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映画・演劇のレビュー

『娼年』

2018-05-17 21:20:23 | 映画

 

 

男娼が主人公。ホストではなく、女の人に体を売って癒しを与える。お金のための身売りではない。体も心も満たされないまま、生きている寂しい女性の欲望にコミットする.つけ込むのではなく、彼女たちのために身を提供するのだけど、ただの性のはけ口ではない。女たちにセックスを通してやすらかな心を与える。満たされたいのは体ではなく、心の方なのだが、心と体は繋がっているから体から心に通じることもある。性的な満足が第一ではない。なんだかきれいごとのようだけど、これはただのポルノ映画とは一線を画する。過激な描写はポルノ映画以上なにに、である。なんとも不思議な映画なのだ。

 

もちろんあからさまな性描写が続くから、見ていてちょっと腰が引けてしまうことは否めない。圧倒的にたくさんを占める女性客は笑っていたりもした。(客席にはほとんど男性はいない)だが男性優位のそれではないから、いやらしいふうには見えない。たしかに見ていて恥ずかしくなるようなシーンが続く。でも、主人公の彼と共に、彼のもとを訪れる心を病んだ女たちと向き合っていくうちに、こういうこともありかもしれない、と思えてくるから不思議だ。そして、彼自身も女たちとの行為を通してこの世界の不思議を体感していくことになる。与えるのではなく自分も与えられていることに気付く。

 

松坂桃李がとてもいい。こんなにもストレートな性行為を見せているのにいやらしくはない。いやらしさとは何なのか、と、そんなことすら考えさせられる。まるでエッチな気分にはならない映画なのだ。もちろん作り手の狙いもそこにある。三浦大輔監督は、体を通して心に触れる。ただ欲求不満の女たちの欲望を満たすことではない。もっと違う「何か」がそこにはある。男の性のはけ口としての女とのセックス、というよくある図式の反対側ではない。ここにあるのは、もっと違う「何か」なのだ。よくわからないけど、なんだか圧倒される。

 



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