山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

くじけないでがんばろう

2010-11-11 23:10:46 | 日記
昨日、ある社員さんから、同僚と私に非日常的な作業(資料作成)の依頼があった。仕事内容は2人宛てのメールに記載され、同僚は休みだったので、私が先に内容を知ったということになる。期限は今週中。

ところが、昨日は忙しく、全然手がつけられなかった。同僚が休みだったので、本来同僚が担当するはずの仕事も1件(約2時間所要)回って来てやっていた。
今日も昨日に引き続き書類がたまって馬車馬状態だった。依頼された作業は明日にならないと手がつけられないが、明日期限の他の仕事も3件ほどあり、かなり苦しい。

ところがだ、同僚は出勤すると、さっさと依頼の仕事を片付けて、依頼者に作った資料を提出してしまったのだ。
なんか、いかにも「できる人間」って感じ。

私はいったい何をやっているのか?
「あの人、毎日いるのに仕事遅いね」とか、
「いればいいってもんじゃない」なんて思われそう。
いや、実際言われたことがある。

フルタイムで働いているパートは、社会保険料や所得税が引かれて、同じ金額の心付けをもらっても、短時間働いているパートさんより手取り額が少なくなってしまうので、せめて手取り額が同じになるくらい金額を上げてくれないかと交渉したことがあった。
そうしたら、「長い時間いればいいってもんじゃない」って、実際に経営陣の1人から言われたことがあるのだ。

そういう目で見てるんだね。
しかし、週5日働く者の手取り額が、週3日働く者の手取り額より少ないなんて解せないよな~。

なんか、いつもこんなことをしているよ。
スーパーで品出しと発注をしていたときも、同僚が休みで2人分やっていたら、
「今日は人数少ないんだから、早く終わらせて早めに次の仕事にかからなくちゃだめでしょ、そんなこともわからないの?!」とどやされたことがあった。
2人分やっているから遅いんじゃないか。

ふざけんな~~~~~~~

報われないな~

人間はわかっちゃくれないが、神様だけが見ている と思おう。

今年は、正社員もボーナスがほとんど出ないらしい。
厳しい状況だ。
パートタイマーにはボーナスの代わりに「心付け」という微々たる額が支給されていたが、それも今回はないだろう。ちなみに、夏は例年の半額だった。

それでも、働かせてもらっているだけ、いいかもしれない。
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本当に好きなものは何だろう?

2010-11-11 18:35:38 | 日記
何をすればまんぞくできるのだろうか?
自分は何を望んでいるのだろうか?

そんなことがわからなくなる。
自分が何を食べたいのかも定まらず、スーパーで買い物をしながら、本当に食べたいものは何なんだ~?と、目をつぶり精神を統一して考えてみるが、てんぷらそば?餃子?寿司?フライドチキン?スパゲッティー?
結局定まらず、わけのわからないものを、あれこれ買って帰って来る。

自分が何かに納得できるとしたら、それは、何かをやって達成感が感じられるときだろう。
例えば、1週前の「フリーター、家を買う」で、みんなで汗水たらしてへとへとになって働いて、道路の舗装が納期に間に合った場面とか、そういうときに、達成感や満足感が得られるんじゃないかと思った。
そういうことが、今の生活にはほとんどない。一番近いものと言えば、団地の外掃除で、みんなで草取りをして、建物の周囲がきれいになったときくらいかな。

高校生の頃は、演劇部だったから、やはり文化祭や演劇祭で公演が終わったときに達成感があった。みんなで力を合わせてものを作り上げるというのは、すばらしいことだ。
そういう体験をしてみたいものだ。

また、支離滅裂。

1つは、外から与えられた課題でも、それが達成できたときに、満足が得られるのだと思う。
もう1つは、本当に自分が欲しいものが得られれば、それは幸せかもしれない。

例えば、「おいしいウニ食べたい」なんて思ってるけど、そんなもの高くて買えない。
家が欲しいと思うけど、当然高くて買えない。センスの良い服も欲しいと思うけど、やっぱりお金がないから、高級なセンスの良い服なんか買えないし、そんな店にも入れない。
いつも、現実の中で妥協するうちに、自分が何を望んでいるのかわからなくなる。
本当に自分が好きなデザインはどれなのか?
もし、予算とか所持金とか、そういうこと考えないで物を選べる環境だったら、自分はどんなものを好んでいるのだろうか。
どんな趣味をしているのだろうか?文化センターとかにも通っているんだろうか?エステに行って容姿を磨いたり、ジムに通って理想の体型を維持したりしているんだろうか。

別に、お金持ちにあこがれているわけではないけれど、自分が何を望んでいるのかわからないというのは、自分が望んでも実現できないことを最初から求めなくなったからなのかもしれない。

人間は誰しも妥協の中で生きているんだ。何もかも思い通りになんかならない。
自分の「本当の本質」というのは何なのだろうか?
それは、現実の中ではありえない本質であり、結局は「幻の本質」だから、意味がない。
趣味の悪い服を着て、食べたくもないものを食べている、その現実の姿が私の本質。

そして、自分自身、自分に失望するのは、
例えば、「あのバッグほしい」などと、高級なお店で自分の大好きなものを見つけて、それを買うために頑張れる自分だったら、素晴らしいと思う。
残念なのは、「あれほしい」「あれが好きだ」と思えるものさえ見つけることができない自分だ。

何にたいしても、夢も情熱も持てなくなってるってことかな。
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