
ドロドロの恋愛をこんなにもあっさりと描いて、そこに何らかの批評を加えたりもしない。彼らをみつめていると、人間ってなんてつまらなくて、バカなのかと思う。でも、バカはバカなりに生きている。作者は彼らを野放しにして放置する。でも、彼らから目を離さない。しっかりみている。愛おしむように。同じように僕たち観客もそんなふうにして見ている。
彼らは自分の恋愛感情をもてあましている。彼らは実はバカではなく、クールなのだ。恋愛ボケして、必死になっているわけではない。でも、どれだけ狭いエリアで絡み合って、悶えあって、みっともなく生きているんだ、と思う。冷静に彼らを見守る2時間。
2つの物語は全く別のお話なのだが、ドロドロの恋愛という共通項を持つ。それを2本並べて見せたことで、あきれるのではなく、なぜかさらなる客観性を提示することになる。『優しい顔ぶれ』は、職場であるスーパーの従業員である恋人と病気の妻の間でフラフラする男(スーパーの店長)の話。彼はふたりの女に対して自分なりに誠実であろうとしているようにも見える。でも、そうであればあるほど、ダメな男にしか見えなくなる。
もう1本の長編『未明かばんをとじた』は、男女4人+1名がさまざまな役を演じる。基本は『優しい顔ぶれ』と同じ。それのほんのちょっと拡大したロングバージョン。2組の男女が絡み合って、好き勝手しているさまが描かれる。なんかやっていることは軽薄そのものなのに、本人たちは結構冷静に相手と向き合っているから、飽きれながらも、憎めない。これもお話にのめりこんで感情移入する、とかいうタイプの芝居ではない。ただただ客観的に観察するようにして芝居は進行していく。彼ら同様観客もクールに芝居を見守る。
高低差を利用したセットも、彼らの心情を立体的に提示していて、効果的。2本を通して見たとき、なんだか人間って面白い、と、そんな気分にさせられる。やはり、彼らが憎めない。