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映画・演劇のレビュー

『ソーシャル・ネットワーク』

2011-01-26 21:50:50 | 映画
 最初はおもしろかったのだけど、見ていくうちにだんだんどうでもよくなってきた。これはネットについての話ではなく、青春映画だと言うが、あくまでもフェイスブックを作ったザッカーバーグの物語であり、そこを抜きにしてはこの話を語ることは不可能だろうし、ナンセンスだ。でも、その部分に対して、僕はあまり興味がないから、お話の核心部分が僕にはすっきり入ってこないということだ。巨万の富を築いた男の成功物語にはもちろん興味はないし、ネットビジネスなんてものも技術的なことはまるでわからないから彼らがどうして凄いのかもわからない。こりゃダメだ。だいたいフェイスブックというものの存在すら知らなかった。(「知ってる?」と聞くと、うちの嫁さんに呆れられた。「私もやってるし」と言われた。)

 これが、5億人の人とつながりたい、という話なら、面白かったかもしれないが、5億人を繋ぐネットワークを作る、というアプローチはどうかな、と思う。後半、ビジネスの話になってしまうのも、僕は苦手。大体僕は基本的に1000円以上のお金を持たない人なので、お金のことはよくわからない。1万円を超えるお金はお金とは思えない。だから2兆円企業の創始者とか、世界を変えてしまった青年とか言われても、そんな人知りません、としか言いようがないのだ。

 現実世界においても基本的にあまり他人には興味がないから、興味の持てない人の話を聞いても何も思わない。というか、映画の最初の所で、「この人、嫌い」と思ってしまったからかもしれない。こういう考え方ややり方をしてしまう男には興味を持てないのだ。自分勝手で人の気持ちが思いやれなくて、上から目線で、人を見下す。頭はいいのかもしれないが、僕たちバカな人間のことなんか見下して、切り捨てていくのはどうか。結果的に彼は自分が大切にしようとした人たちからも見捨てられてしまう。(しかも、自分から見捨てたのだという威厳のみを保って)

 もちろんこれはデビット・フィンチャーが描いたザッカーバーグであり、本人とは違うだろう。このドキュメンタリー・フィクションの中の人物像に興味が持てなかっただけだ。だが、映画を見ながら、実はずっとこの世の中を斜めに見て拗ねたような青年の世界を見下すような視線から目が離せなかったのも事実だ。僕は嫌いといいながら、この男が自分を囲むとても狭い世界とすら向き合えてない痛ましい姿に、もしかしたら共感していたのかもしれない。

 人と人とのコミュニケーションは今後ますます難しくなっていくことだろう。そんな中で何を必要とするかについて、もっともっと考えなくてはならない。そんなフ風に考えると、この主人公の歪なコミュニケーション能力は一考の余地があるのかもしれない。


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