山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

2日連続残業

2012-07-21 02:39:44 | 日記
何だか急に忙しくなって、大変なことになっている。仕事の量がいつもの2倍はある。
1日3件くらいやってた書類の点検が6件くらいあったりして、もう死にそうだ。
朝は早めに出てやり、昼休みも半分くらいは仕事にあて、夕方も2時間近く残業している。
退勤時刻を1時間過ぎてから、新しい仕事にかかるなんて、今までにはなかったことだ。昨年末、同僚が退職してしまったので、今は頼るひともいないが、今年になってからは、これほど忙しい事態は起きたことがなかった。勤務時間が減らされていることも、忙しい時に一気に仕事が溜まってしまう原因かもしれない。

仕事中は、なんとしてもやらなくてはと気が張っていたので、なんということはなかったが、帰宅するとどっと疲れた。
帰りにスーパーで、残業代も入ることだしと思い、自分への褒美として、プリンアラモードを買った。それから、ノンアルコールビールと中華総菜3種入り(海老チリ・鶏からあげ・カニ玉)も買った。今夜は夫がいないので、何も作らずそれらを食べればいいのだ。これらの3種を同時に食したので、なんかすごい変な組み合わせだった。プリンアラモードを食べながらビールってのは、かなりおかいしい。
ビールだとアルコールで寝てしまうと思って、ノンアルコールを買ったのに、それにもかかわらず食事中に突然疲れてきて、8時前に隣の部屋に行って寝てしまった。台所のテレビは「ペケポン」を見ていて、つけたままだった。中村俊介と風間トオルが出ていた。9時から浅見光彦シリーズをやり、その人たちが出るので、見ようと思っていた。目を覚ますとそのドラマがすでに始まっていた。それまでも、テレビの音だけが時々聴こえてきていた。
プリンアラモードは半分冷蔵庫に入れてあり、ごはんと鶏の唐揚げとノンアルコールビールがテーブルの上に残っていた。ご飯は、2分電子レンジで温めて食べる真空パックのやつで、そのまま蓋をはがして食べていたので、残った半分がカチカチに干からびてしまっていて食べられなかった。ビールはちょっと温まっていたけど残りを飲んだ。唐揚げも残りを食べた。プリンアラモードも全部食べた。

外は雨が降っていて、かなり寒い。家中の窓を閉めた。テレビドラマは途中で意味がわからないので、見るのをやめて、その後、蓮池さんの「半島へふたたび」を読んだ。そしてブログを書いた。この2日間、おそろしくアクセスが減っている。訪問者数が多めの時に比べると100人くらい少ないが、それにも増して、閲覧数が激減しているのに驚いた。いつも2000くらいのところ700しかないから3分の1くらいだ。読む人がかなり減ってしまったようだ。
いったい何が起こったのだろうか?
記事を書いていないと減るのは当然だが、記事は毎日書いている。書いていることが、よほどつまらないのだなあ、などと思う。

確かに、あんまり面白くない生活だ。

蓮池さんの本にかいてあったが、人生は、前半が20歳まで。
その後は20歳から40歳が中期で、40歳から60歳までが後期だ。
韓国の占いでは、人生を3つの期に分けるとのことだ。
60歳からあとは、もう自分で新たに何かを築いて行くほどのパワーはなさそうである。
そうなると、50代の私は、後期の半分を過ぎているので、残りの10年弱くらいしかないことになる。その間に何をするべきか?最後の勝負の時期なのかもしれない。

私の会社に70歳を過ぎても活躍している嘱託の方がいらっしゃるが、その人が今現在やっていけるのは、過去の積み重ねがあるからに他ならない。やるべきことをかつて人並み以上にやって、それを身につけているし、健康管理もしっかりしているからこそ、老齢になっても、活動的に行動できるのだろう。
それが、若い時からちんたらやっていて、何もしないで来たのだったら、年寄りになって急に有意義な人生など送れないし、そんなになってから何か技術を身につけようとしても無理である。60歳までにきちんと成し遂げなくてはいけないのだ。

50代の人のための本などを読むと、もう「刈り取りの時代」と書いてあるものが多い。
すでに人生に結論が出てしまう年代であるのだ。
でも、あきらめるのはまだ早い。60歳まではまだまだ成長の余地がある。

そう言えば、私の勤める会社は、60歳を過ぎると希望により再雇用され、70歳までは働けるらしい。それ以上の人は、特別な資格や経験がある人に限られるそうだけど、パートタイマーでも、元気で仕事が続けられる状態ならば、70歳まで働けるようだ。
なんか気の遠くなるような年月だけど、社会の高齢化が進むので、世の中はそういう流れになるらしい。仕事やめたら生活できないかもしれないので、慣れた仕事を続けられればそれにこしたことはないけど、実家の母もいるので、故郷に帰る選択肢もある。

どうなるのかな、この先。
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「半島へふたたび」を読み終えた

2012-07-21 01:03:03 | 読書
もう何週間かかったことか、それでもやっと本日読み終えた。
内容は、なかなか興味深かったのだが、いざ読もうとすると、目が疲れてしまっていて、読む時間があまりとれなかったのだ。
後半は先に読んでいたが、前半の韓国旅行についての部分をあとで読んだ。
韓国には行ったことがないので、想像しながらであるが、狭い路地の住宅地など、庶民の住む街や、中流・上流など様々な住宅地なども比べることができたら面白そうである。

韓国の文化、生活、風土。蓮池さんからみて、北朝鮮との共通する部分、全く違う部分。
日本の侵略に対するそれぞれの国の捉え方と、現代の人への伝え方など、日本人がふだんほとんど意識もしていないことで、本当は昔から深くかかわってきた国・隣の国として知らなくてはいけないことが多いように思った。

日本に暮らしていて、日本人が朝鮮を侵略していたという過去の歴史を伝えるようなものはほとんどない。今日、読んだ部分では、蓮池さんが韓国の刑務所だったところを見学した場面があったが、それが元は日本政府が造ったものであり、韓国の人を拷問などしていた歴史があるものだった。韓国の人々はそういうものを実感しながら暮らし、子どもは成長していく。日本人は、全くそういうものには触れないで大人になってしまう。
相手の国の人の立場になるとどうなのか、ということが理解できなければ、これからの友好なんか築けないだろう。

