
『こちらあみ子』と同じでこの映画も、小学5年生が主人公。微妙な年齢だ。ユラ(由来)は東京から転校してきた男の子。地方の小さなミッション系の私学で、新しい生活を始める。教室には10人ほどの児童。引っ込み思案で、他者となじめない。そんな彼がひとりの男の子と仲よくなる。でも、事故で彼が死んでしまう。
作者の自伝的作品のようだ。たった76分のこの短い映画は終始無口だ。彼は他者に心を開かない。優しそうな担任や、クラスメート。でも、自分から心を閉ざす。それでもみんなは優しい。朝はHRのあと、みんなで礼拝に行く。彼も聖書を持ってみんなに付き従う。でも、彼は信者ではないし、キリストを信じていない。そんな彼のもとに、小さなイエスが現れる。彼にだけ見える。イエスは何も言わないで、そこにいる。
これはファンタジーなのか、というとそうではないと答えるしかないだろう。イエスは彼の見る幻でしかない。だから彼は誰にもそのことを言わない。言うときっとバカにされるし、頭がおかしいと疑われるだけだ、ということは重々承知しているから。ラストでイエスを叩き潰すけど、それは怒りからではない。あきらめでもない。だいたい彼(イエスですね)に何も期待なんかしていないし。
言葉少ない映画は、こんなふうにまるで何も言わないまま、話が進み、やがて幕を閉じる。ラストシーンは雪が積もったグランドへと、ふたりで駆け出していく場面だ。でも、そこには解放感はない。所詮そんな光景も幻でしかないからだ。『こちらあみ子』と同じで、これもまた新人監督のデビュー作だ。しかも、なんと22歳の若手監督・奥山大史。彼は脚本、撮影、編集も自身で担当した。これはそんな彼の初の劇場用長編作品。
それがこんなにも私的で閉じられた作品であることに驚く。観客に一切媚びない。ある種の独りよがり。でも、傲慢ではない。無邪気でもない。冷静で切実だ。あまり話さなかったり、感情を表に出せず泣けなかったりする少年ユラはもどかしい。でも、監督の奥山大史はそんな彼とぴったりと寄り添い、最後まで変わらない。頑固だ。でも、こういう映画も有りなのだ、と思う。悪くない。