軽く、面白い。
ちびまるこちゃんが、そのまま大人になっただけで、中身は全然変わってないね。

このひと、1965年生まれの、静岡県人ということで、以前にも書いたことがあるが、私よりちょっと若いけど、世代もそんなに変わらないし、同じ静岡県人の言葉っていうのが、すごく親しみを感じる。
「あんた、~~だよ。」
人を「あんた」と呼び、語尾は「だよ」という地域である。
そして、静岡県人って「なまけもの」なんだよね。
って言っちゃうと、そんな特徴はない、何の根拠があって・・・と言われるかもしれないけど、まあ、私個人の印象だ。
私の周囲にそんなに勤勉で働き者の人間はいなかった。あんまり立派な人間もいなかったなと思う。耐え忍ぶ人もいないし、人に心底尽くす人もいないよ。
そして、人間とは、滑稽なものだ。それが事実。
静岡の人間は、動物を買う。魚を買ったり、犬ネコ飼ったり、鳥飼ったりして、にてるなと思う。そうやって育ってきたんだ。
受験勉強なんかしたこともない。
お受験だなんていって必死に子どもを塾に行かせている東京人、それに従って勉強する子どもなんか、信じられないよ。
私もさくらももこさんみたいに、17歳まで遊んでいた。
18歳になったのが、1月の半ば過ぎで、それから必死に受験勉強したけど、もはや遅しであった。バカだね。
さくらももこは、漫画家になるため、18歳からは怠け者ではなくなったそうだが、私は50歳まで怠け者だ。ただ、怠けものではあるけれど、食べるために働いてはいる。好きなことには熱中する。
さくらももこが働いているのだって、義務で働いているわけじゃなかろう。その仕事が好きだから一生懸命やっているに違いない。
やっぱり、何といっても、きどらないところ、素のままのところが好きだな。
東京の人がみんな気取っているわけじゃないだろうけど、「わたしはまともです」みたいな空気はあるように思う。
だからハッタリが必要だったりするな。
能も爪もないけど、爪を隠している能ある鷹のフリをしなくちゃいけないわけさ。
本音を言ったら、中身を見透かされる感じかな。
田舎の人は本音を言うと本音が返ってくるけど、東京の人はそうではない。
本音を出したほうが馬鹿を見る。
こう思うと、結構日常神経使っているなと思う。
本音を言わない人間が多いかもしれない。
それは、たまたま自分を取り巻く人たちが、そういうタイプなのかもしれない。
それに対して、この『たいのおかしら』を貸してくれた友人は、数少ない本音で語るひとだ。
ちなみに、出身は神奈川かな。
ま、出身地によって人間が区分できるとは思わないけど、さくらももこは多いに静岡っぽいと、私は思う。



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