蓮池さんは、北朝鮮に長年拉致されていたという特殊な境遇をもつため、朝鮮半島が南北に二分される以前は、歴史を共通し、同じ文化を持つ国だったことを、肌で感じることができる。また、現代の韓国と北朝鮮の違いもよくわかる限られた人間であろう。そしてまた、日本と北朝鮮と韓国についても普通の人間以上にわかる貴重な人間だ。

戦争や歴史のとらえ方以外でも、3つの国の比較は興味深い。例えば、韓国の水田は、日本に比べてイネを密集させて植えてあるそうで、それは北朝鮮ではもっとひどいそうだ。そのため穂が垂れるほどのスペースもなく、イネの実る量が少ないのではないかと書いてある。日本では、苗と苗の間をかなり空けるので、栄養も行きわたるのではないか。こういうところに気がつくのは、新潟の人だからなのだろう。
文化や風土の比較についても興味深い部分が多々あった。

私も、これから少しずつでも、朝鮮半島のことに目を向けたり、小説など読んでみようかと思う。
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エアコンと軽自動車

2012-07-19 22:20:27 | 運転・車・道路の事
昨日、一昨日は非常に暑くて、夜は冷房を入れました。なぜか、昼間よりも夜のほうが暑くなってしまう我が家です。

きょうは、日中は最高気温の35度を超えたとかですが、夕方になるとめっきり涼しくなり、北側の玄関からは、冷風が吹き込んで、あまりの寒さに開けていられなくなってしまいました。全く、ウソのような涼しさです。

で、そのこととはまるで関係ないですが、今週の月曜日は、かなり暑くて、ついにエアコンをつけなくては、車の運転も厳しくなってきました。
それで、エアコンのスイッチを入れ、助手席に夫を乗せて走りますと、う~ん、かなりアクセルを踏み込んでも加速が鈍いですね。
やっぱり、軽自動車はきついです。

そんなわけで、「アクセル踏んでも加速しない」ことを前提に運転をしなくてはいけません。

車線変更して、びゅ~ンと行きたいところが、モタモタとなって、後ろの車が追いついちゃうなんてことがありがちなので、車間距離などを考えて運転します。

で、味の素スタジアムから甲州街道に出るときだったんですが、スタジアムの駐車場出口の左側、側道みたいなところに車が1台停まっていたので、そこを使うことができないので、出口で第一車線の車が途切れるのを待っていました。そうしたら、うちの車の後ろから駐車場を出て来た車があって、うちの車がちょっとした車列の合間にでないので、後ろからクラクションを鳴らしてきました。

でも、うちの車、絶対にいきなり60キロで走らないことわかっているから、無理に車道に合流できません。エアコンつけてなかったら出られる感じだけど、つけてると絶対に、車道を走ってくる車にブレーキを踏ませることになっちゃうよ。

そういう迷惑をかけたくないと持って、列が切れるタイミングをはかってるんだけど、駐車場を出る後続車にしてみると、これがまた迷惑なわけだ。
ま、だから軽自動車はトロトロしてるって嫌われてしまうんだろうな。

世の中、歩行者だって、すごい元気な体力のある若者や、よぼよぼのお年寄りや、いろんな人がいると思う。体の不自由な人には親切にしてあげなくてはいけない。やっと歩いている人がいたら、ちょっとじゃまだとは思っても、これみよがしに邪魔者扱いしたり、早く歩けバカなんて言わないだろう。でも、車っていうのは、なんか、結構シビアなんだ。
車だって、同じ道路を走っていても、車の性能として、早く走れない車があったり、スポーツカーがあったりいろいろだ。そして、運転するひとだって、すごいベテランや、初めて運転している人や、運転は苦手だけどどうしても走らなくちゃいけない状況の人がいたりする。だったら、お互いに妥協したり、折り合いをつけて、同じ道路を走らなくちゃいけないんじゃないだろうか。

なんて、ふと思った。もちろん、最大限迷惑はかけないように走る努力はしているけど。

私が第一車線に出て走りだしたら、後ろの車は、すぐ第二車線に出て、それから猛スピードで私を追い越してすぐ第一車線に戻った。いかにも・・・である。
第一車線に戻ったのは、そこですぐ左中央高速入り口に入るためだ。ほんの短距離である。抜かすと同時に高速へ入ってったって感じだ。何のために追い越してる?嫌がらせだ。そんなにも急いで、中央道に入りたかったのか・・・。私の後ろを走ってそのまま左に入ったところで、数秒の違いだろうし、それが自然だ。なのに、わざわざ第二車線から抜かして、第一車線に戻り左に入ったのだ。味の素スタジアムの駐車場を出るのに時間がかかったのはおまえのせいで、そのロスを取り戻さなくちゃならないという当てつけだ。

その直後、第一車線を走っていると、斜め右前の第二車線になんか微妙に速度が遅い普通車があった。初心者マークがついているけど、クルマはよく高齢者マークがついているような昔の型の比較的大きな車なのだ。

私もこのごろは、周囲の車がどんな感じに運転しているかが、把握できるようになってきた。あれは、ちょっと遅いかもな、と思っていると、案の定、その後ろの車が第二車線から、第一車線のうちの車のまえに車線変更したと思うや否や、その車を抜かしざまに、そのすぐ直前ぎりぎりのところでまた第二車線に戻った。もちろんウィンカーなんか出しやしない。出す暇などはないタイミングであり、もういやがらせとしか言いようがない。第一車線の私の前にも車が走っていたから、その車の後ろと第二車線の遅いクルマの前の間の隙間ギリギリのところをすり抜けて戻ったのだ。何も、そんな極端な動きをしなくてもよかろうと思うが、これみよがしにいやがらせをして、思い知らせなくては気がすまないのだろう。
ほんとうに、いやったらしい。

その遅い車は、たしかにゆっくりだったので、第一車線の流れのほうが速かった。追い越すときに、車内の人をみてみると、あきらかに、免許とりたての娘が、還暦を過ぎた親の車を借りて運転しているという感じだった。助手席には、年齢はわからないが男性が乗っていた。

