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映画・演劇のレビュー

大阪新撰組『吸血姫』

2011-01-26 00:04:44 | 演劇
 本当なら3時間3幕の芝居を、2時間15分1幕ものとしてまとめ上げる。この長大な作品を一気に見せる。今から40年も前に書かれた芝居が21世紀の現代で通用するのかどうかはとても微妙な話だが、そんなことはものともしない。大丈夫だ、と胸を張って見せようとする。とても無謀な行為なのだが、新撰組がそれをすると、誰もが納得する。あの人達は時代錯誤のアナクロアングラだから、問題ない、なんて認識されている、はずなのだ。実際彼らは時代なんて超越してしまっている。これって、バカにしたり、貶したりしているのでは当然ない。これが褒め言葉なのは、彼らの芝居を見ている人たちならみんなわかってくれることだろう。

 きちんとした考えを持って無茶なことをしているのだから、いいんじゃないかと思う。怖れたり怯んだりはしない。だいたいそんなことで躊躇しているようなら、これはやらない。彼らはそんな輩ではない。楢参蔵さんの演出はとても丁寧で、作品の持つエネルギーを大切にして伝えようとする。その冷静さが、この芝居をただの勘違い芝居にはしなかった原因だ。だいたい唐十郎本人ですら今勘違いと紙一重のところで、自分の芝居を作っているような時代の中で、この手の芝居に命を吹き込むことは困難を極める。つかこうへいや寺山修司、そしてもちろん唐十郎も含めて、アトリエ公演できちんと今も演じ続けてきた自信が彼らにはある。これくらい何ら問題はない。

 冷静な目で作品を見つめつつも、勢いだけでちゃんと走り抜けてみせる。立ち止まったりしたならこの作品は成立しないからだ。せりふがよく聞き取れなくてもいい。意味は後から付いてくる。やっている方は何も考えないで、熱い塊となってラストまで突き進んでいけばいい。これは全力疾走するマラソンのようなものだ。汗のぶんだけ感動もある。

 きたまことさんの狂気の演技で幕を開け、古川智子さんの体を張った芝居で締める。70年代に突入した日本の未来が見えない喧噪をこの作品から感じればいい。今、あのころ以上に混沌とした時代の中で、行方の見えない時代のその先をここに微かに感じる。それだけでこの芝居は成功なのだ。

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