うちの娘たちは3歳違いなのだが、次女は長女と同じ年齢の人と話したりかかわりを持ったりする機会があるらしい。それで、今日次女の話によると、その人たちは自分の姉よりももっとずっと知識があるのだとか言っていた。ふ~む。
それはうなずける。だいたい長女は全然本を読まない。趣味と言えば食べることばかり。だから、知識や情報も少ないに違いない。それでも、世事に疎い私に比べると、私の知らないことをいろいろ知っている。食道楽だから、私が聞いたこともないような外国の食材なんかを知っていたりするのである。
次女は映画などが好きなので、その原作や作家のことなども知っているようである。私の知らない現代作家の名前等がどんどん出てくる。
そうすると、私が一番何事に対しても知識がないように思える。
長年生きていれば、それだけ物事をよく知っているのは当たりまえだが、そうではない。
会社でも、若い人たちの方が、いろんな知識がある。
なぜなんだ~~~~。
知らないということは恐ろしいことだ。意味のあるものまで無いものとしてしか受け取ることができない。
例えば、村上春樹の小説を読むと、知らない曲名なんかが出てくる。それをする~~っとことごとく読み飛ばしていき、村上春樹の小説ってなに書いてあったんだか、何にも後に残らない、等と思っている。
でも、近頃You tubeというものがあって、曲名を入れるとすぐにどんな曲かがわかって便利だ。
そこで、このまえ「べートーベンのピアノコンチェルト3番」っていうのを知りたいと思って検索すると、それを演奏している映像を視聴することができた。Wikipediaで調べると、ベートーベン唯一の短調のピアノコンチェルトであり、初演はベートーベン本人が演奏したとか書いてあった。
唯一の短調といえば、なんか他にも記憶があるぞと思った。
やはり村上春樹だ。あれはハイドンだった。あれは何だったかな、そう、あれは「1973年のピンボール」だった。山茶花のある道を歩いて行くとハイドンのピアノソナタト短調が聴こえて来たとかいう話(その時のブログ記事「山茶花?」)だ。(あの小説、結局全部読まないで図書館に返しちゃった。)
最初は、村上春樹が「唯一の短調」ってのが好きなのかな?と思ったのだが、先はまだあった。
ベートーベンのピアノコンチェルト3番は、「風の歌を聴け」の主人公が、友人に誕生日プレゼントとして贈ったレコードである。本人はレコード店でそれを買う時に、女の子の質問に答え「聴いたことがない」と言っている。聴いたことがないのになぜその曲を指定しているのだろう。レコード店の女子が「グレン・グールドとバック・ハウスどっちがいいの?」と聞くと、主人公は迷わず「グレン・グールド」と答える。
グレン・グールド。これをまたyou tubeで調べる。
そうだったのか!!!グレン・グールドは天才的なピアニストであるが、ちょっと変わっている。その特徴は、まさしく、彼の親友にふさわしいピアニスト、いや思想家だ。グレン・グールドでなければならなかったのだ。しかも、彼の独奏ではなく他の楽器との協奏曲がいい。
「風の歌を聴け」には「牛」がある意味を持って登場している。
そして、グレン・グールドは、牛に向かって歌を歌う少年でもあったのだ。
You tubeに感謝します。
大した意味のない小説 読んだ後に何も残らない などということは、何も知らないから言えたことだった。
そして、こんな例はこれ一つではなく、私が気付かないで読み飛ばしていることは、作品の中にいくつもあるに違いなかった。
また、このようなことは、多くの読者にとってはわかりきったことなのかもしれなかった。
牛があってグレン・グールドではなく、世に知られたグレン・グールドのエピソードがあるがゆえに、牛を小説に登場させているのかもしれないのだった。
それはうなずける。だいたい長女は全然本を読まない。趣味と言えば食べることばかり。だから、知識や情報も少ないに違いない。それでも、世事に疎い私に比べると、私の知らないことをいろいろ知っている。食道楽だから、私が聞いたこともないような外国の食材なんかを知っていたりするのである。
次女は映画などが好きなので、その原作や作家のことなども知っているようである。私の知らない現代作家の名前等がどんどん出てくる。
そうすると、私が一番何事に対しても知識がないように思える。
長年生きていれば、それだけ物事をよく知っているのは当たりまえだが、そうではない。
会社でも、若い人たちの方が、いろんな知識がある。
なぜなんだ~~~~。
知らないということは恐ろしいことだ。意味のあるものまで無いものとしてしか受け取ることができない。
例えば、村上春樹の小説を読むと、知らない曲名なんかが出てくる。それをする~~っとことごとく読み飛ばしていき、村上春樹の小説ってなに書いてあったんだか、何にも後に残らない、等と思っている。
でも、近頃You tubeというものがあって、曲名を入れるとすぐにどんな曲かがわかって便利だ。
そこで、このまえ「べートーベンのピアノコンチェルト3番」っていうのを知りたいと思って検索すると、それを演奏している映像を視聴することができた。Wikipediaで調べると、ベートーベン唯一の短調のピアノコンチェルトであり、初演はベートーベン本人が演奏したとか書いてあった。
唯一の短調といえば、なんか他にも記憶があるぞと思った。
やはり村上春樹だ。あれはハイドンだった。あれは何だったかな、そう、あれは「1973年のピンボール」だった。山茶花のある道を歩いて行くとハイドンのピアノソナタト短調が聴こえて来たとかいう話(その時のブログ記事「山茶花?」)だ。(あの小説、結局全部読まないで図書館に返しちゃった。)
最初は、村上春樹が「唯一の短調」ってのが好きなのかな?と思ったのだが、先はまだあった。
ベートーベンのピアノコンチェルト3番は、「風の歌を聴け」の主人公が、友人に誕生日プレゼントとして贈ったレコードである。本人はレコード店でそれを買う時に、女の子の質問に答え「聴いたことがない」と言っている。聴いたことがないのになぜその曲を指定しているのだろう。レコード店の女子が「グレン・グールドとバック・ハウスどっちがいいの?」と聞くと、主人公は迷わず「グレン・グールド」と答える。
グレン・グールド。これをまたyou tubeで調べる。
そうだったのか!!!グレン・グールドは天才的なピアニストであるが、ちょっと変わっている。その特徴は、まさしく、彼の親友にふさわしいピアニスト、いや思想家だ。グレン・グールドでなければならなかったのだ。しかも、彼の独奏ではなく他の楽器との協奏曲がいい。
「風の歌を聴け」には「牛」がある意味を持って登場している。
そして、グレン・グールドは、牛に向かって歌を歌う少年でもあったのだ。
You tubeに感謝します。
大した意味のない小説 読んだ後に何も残らない などということは、何も知らないから言えたことだった。
そして、こんな例はこれ一つではなく、私が気付かないで読み飛ばしていることは、作品の中にいくつもあるに違いなかった。
また、このようなことは、多くの読者にとってはわかりきったことなのかもしれなかった。
牛があってグレン・グールドではなく、世に知られたグレン・グールドのエピソードがあるがゆえに、牛を小説に登場させているのかもしれないのだった。