遅い車が第二車線を走るのは迷惑と言えば迷惑だが、高速道路ではないのだ。その後、右折しなくてはいけない場合など、初心者は早めに右車線に移動しておきたかったりするのだ。また、何かのことで、第二車線を走ってしまっていたら、第一車線に移動するタイミングがなかなかとれなかったりすることも初心者にはあるのだ。だから初心者マークをつけているのではないか。そういう事情をわかってやってもいいのではないだろうか。遅いと思ったら、普通に車線を変えて、普通に進んで行けばいいではないか。

初心者マークの車に、幅寄せをしてはいけないというルールはあるが、煽り運転や、こんないやがらせもかなり悪質である。

思いやりをもって運転したいものだ。

軽自動車でエアコンつけてでは、一般道でもきついことがあるので、高速道路を走るのは真夏は絶対に無理。涼しい時に限ることがわかった。
それから、エアコンつけてると、スピードを出すために、アクセルをがんがんに踏み込むため、ガソリンをかなり食うような気がする。ガソリンの減り具合がいつもよりかなり早いように感じた。
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うちのカブくん

2012-07-18 21:07:31 | 日記


この子が、うちにやってきてから、もうすぐ1カ月くらい経ちます。
相変わらず監禁してますが、狭いケースの中でそれなりの生活を送っております。
日によって、すごく元気でパワー全開のときと、全然動かないときがあります。
元気な時は、たぶん明けがた、ケースの中の切り株や様々なものを移動させて、大改造をやってます。
そして、朝になると、どこにいるのかわからないところにもぐってます。



こうやって眺めてみると、意外と男前のほうではないかと思えます。
かわいい目をしていますよ。
体調は角なしで5センチくらい。角を入れると7センチくらいあります。
角は、グイッと形よく伸びてます。
身体は、なかなかの色つやです。
漆塗りの仏壇にも負けないような光沢をしています。



これは、カブちゃんのごはん。
普段は、人間さえも食べない498円のメロンを奮発して買ってしまいました。

昨日は、トマトにかぶりついてました。
やっぱりみずみずしいものがいいようですよ。

メロン後で食べようね。
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鰻より穴子

2012-07-18 18:29:56 | 日記


今日、テレビでやってたのをなんとなく耳にしただけなので、詳しい内容はわからないのだが、世界でウナギの数が少なくなっていて、これ以上捕ると絶滅するおそれもあるため、ウナギの捕獲が禁止されるかもしれないらしい。それから、アメリカではウナギを日本に輸出しなくなるとか?
それに対して、おいしいウナギが食べられなくなるのは困るとか、ウナギ屋がやっていけないとか、日本いじめだとか、いろんなことを言う人々がいたが、コメンテーターの1人は、ウナギを捕獲して食べている国としてちゃんと生態の調査をしてウナギの状況を客観的に把握しなくてはいけないのは当然であり、それを未だにしていなかったのは遅いと言っていた。全くその通りだ。
それに、ウナギが食べられないからと言って、日本人が飢え死にするわけではないのだから、いなければ食べなきゃいいだけのことである。日本人に米を食うなと言っているのではない。

日本いじめだと言っていた人は、クジラだのマグロだの、日本人が食べる物に限って規制をするのはなぜか、などと言っていたが、相変わらずマグロはいっぱい売っているし、クジラが食べられなくてもどうということはなかろう。
まったく、食べ物に執着心の強すぎる国民である。

牛のレバさしは、食中毒の危険性が高いので禁止されたが、禁止される直前に必死になって食べる人々。そのことで、本当に食中毒になっているバカがいた。危ないから禁止になるのというのに、わざわざ危険なことをする。
危険をおかしてまで生レバーを食べたいか。ウナギを絶滅させてまで鰻重を食べたいのか。

ウナギの稚魚が異様に少なくなっているというのは、もうずいぶん以前からで、そのせいで国産ウナギは非常に高い。以前見たテレビ番組では、業者が半日かけてやっと3匹の稚魚を捕まえたなんてのを見たことがある。それを育ててかば焼きにするらしい。ほとんどいないものを、捕りつくしてしまったら、本当にいなくなるのではないかとその時、心配してしまったのだが、「こんなに少ないのだから捕るのはやめましょう」という意見はなく、「どうしようどうしよう、ウナギが食べられなくなっちゃう」の一点張りだった。

我が家なんか、貧乏なので値上がりしたウナギなんかはすでに手の届かないものになっている。消費者はウナギが無くてもなんの不自由もなく生きていけるが、ウナギが無くては生きていけないのは、ウナギ屋さんである。
これはもう、原発が無くては生きていけない原子力発電所の会社の人や、原発があるがゆえに補助金をもらって潤っている原発地域の人々のようなものだ。ウナギ屋が生計をたてるためにウナギを捕らなくてはならないのだ。

原発がないと電気が足りなくなって産業や生活に支障をきたすっていうのは、現状では事実でもあり、代替エネルギーによる発電を考えなくてはいけない。しかしながら、太陽光や風力・地熱発電など、なかなかすぐにできるものでもない。
しかし、よくないものはやめて別のものにかえるのはあたりまえだ。

だから、ウナギも代替物を考えなくてはならない。レバ刺しでさえ、こんにゃくで代替物を作った。
ウナギの代替物。これが、意外に、そんなに難しいものではないのではないか、と私は思う。

以前から、アナゴはウナギに劣らずおいしいと言われている。
アナゴでいいじゃん。

私の親戚は、静岡県に住んでいるのだが、釣りを趣味にしている人がいて、しょっちゅうアナゴを釣ってくる。どこで釣ってくるんだか、沼津だか西伊豆だかよくわからないけれど、いっぱい釣れるらしいのだ。食べきれないものだから骨を抜いて冷凍にして何匹も持ってきてくれる。別に釣りの名人というほどではないから、アナゴはそのへんの海にいっぱいいいて簡単に釣れるらしい。

これを一般人は、ウナギのようなかば焼きにする術がないので、フライにしたり煮て食べたり、てんぷらにして食べたりするが、かなりおいしい。
アナゴがこんなにいっぱいいるんだったら、ぜひともアナゴのかば焼きを生産したらいいんじゃないかと思う。

しかし、不思議なことに、ウナギ屋ではアナゴ料理は取り扱っていないので、経路が違うのであろうか?

