車引きの少年が主人公。時代劇ではなく現代のお話。浅草周辺には観光客相手にした人力車がたくさんいる。吉瀬走は高校を中退して、ここで働いている。両親が家出して、ひとり取り残された彼は、偶然からこの仕事に就いた。高校の先輩が世話してくれたのだが。陸上部にいた。走るのが好きだった。高校を中退したくはなかった。でも、ひとりぼっちになり、身寄りもない17歳が授業料は払えないし、生きていくためには働かなくてはならない。
ちょっとしたメルヘンだ。現実にはこんなうまくいくわけがない。都合よくこんなにも優しい人たちが彼の周りにやってきて、助けてくれるなんてことはない。でも、そうだったらいいなぁ、と思う。世の中捨てたもんじゃない、と言えるはず。みんな脛に傷持つ人たちばかりだから、彼の痛みがわかる。わかるから、何も言わない。優しさって、そういうものだ。短編連作でこの車屋の人たちのお話が綴られる。親方や奥さん、先輩たち。
ここにいたら、癒される。傷ついた心がだんだん温かくなる。働き出して1年が過ぎていく。ずっとこのまま、というわけにはいかないかもしれない。でも、気づいたらずっとみんなでやっていた、ということになるのかもしれない。年をとっても、このメンバーで、一緒にいられたらいいなぁ、と思う。そんな優しさがここには溢れている。昨日見た『彼らが本気で編むときは、』もこの小説と同じようなことが描かれていたのだが、あの映画には何かが足りない気がする。それは生田斗真が女に人に見えないこと、と昨日は書いたけど、それだけではないことは僕が一番よく知っている。
メルヘンを成り立たせるのは、そこにほんとうがあるからだ。細部なんかどうでもいいから、核心がブレなかったら、きっとすべてを信じられる。この小さな小説を読みながら、彼が優しさに甘えることなく、しっかりと生きていこうと思う覚悟は、「会いたいです、母に会いたいです。」ということばに象徴される。素直になれるのは、ちゃんと今の自分を受け止められたからだ。つまらない意地は張らないけど、自分のこだわりには妥協したりしない。それが意地を張ることだ、とは言わない。
世の中思うようにいかないことばかり。でも、そこから逃げるのではなく、ちゃんとそこと向き合う。それでいい。そんな彼の姿は『彼らが本気で編むときは、』のラストでお母さんのところに帰っていく11歳の少女の姿と重なる。
ちょっとしたメルヘンだ。現実にはこんなうまくいくわけがない。都合よくこんなにも優しい人たちが彼の周りにやってきて、助けてくれるなんてことはない。でも、そうだったらいいなぁ、と思う。世の中捨てたもんじゃない、と言えるはず。みんな脛に傷持つ人たちばかりだから、彼の痛みがわかる。わかるから、何も言わない。優しさって、そういうものだ。短編連作でこの車屋の人たちのお話が綴られる。親方や奥さん、先輩たち。
ここにいたら、癒される。傷ついた心がだんだん温かくなる。働き出して1年が過ぎていく。ずっとこのまま、というわけにはいかないかもしれない。でも、気づいたらずっとみんなでやっていた、ということになるのかもしれない。年をとっても、このメンバーで、一緒にいられたらいいなぁ、と思う。そんな優しさがここには溢れている。昨日見た『彼らが本気で編むときは、』もこの小説と同じようなことが描かれていたのだが、あの映画には何かが足りない気がする。それは生田斗真が女に人に見えないこと、と昨日は書いたけど、それだけではないことは僕が一番よく知っている。
メルヘンを成り立たせるのは、そこにほんとうがあるからだ。細部なんかどうでもいいから、核心がブレなかったら、きっとすべてを信じられる。この小さな小説を読みながら、彼が優しさに甘えることなく、しっかりと生きていこうと思う覚悟は、「会いたいです、母に会いたいです。」ということばに象徴される。素直になれるのは、ちゃんと今の自分を受け止められたからだ。つまらない意地は張らないけど、自分のこだわりには妥協したりしない。それが意地を張ることだ、とは言わない。
世の中思うようにいかないことばかり。でも、そこから逃げるのではなく、ちゃんとそこと向き合う。それでいい。そんな彼の姿は『彼らが本気で編むときは、』のラストでお母さんのところに帰っていく11歳の少女の姿と重なる。