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映画・演劇のレビュー

HPF閉幕セレモニー

2010-08-23 20:12:04 | 演劇
 今年もHPF閉幕セレモニーに行ってきた。毎年HPFを見せてもらった御恩返し(?)で、参加されて頂く。というか、本当は自分が楽しんでるだけなのだが。この夏HPFの舞台に立った高校生たちが一堂に会する晴れの場に参加できるのは何だか楽しい。

 今年のHPFは例年以上に面白かった。ちょっと頑張って10本(この数字は講評委員の22名の中で、第3位!)見たのだが、そのどれにもハズレがない。この確率の高さは凄いことだ。見られなかった13本の中にも、面白い作品が多数あったようで、なんだか嬉しい。

 大阪の高校生たちの小劇場演劇に対する理解がどんどん高まっている。その理由は明確だ。指導者の中に現役で小劇場演劇を手掛けている先生がどんどん増えていることと、このHPF(コンクールに於いても)で、高校生たちが現場で今、現在活躍している小劇場の作家、演出家と直に接する機会が増えたことによる。芝居に対する理解が、従来よりも格段に前進したからだ。実際、ウイングや、応典院という劇場で、プロのスタッフと芝居作りを体験したということは大きな経験になる。そんな経験値が高まると、芝居に対する彼らの意識も当然変わる。そんなこと至極当たり前のことなのである。

 さて、例年のことだが、演劇祭が終了した後、夏の終わりになって、ぽつんと閉幕セレモニーが開催される。なぜ、終了後すぐにやらないのか、よくわからない。だいたい終わって3週間も間があくと、いくらなんでも忘れてしまう。今回の講評のため、初めて自分のブログを読んだのだが、(書いたブログは自分では読まない。メモだから、書いただけで満足してしまうからだ。だが、今回読みなおして誤字脱字の多さに驚く。HPFの分は直しておいた)あまり参考にならない。しかたないから、思いつくまま、しゃべる。まぁ、いつものことだ。他の講評委員の人たちは凄いメモを用意していて、それを横目でチラッ、と覗き見る。ぎっしり感想が書かれてある。やばいなぁ、といつも思う。どうして僕はいつもこんな風にいいかげんなのだろうか。悲しい。でも、嘆いていても仕方ない。なるようになる、と自分の順番を待つ。

 僕はいつもこの調子だ。「春の演劇まつり」で、大ベテランの演劇人を前にしても、メモすら持たないでしゃべってしまう。時々かなり失礼なことも、言ってしまうが、みなさんは大人なので許してくれる。でも、そのうちとんでもない失敗をしそうで怖い。

 さて、閉幕セレモニーである。高校生たちを前にして、彼らが精魂こめて作った芝居についてたった3分で話をするのは、とても難しい。だが、与えられた時間が3分なら、きちんと3分以内でまとめなくてはならない、はずだ。なのに、講評委員のみなさんは熱くなりすぎて、完全に時間を忘れている人が多い。それってまずくないか? 当然よかれと思ってたくさん話すのだろうが、ここにはその芝居を見ていない人もたくさんいる。彼らも含めて観客である。僕らはその観客をひきつけるパフォーマンスをしなければならない。そのへんが、よくわかってない方も多々いたようだ。

 (例年のことだが)話をするのは、ほとんどが現役の演劇人で、さすがに彼らはエンタティナーだ。演劇をしていない僕をはじめとする数人がなんだか苦しい。でも、頑張らなくては。高校生たちはこの閉幕セレモニーで、先生ではなく、観客である大人の(しかも、外部の大人だ)意見を聞いてどう思うのだろうか。上から目線ではなく、同じ演劇人として話が出来たならいいと切に思う。

 ボランティアで参加し、忙しい時間をたくさん割いてここにやってくる劇団関係者の人たち、そして何よりこの企画に参加するスタッフのみなさんに感謝したい。彼らの無償の支えがなくてはこういうイベントは成立しない。もちろん顧問の先生たちの努力は言うまでもない。本当に楽しい時間だった。


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