日本近海でアナゴがいっぱい釣れるんだったら、稚魚もたくさん居そうだし、養殖でもして太らして、安くておいしいアナゴのかば焼きをつくってほしい。

(写真は、我が家のある日の夕飯。もちろん穴子丼です。)
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JAF(多摩事務所)まで行ってみた

2012-07-17 23:48:17 | 運転・車・道路の事
日曜日は、夫と一緒に我が家の車で多摩市永山にあるJAFの前まで行ってみました。

JAFでは毎月、センスアップドライビング講習というのをやっていて、車庫入れとか、エコドライブとか、交通事故回避運転体験とか、いろいろな講習が行われている。
私は、1度「車庫入れ・縦列駐車」ってのにぜひ参加させていただきたいのだが、そのためには、現地に自分の車を持って行かなくてはならないのだ。
まずは、申し込んで、申込者多数の場合は、抽選か何かで決まるのだろうけど、もし参加できると決まっても、当日現地に自分で行けなくては困る。ということで、まずは、自分で行ける事を確かめてからでなくては、申し込みもできない。それで、意を決して出かけて行った。

今月は、18日(水)に講習があるのだけど、現地に行けるかどうかわからないから、申し込んでなかった。

JAFは地図でみると、鎌倉街道と尾根幹線道路というのが交わったあたりの一角にあり、尾根幹線道路というのは、鶴川街道の延長上に延びている。
最初は、甲州街道から鎌倉街道へと半時計周りに行ってみるつもりだったが、ナビをセットして甲州街道を走っていたら、下石原交番前で鶴川街道に曲がるように案内してきたので、それに従ってみた。

鶴川街道は、2年くらい前、初めて是政橋を渡ったとき、戻ってくるときに走ってきたことがあり、多摩川原橋も渡ったはずだった。記憶では、川のそばですごく渋滞していて、橋のあたりではアーチのように盛り上がって坂になっている部分があり、その途中で停まって待たなくてはならず、再発車するとき後ろに下がらないかと怖かったことだ。当時の印象では、川を渡る橋が盛り上がっているかのように記憶しており、変な橋だから通りたくないと思って、その後は稲城大橋を渡っていたのだった。

今回走ってみたら、アーチ状になってもり上がっているのは、調布市側の京王線の線路を超えるための立体交差部分であった。多摩川を渡る多摩川原橋は、平らで広々としていて、新しい。全く、自分の記憶と違っていて驚いた。4車線になって開通したのは2006年だというので、私が走ったときはすでに新しくなっていたわけだ。

今回は、調布市側から稲城市側に渡って進んで行った。矢野口駅のところでは、ボッケニャンドリさんのブログで見たように、南武線が高架になっていて、道路も広々している。その後、鶴川街道旧道とはべつに、新しい道がずっと広々と整備されて進んで行き、稲城中央公園のくじら橋の下を通った。「くじら橋」ってのは、歩行者用の橋らしいが、有名な橋である。今度、中央公園に行って見よう。
その後、多摩市に入り、地図で見ると「尾根幹線道路」という名前になっている。「卸売市場前」という交差点で鎌倉街道と交わっている。そこで右折し、またすぐ右折しろといわれたが、右折しそこない、次の指示で右折して、瓜生通りという坂道を登っていき、また右折して進んだ。

家を出る時、うちのナビには、JAFが名称・電話番号ともに登録されていなかったので、住所を入力してあったのだが、現地では、何もないところで到着したということで、案内が終了されてしまった。いったいどこにあるのかわからないまま、しかたなく、「自宅に帰る」をセットして走り始め、左折すると、ちょうとJAFの入口の前に出た。感激だ。



今回も目的地がみつけられないまま帰ることになるかと思った。自宅からは1時間半くらいだった。



そして、すぐそばに、大きなコインパーキングがあったので、そこに入ってみた。



すぐそばにブックオフの大きな店があって、駐車場はそこに直結していた。30分100円という安さだった。



ブックオフには、本だけでなく、洋服・おもちゃ・食器などのリサイクル品がいっぱい売っていて驚いた。1つのデパートくらいの大きさである。

お腹が空いてきたので、休憩を兼ねて何か食べたいと思ったが、飲食できるような店らしきものは、ブックオフの建物の中にも、その近辺には皆無だった。飲み物の自動販売機くらいである。
鎌倉街道沿いにちょっと歩いて、コンビニをみつけ、パンと飲み物を買って駐車場に戻り、車の中で軽く腹ごしらえをしてから、帰ることにした。



帰りは、鎌倉街道を北に進み、関戸橋を渡って甲州街道に出て、味の素スタジアムのロイヤルホストでランチを食べて帰った。ロイヤルホストはJAFの会員証で1割引きになる。
味の素スタジアムの駐車場は、やっと1カ所空いているくらいだったが、ちょうどうちの駐車場と同じ感じに入れる位置だったので助かった。

JAFのドライビング講習会場は、今月はその他に晴海旧国際展示会場というのがあった。晴海埠頭は距離にすると近いようだが、都心を通るのでちょっと気が引ける。でも、いつかは行ってみたいものだ。

とりあえずは、多摩地域をもっと詳しく知りたいと思う。多摩は土地もいっぱいあるし、本当に広々としているなあと感じる。
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いじめ事件

2012-07-16 00:54:14 | 日記
最近、大津中のいじめ事件のことがニュースになっている。
昨日、私は杉並区の散歩をしていて、「和田中」という学校に出くわしたとき、「テレビで新しい教育が話題になっている学校」ということだけアタマに浮かべて通り過ぎていた。

そして、今日になって、ブログに書こうと思った時、ふと、その学校の名前がわからなくなってしまった。

ちょっと考えたときに、「中野富士見中」という名前がアタマに浮かんだ。
何年か前にテレビで話題になった名前だ。
しかし、歩いたのは杉並だから中野富士見中ではないような気がしたが、名前だけが「中野」なのかもしれないなどと思い、その名前で検索してみた。

すると、とんでもない事実が思い出されてきた。
中野富士見中は、やはり中野区にあり、これは1986年に、いじめによる自殺事件が起きた学校だったのだ。Wikiによると、日本で初めていじめによる事件として社会に注目された事件と書いてある。鹿川くんという名前も覚えている。

