高速道路はだいたい高架になっていて、地上を走っていることは少ない。山の中などでは地上を走ったり、トンネルになったりしているけど、それは、高速道路を作るときに、周りに何もなかったからということだろう。都心では、他の道路や既存の電車の線路の上に作られたようだ。
と、最近再認識したのであるが、これも、ある程度古い高速度路のことで、都心にさらに自動車専用道路を新しく作るとすれば、もう地下しかないとも言える。
最近、ボッケニャンドリさんのブログでも話題になった「中央自動車道」のことなど考えていて、最初から都内(例えば府中近辺)では高架だったようだとは思ったものの、本当に最初の最初から高架だったのだろうか?という確証はなかった。
だいたい、中央自動車道はいつできたのだろうか?
という疑問が出てきた。松任谷由美が「中央フリーウェイ」の歌を作ったのもかなり昔のようだけど、そのころ出来たばかりだったのかな、と思ったりした。
Wikiで調べてみると、中央自動車道の調布―八王子間が出来たのは、1967年のことのようだ。全線となると、それは長い年月がかかったらしい。
一方、東名高速の東京―厚木間は、1968年であり、ほとんど同じくらいの時期だが、全体としては、東名のほうがずっと早くできあがったのだそうだ。
この2つはどちらも、東京―名古屋間をつないでおり、その距離もほとんど同じだそうだが、中央道のほうが起伏やカーブが多く、冬は凍ったりするので、走りにくいとのことだ。
中央道は、甲州街道に沿う位置を通っているそうだが、考えてみれば、既存の甲州街道そのものが高速道路になるわけがないので、それ以外の通路を新たに作りだしたということなんだろう。だから、高速道路(自動車専用道路)ってのは、そもそも道路がないところに出来るものなのかな。
東名高速では、用賀入り口で入った後、砧公園のところでは、すでに高架ではなく地上になっている。あのへんは山だからだ。中央道のほうでも、都内がずっと高架であるわけではなく、地上を走っている部分があるのかもしれない。
これからも、いろいろ研究したいと思います。
このごろ、構造物に興味があります。男だったら、絶対に道路や橋を作りたかったな。
やばい!朝になっちゃうから寝なくては・・・。
と、最近再認識したのであるが、これも、ある程度古い高速度路のことで、都心にさらに自動車専用道路を新しく作るとすれば、もう地下しかないとも言える。
最近、ボッケニャンドリさんのブログでも話題になった「中央自動車道」のことなど考えていて、最初から都内(例えば府中近辺)では高架だったようだとは思ったものの、本当に最初の最初から高架だったのだろうか?という確証はなかった。
だいたい、中央自動車道はいつできたのだろうか?
という疑問が出てきた。松任谷由美が「中央フリーウェイ」の歌を作ったのもかなり昔のようだけど、そのころ出来たばかりだったのかな、と思ったりした。
Wikiで調べてみると、中央自動車道の調布―八王子間が出来たのは、1967年のことのようだ。全線となると、それは長い年月がかかったらしい。
一方、東名高速の東京―厚木間は、1968年であり、ほとんど同じくらいの時期だが、全体としては、東名のほうがずっと早くできあがったのだそうだ。
この2つはどちらも、東京―名古屋間をつないでおり、その距離もほとんど同じだそうだが、中央道のほうが起伏やカーブが多く、冬は凍ったりするので、走りにくいとのことだ。
中央道は、甲州街道に沿う位置を通っているそうだが、考えてみれば、既存の甲州街道そのものが高速道路になるわけがないので、それ以外の通路を新たに作りだしたということなんだろう。だから、高速道路(自動車専用道路)ってのは、そもそも道路がないところに出来るものなのかな。
東名高速では、用賀入り口で入った後、砧公園のところでは、すでに高架ではなく地上になっている。あのへんは山だからだ。中央道のほうでも、都内がずっと高架であるわけではなく、地上を走っている部分があるのかもしれない。
これからも、いろいろ研究したいと思います。
このごろ、構造物に興味があります。男だったら、絶対に道路や橋を作りたかったな。
やばい!朝になっちゃうから寝なくては・・・。