
今年の2月に「わたしたちのヒカリproject」によるこの作品を見ている。コロナ禍の人々の営みを描く小さな作品だ。これを再び大阪新撰組が取り上げて、ウイングフィールドで上演する。わざわざ劇場名を入れたのは、他でもない。この作品は本来、ここで昨年初演されるはずだったからだ。今回スタッフとして協力している武藤豊博さんが彼の演出であおぞら芸能社としてプロデュースして夏に上演されるはずの作品だった。だが、コロナのせいで上演は中止されたという曰く付きの台本なのだ。(もちろん中止は伊地知さんによる台本のせいではない)
2時間5分という上演時間に驚く。2月に見た時は90分の作品だったからだ。同じ台本からこれだけの差は出ない。もちろんエピソードが追加して改稿はある。だがそれだけではない。間の取り方の違いも大きい。余白が長いのだ。普通なら間延びしてしまうくらいに、だ。だが演出(栖参蔵)はそうはさせない。必要以上の空白が作品のスタイルになりこの空間の醸し出す空気にすらなる。それは結果的にホテルでの2週間の待機期間という無意味な空白の辛さと不安を表現することになる。間延びするのではなく、そこから緊張の持続を描くという大胆なスタイルを打ち立てる。
海外からの帰国者、渡航者を隔離するためのホテル。そこに収容されて他人との接触を禁止されて不安な14日間を過ごす人たち。3組のたまたま隣り合わせになった人たちの隔離部屋のベランダでの会話が描かれる。
舞台美術も大胆だ。隣り合わせのふたつの部屋。もちろん全く同じ間取り。無機質でそっけない空間。唯一外に向けて開かれた欄干にもたれ、外の景色を見る。そこには真っ暗な闇が広がる。本来ならアクティングエリアとなる舞台の半分くらいを使い外の闇にした。昼間ならここからは山が見える。だがそんな景色も毎日見るなら同じ退屈なものにしかならないことだろう。それが彼らにとって唯一の下界。自分が未知のウィルスに罹っているかもしれないという不安を抱えて過ごす時間。隣の部屋の人とのささやかなふれあいの時間が描かれていく。
描かれるのは2020年の夏。コロナ元年の光景だ。まだあれから3年。劇場では舞台上の人たちも観客もみんなマスクをしているという異様な光景が日常化する。それは今もまだ僕たちは「コロナ禍」にあるという現実を想起させる。