あれから、26年もたっているのに、日本の学校は何ら改善されていないのか。全く残念なことだ。

そう言えば、中野富士見町というのは、散歩をした地域からそう遠くない場所にあるようだった。当事者だったこの学校は、今現在は統合されて別の名前になっているそうだ。過去の経験から、もういじめなんかあるわけないと思うが、全然別の日本の学校で、相変わらずいじめが行われている。

それにしても、人間の記憶のいいかげんさには愕然とする。
ある学校名を、自分が何で覚えているのか、わからないという実態。
その学校が良いことでマスコミに取り上げられたのか、悪いことで取り上げられたのかも、年月がたつうちにわからなくなってしまっている。

過去の事件のことをけっして忘れずに、教訓としていきていかなくては、何の進歩もないのに。


追記:7月19日

今朝、テレビを見ていたら、杉並区和田中の最初の民間人からの校長、藤原氏がテレビ出演し、いじめについて話していたが、そこで、中野富士見中の過去のいじめ事件のことにも触れていた。
実は、私は、上の記事を16日に書いてUPしていたが、今さら昔のことをほじくりだしては、中野富士見中にかかわる人たちに対して悪いかなと思って、この記事を非公開にしていた。
でも、今朝テレビを見ていて、やはり過去の事実について、学校の実名を出すことを避ける必要はないのだと思ったので、再び公開することにした。
それも、たまたま、私が名前が混乱してしまった和田中の先生が、中野富士見中のことを話していたのは驚きだった。和田中は新しい教育方法でいじめなどが起こらない教育環境を作っているのか、よくわからないが、たまたま先日散歩をした地域に関係があったことは、印象的である。
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思わぬ方南町散歩

2012-07-15 23:34:41 | 旅行・街歩き
昨日は自動車道路のことを先に書いたけど、歩いての散歩ゆえ、道路以外に発見したことがあったので、それをご紹介する。だが、実は、最初の目的地には到達せずに帰宅してしまった。車で目的地に到着できないのは日常茶飯事だが、歩いても着かないということがわかった。そうなると、これは運転技術の問題ではなく、根本的に場所を認識する能力が欠如しているらしいと思えた。やばい。

方南町交差点の写真撮影を終えると、私は環七に沿って歩いていった。目的地は環七に沿って20分くらい歩くと着くそうだから、迷いようもないのだ。



歩道には、このようにゴーヤを育てている家などもある。ここのゴーヤは、黄色い花がいっぱい咲いていてきれいだ。うちのように高層階のベランダの場合は、外側からこんなふうに見る事ができないので、その点は残念である。



さらに、進むと、川があった。善福寺川である。この写真の反対側には「環七地下調節池取水施設」というのがあるらしい。大雨が降った時に水を大量にためて洪水をおこさせないようにするもののようだ。環七通りに標識がついていた。
この写真の景色はかなり目を引くので、1枚写真を撮って景色を眺めた。
あれっ?
川が反対方向に流れている? どうして??? おかしいな・・・。
善福寺川の流れが、思った方向と逆なのだが、川っていうのはうねうね曲がったりするし、もしかしたらその取水施設なんかの影響で流れが違っているのかも・・・などと都合よく解釈して通り過ぎた。



そして、このあたりを過ぎる。



さらに進むと、右に「なんじゃこれ!!!」というような、ものすごい建物が見えた。

日本かここは?

思わず、環七通りを外れて、建物のほうに引き寄せられていった。

そういえば、このあたりは「佼成○○」という施設がいっぱいである。
学校・出版社・病院・駐車場・・・

大聖堂。きれいだけど、その大きさ、ものものしさ、異様さ、なんと表現すべきか。



このあたりは、「立正佼成会」の本拠地らしい。そういえば、方南町に立正佼成会があることは、なんとなく知ってはいたが、こんなすごい建物があるのは、初めて知った。

ところで、「立正佼成会」という名前はよく聞きはするが、いったいどういうものなのか具体的なことは何一つ知らない。「創価学会」みたいなものかな?と思って、ちょっとwikiなどで調べてみたら、「霊友会」から新しく別れたもので、「創価学会」ももとは「霊友会」からの流れでできたものらしいが、「創価学会」が「霊友会」と仲良くしていないのに対して「立正佼成会」は仲良くしているとかいうことだった。「霊友会」っていうのも名は聞いたことはあるが、内容は知らず、いずれにしても新興仏教のようなものらしい。
それで、インドのような建物なのだろう。



大聖堂に近づき、別の角度から写真を撮った。



その先には、「普門館」があった。



普門館は高校のときに、吹奏楽の全国大会を聴きにきたことがあった。20歳のころは、さだまさしのコンサートに来たこともあるはずだが、全く建物や景色に記憶がない。普門館も立正佼成会が建てたホールであることを、今回初めて知った。

環七通りから、かなり右にそれてしまった。こんなに道草を食っていたのではいつまでたっても目的地に着かない。立正佼成会の大聖堂の脇の路地を通って裏に回った。



ここでも1枚撮影。夾竹桃がきれいに咲いている。

そして、環七に平行して目的地方向に進んだつもりだった。



ポーチェラカがきれいに咲いていた。

このあたりに和田中があった。杉並区の和田中学校は、たしか民間会社の人が校長先生になって新しい教育をしている学校である。

それにしても、いつまで歩いても、杉並区和田だった。徒歩20分で着くはずなのにおかしい。とりあえず、環七通りに戻ろう。

路地から環七に出ると、正面にお寺のようなものが見えた。この辺は宗教的なものが多いのかなと思う。もう寄り道はしないで、写真も撮らずに環七を進む。



あれっ?この景色見たことある。左の5階建ての建物は、たしか都営住宅だ。その先には「セシオン」があるはずだ。ってことは、すぐ青梅街道だ。

はあ?

道路標識を見る。



右が新宿???

おかしい、南に向かって歩いていたはずなのに、どうして北に向かっているのか?
大聖堂を回っているうちに、方向音痴になった?
いや、そんなはずはない。
一度も、環七を渡ってはいないし、同じ方向に歩いてきたのだ。

狐につままれた気分だけど、現実は現実だ。
とりあえず、引き返そう。

それにしても、喉は渇くし疲れてきた。シークワーサージュースかなんか飲みたい。



幸いにも、環七このあたりの歩道は広く、高い街路樹が車道との境になって木陰を作っていた。
ビルのツル植物もみごとだ。





途中に工事現場があった。
建物を建てようとしていたところに、遺跡が出てしまったようで、建設現場ではなく、発掘現場となっていた。中は目線よりちょっと高い赤い囲いにおおわれてよく見えないが、土を掘って、丁寧に掘り出しているようだ。
遺跡が出ると、考古学的には喜ぶべきことだが、不動産的には「出てしまった」ということになる。建物の建設を一時中断しなくてはならないからだ。すごい遺跡が出てしまうと、何年も工事が中断されたり、建設が中止になってしまうことさえある。



ここに建つ予定のものは立正佼成会の病院であり、ここもまた立正佼成会の土地のようである。表示を見るとちょうど、7月14日土曜日の1時から、この現地にて学芸員による遺跡についての説明会が行われるとのことだった。弥生時代の住居跡が見つかったということだ。ついでだから、その説明会を聞いてみたいな、と思った。時刻は12時であり、あと1時間あった。どこかで、腹ごしらえでもしてくるか?

とりあえず、南に向かって歩き始めたが、ファミレスなどもないので、結局遺跡の説明を聞くのはやめて、方南町まで戻った。

そうだ、川が逆に流れるわけがない。自分が反対方向に歩いていたのだと初めて気がついた。

環七を代田橋方面に向かうバスが走っていった。
そうなのだ。本当は、方南町から環七に沿って南に20分歩き、和泉明店街の沖縄タウンに行こうとしていたのだ。
なぜならば、金曜の夜に「ぴったんこカンカン」で、あべサダヲが、沖縄タウンを紹介していたから、行ってみようかなと思ったのだった。

なんと、地下鉄から出た時に、すでに方向が間違っていたのだった。
方南町駅から、環七沿いを南に向かって歩いたつもりが、北に向かってあるいていたというわけだ。
20分くらいかけて方南町に戻ったが、それから改めて代田橋に行く気力はなくなってしまった。
とにかく、交差点の写真だけ撮り直して、自宅に帰ってきた。

全く、ウソのような半日だった。
沖縄タウンで沖縄っぽい写真を写し、沖縄の物でも買う予定が、立正佼成会大聖堂の見物となった。

地下鉄丸の内線に乗ってわかった道路との関係。
新宿=中野坂上=荻窪は青梅街道にあり、中野坂上=方南町間は、青梅街道と方南通りの間を斜めに進み、途中中野富士見町あたりは中野通りとの接点であり、終点方南町は、環七との接点であった。

ものすごく日に焼けた。歩数は12702歩だった。

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環状七号線(方南町近辺)

2012-07-15 08:38:21 | 運転・車・道路の事
次に、環七通りのほうを紹介する。



環七と方南通りとの交差部分、方南町交差点は、土曜日で歩行者や自転車も非常に多かった。上の写真は、南東側側道からとったもの。柵の下は、環七本線が走っている。



同じ側道を南側に向いて撮ったもの。路線バスは、側道を走っている。



↑環七本線は、立体交差しており、このように地下を走る。



方南町交差点より北側、本線と側道が別れるあたり。方南町交差点方向に向かって写したもの。土曜日11時過ぎくらいだったと思うが、交通量はかなり多い。
日曜日に環七を走っていると、意外にこじんまりしているような印象を受けるが、こうやって歩道から眺めると、やはり都内の幹線道路だなという感じがする。



大聖堂入り口の交差点あたり。歩道橋の手前の信号は、写真右からの道路が接続しているT字路である。



道路は、ゆるい上り坂になっている。さらに上がっていくと、青梅街道に近付く。
この写真は、たまたま車が全然いなかった一瞬。信号の関係でこういうこともたまにある。




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方南通り(方南町交差点付近)

2012-07-15 00:02:22 | 運転・車・道路の事

方南町交差点。 永福側(西側)から新宿側(東側)をみたところ。平面で交差しているのは、環状七号線側道。左(北側)に曲がると高円寺・練馬方面。

以前、初めて車で方南通りから環七に左折したことがあった(堀之内側から新宿方向に走り、高円寺方向に曲がった)が、その時は、この交差点の存在が前もってはっきり目視できなかったことと、その形状も直前位置まで進まないとわからなかったため、左折するのに、一瞬戸惑ってしまったことがあった。

それは、左折車線に駐車車両が並んでいて、前方が見えなかったことが原因だと自分では思ったのだが、自分の認知能力の欠如が原因でもありそうなので、今日は道路の状態を再確認してみた。

実は、今日は、地下鉄で方南町まで行ったので、地上に出た時に、なんと道路の方向を逆向きに勘違いしてしまった。それで、最初に、新宿方向(東側)から、西永福方向(西側)に向かって道路を撮影していた。



今日の写真でも、道路の左端に荷降ろしをしているパネルバンが駐車しているが、この辺りは、両側に商店が並んでいることもあり、駐車車両が複数停まっていることが多いようだ。
高さの高い車が駐車していることもあるので、前方の様子や標識などが見えない場合がある。また、路面の矢印なども、ちょうど駐車車両が隠していることもあり、普段通っている車ならなんら問題はないものの、初めて走る車にとっては、認知できるはずのものが出来ない可能性がでてくる。

上の写真では、駐車車両の前で、車線が2つにわかれていて、その前方に交差点がある。



車線を見てみると、方南町交差点より新宿側(東側)は、第1車線が直進と左折であり、第2車線が右折である。そして、対向車線は1車線しかなく、全部で3車線しかない。

次に、反対側(環七を挟んで西永福側(西側)の方南通り)から見てみる。これは、以前私が走った経路だ。



今日は、交差点よりかなり手前のコンビニ前の第1車線に、1台のタクシーが駐車していたのであるが、以前私が初めて走ったときには、複数の車が左折車線に駐車していた。そのため、この先の交差点で左折するには、左折レーンに移動しなくてはいけないのはわかるものの、実質、駐車車両をすべて超えてからということであり、その前方のどのあたりに交差点があるのかが、よく見えなかった。

上の写真の位置では、第1車線が左折、第2車線が直進と右折になっている。



さらに交差点に近づくと、、第1車線が左折専用、第2車線が直進専用、第3車線が右折専用車線となっている。対向車線は交差点付近では1車線しかないが、全部で4車線あるので、交差点の東側よりは1車線広い。地図を見ても、やはり、交差点より新宿側の道路が狭くなっているのがわかる。
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あり得なくない???この状況

2012-07-14 19:19:28 | 運転・車・道路の事
本日は、とある目的があって、方南町近辺に行って来たのであるが、そこでついでに、以前車で通ったことのある“方南町交差点”を研究してみた。

それで、“信号”を撮ったつもりの写真だったのだが、こんな写真があってびっくり仰天。



これって、スクランブル交差点ではないのだが、どうして人や自転車が交差点のど真ん中を移動しているのだろうか??????(ちなみに、歩行者天国をやっているわけではない。)

この交差点は、環状七号線と方南通りの交わる部分であり、写真の左右方向に延びるのが「方南通り」、写真の上下方向に延びるのが「環七通り」である。
環七の本線は、写真中に写っている柵の下(地下)にもぐっている。

写真左側に地上の側道が写っている。写真は、環七本線地下道にかかる地上の橋の部分に立ち、北から南方向を向いて写したものであり、方南通りと環七側道との交差点ということである。



環七側道の車線は左折と右折の2車線あり、バスと二輪以外は直進できないようになっている。

信号を見ると、赤信号の下に矢印でも出そうな■がついているが、実際には矢印信号が出ることはなく、青信号で側道同士の対向車との安全を確認しながら進んで行くという形になる。バスと二輪は直進してくるので要注意だ。赤信号になったあとは、右矢印がでないで赤のままだから、青信号のうちにどんどん右折しなくてはならない。



側道の信号が赤になると、歩行者信号が青になり、人や自転車がいっぱい出てきて、交差点内を埋め尽くすということになる。
この時、こんなに道路の真ん中を歩く人がいるということは、方南通りの信号も赤になっていて、実質、スクランブル交差点のようになっているらしい、ということがわかるが、
写真に写っている人や自転車を見ると、びっくりである。
地元の人なのであろう。


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ちょっと散々な一週間

2012-07-13 18:20:01 | 日記
今週もやっと終わった。
このあいだ、高速道路のことを書いていたら、思いのほか時間がかかってしまって、夜中の3時くらいになってしまった。
その翌日仕事に行ったら、ちょうど、他の会社から出張して来たお客さんグループがあって、いつもは応接室なのだけど、人数が多いので社員用の会議室が使われることになった。
その会議室が、私の働くフロアにあり、会議室の中を冷やすために、フロア全体をガンガンに冷やすことになった。
私たちはクールビズなのだが、お客さんは、ネクタイにスーツ姿であり、それに対応する社員もスーツになっているらしい。だから、かなりエアコンを強冷にしたわけだった。

もう冷えるのなんの、冷気で後頭部が痛くなってきて、肩こり激しく、目のしんとうが痛くなってしまった。寒くはないのだが、痛い。血のめぐりが悪い。血管が収縮しているという感じだ。

帰宅しても全然治らない。夜更かしのせいなのか、冷房のせいなのか、おそらく両方が原因かな。
バファリンを飲んで、首から肩にバンテリンを塗り、寝る時は湿布も貼ったのだが、翌日も治らず、昨日も続き、昨夜は目のしんが痛くて、いったん仮眠をとったりして、目を休めたんだけど、今日仕事に行ってもまだ、首の凝りも治らず、目の芯も凝ってる感じだ。

夕方になり、短い内容の書類チェックを終えて帰ろうと思っていたら、最後の最後で、おやっ?というミスに出くわした。それでいいのかわるいのか、調べないとはっきりしないが時間がない。
定時を30分すぎると残業になってしまうが、特に急ぎの仕事でもないから、残業にするわけにも行かず、しかし、3連休に入る前に担当者に返したかったのだが、どうにも時間的に無理な状況。結局、やっぱりあきらかなミスだったので、それについても記入しなくてはいけないが、記入をする時間はないので、やむなく途中で中断し、来週に回すことになった。

週の勤務報告書を印刷して提出する暇もなく、あわてて退勤する。

まあ、とにかく今週は終わった。
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「失敗予防の住まい学(第6章)」

2012-07-13 02:07:27 | 放送大学
放送大学の試験勉強をしなくちゃならないのだが、なかなか進んでいない。
何年か前、自分の家が欲しいと思っていろいろ住宅を見学したことがあった。それから、今後、宅建などとって、不動産関係の仕事に転職する可能性もあることから、住宅についていろいろ知りたいと思って、この科目を履修した。以前住んでいた集合住宅が非常に問題を抱えていたことが、この科目に関心をもつ理由の1つでもあった。

しかし、そもそも今現在の自分にとっては、あまり身近なことではないため、放送を視聴してもあまりピンとこないのだった。それで、すぐに寝てしまうのだった。

どうにも興味が持てないと思いつつ、こうなったら最初の授業から順番というのはやめにして、好きなところから始めようと、第6章の「共同住宅の構法」を見てみた。
これは初めて寝ないで済んだ。

今、近所でちょうど鉄筋コンクリートの建物を作っているところであり、普通なら周囲がシートで覆われているところながら、ちょうどこちらから見下ろす形で、シートの内側を見物することができるのである。

そこでやっているのが、この授業で習ったことによると「柱梁式の場所打ちコンクリート」というもので、「現場で組んだ鉄筋のまわりに、合板などによる堰板を用いた型枠を組み立て、そこにコンクリートを流しこむ(打設する)」という方法だ。
現場を見下ろすと、ちょうど放送大学で紹介していたこの方法のままだったので、すごく納得できグッドタイミングだった。

実は、仕事で鉄筋構造に関する文献を読むことはあるのだが、図面をみるだけで、実物を見るわけじゃないから、あんまりよくわからなかったのだが、この工事現場を見ると、柱は縦の何本もの鉄筋と、縦の鉄筋を囲うように水平の枠のようになった横の鉄筋があり、それらが板に仕切られた中でコンクリートの中に埋まっていく様子を見る事ができる。
階の区切り目では、さらに板が増えて、床部分に平らにコンクリートが流し込まれたり、いろいろ施工されているが、柱の鉄筋が足されてだんだん上に上がっていくようだ。今はこちらから見下ろしているが、そのうち見上げることになりそうだ。最初、冬の頃は、まだ更地で工事の人が地面の上に寝ころがって日向ぼっなどしていたのを懐かしく思い出す。

さらに、別のところで、個人の住宅が作られていたのを見たが、こちらのほうは「プレキャストコンクリート」というもので、あらかじめ工場で作られたコンクリートの壁を現場に持ってきて組み立てていた。その壁はかなり厚く大きく重そうで、クレーン車で設置していた。この家は、こちらから見下ろすことができる場所にあり、屋上にソーラーパネルが設置された。雪が降るとソーラーパネルの上に積もってしまうので、いつ融けるかと心配したりしてしまう。

この章では、床の衝撃音を緩和する方法とか、屋根の断熱材とかも色々と参考になった。
私が以前住んでいた家は、昭和30年代のものだったらしく、上の階の足音や排水音なども良く聴こえる建物だったが、今住んでいる建物は、かなり改善されているようである。

やっぱり、身近に具体的なものがある内容ならば、実感がわいて、勉強してもアタマに入るものだと思う。

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知らなかったこと2

2012-07-13 00:58:38 | 日記
映画料金のことを書いたのだが、どうやら車の保険もバカみたいに高い金額を払っているようだ。

うちには、23歳の娘が別居していて、その子は半年に1回くらい私の車に乗る。
それで、保険の年齢設定を23歳の金額に合わせているので、とても高い。

先日、ある人と話をしていたら、大学生の息子さんが地方の大学に入っており、家にある親の車を息子さんの住む地方に持って行き使わせているのだそうだ。親は親で新しく車を買ったというので、息子さんの車の保険は若いから高いでしょうというと、親の年齢に合わせてあるので全然高くないのだとのことだった。それでは、もし息子さんが事故などを起こした場合は適用されないのでは?と聞くと、大丈夫なのだそうだ。どうも不思議だ。

自動車学校の学科教習でも、子どもが免許を取って運転をするようになったら、忘れずに対象年齢を下げなくてはいけないと習ったはずである。

だが、ここで、保険に関係する子どもの年齢というのが、どうやら「同居している子ども」であって、つまり「住民票が親と同じ所にある子ども」ということらしい。
知人の子どもは、住民票を他県に持っていっているので、親とは同居していない。だから、車も日常茶飯事乗るわけではないという保険上の想定なのだろう。ところが、実は車まで子どもと一緒に引っ越していて、実質子ども専用の車なんだから、それはもうびっくりだ。

うちの場合は、全く逆で、娘はたしかに乗ろうと思えばいつでも乗りに来ることのできる距離に住んではいるが、別の家に住んでいて、仕事が忙しいので数カ月に1回しか乗らないのだ。その乗る距離も大した距離ではない。
だが、問題は住民票が我が家になっているのである。そうすると同居していて日常茶飯事車に乗るということで、保険料が高くなってしまうらしい。

なぜ、住民票が一緒になっているかといえば、我が家は公営住宅に住んでいるが、その家が娘を含めた3人用の家なのである。3人用といっても2DKなので、実は大人3人で住むことは実質狭すぎて不可能である。それで、娘は近所にアパートを借りて住んでいるのだが、その娘の住民票を一旦はずしてしまうと、娘は2度と我が家に戻ることはできないのだ。公営住宅は、家族全員の収入にかかる課税証明書から収入が計算されて家賃が設定されるが、うちの場合は、娘の収入まで換算されているため、非常に高い家賃になっている。でも、娘は安月給でまだ1人前ではないので、いざというときに娘が戻る家がないと困るから、住民票は外せない。

そんなわけで、高い家賃と高い車の保険料を律儀に(愚かに)払い続けているのである。

子どもの住民票が同じところにあると車の保険料が高いというのは、今回初めて知り、住民票が遠くにあれば、毎日親の車を運転していても保険料が安い、という抜け道を利用している賢い人がいることも驚きだった。

最近、保険会社によっては、主に運転する親の年齢に合わせて保険料を設定するものがあることを知った。保険の更新のときには、そっちのほうに変更したいと思う。

知らないと無駄な出費をすることが多い。
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知らなかった

2012-07-11 22:02:43 | 日記
映画って、夫婦のどちらかが50歳以上だと1000円だったのか・・・。

そんなこと知らなくて、60歳を過ぎるとシルバーで安くなるんだと思っていた。
だから、今まで、ずっと正規の値段でチケットを買って見ていたのだ。このサービスが始まったのが2004年からだというので、8年間も経っているが、8年前は夫はすでに50歳を過ぎていたのであった。

そんで、今回も、夫が60歳になっているので、60歳以上は1000円ですか?と聞いたら、夫婦だったら2人で2000円になるというので、てっきり片方が60歳以上だった場合は、妻も一緒に安くなるのだと思ったのだ。

結局のところ、整理してみると、
・夫婦50割引き  夫婦で片方が50歳以上の場合2人で2000円になる。
・シニア 60歳以上の場合、1人でも1000円になる。
というわけだ。

前回、映画館に映画を見にいったのは、昨年の10月の「モテキ」で、この時は、夫が普通の前売り券を1枚だけ買っており、それが1300円で、私は1800円払うもんだと思っていたところ、夫が60歳になったばかりで1000円になることを知って、私が夫の前売り券を使い、夫が当日1000円でチケットを買った。それで、得したと思っていたのだが、なんたることか、前売り券なんか買うことはないのである。

ずっとずっと8年前から2人で2000円でよかったなんて。
この8年の間、だいたい2人で割引チケット屋で前売り券を買っていたので、2600円は払っていたということだ。

それから、もし私が1人で映画を見る場合には、学割というものがあるのだった。私は大学生だから1500円だ。けど、それも活用したことがなかった。まあ、前売り券のほうが安いからだが・・・。

レディースデー1000円ってのがあるそうだけど、水曜日は仕事だから、仕事の後、夜1人で見に行くってのは、たぶんない。

それにしても、私たち夫婦はなんと世の中の情報に疎いんだろうか。

夫婦50割引きってのを昔から知っていたら、もっとたくさん映画を見てきたと思う。
全く、知るのが遅すぎました。
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