習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

劇団壱劇屋『回想電車999』

2012-08-10 12:06:00 | 演劇
 先日のリンクスで壱劇屋を初めて見て、その洗練されたパフォーマンスにうならされた。これが長編の芝居の中でどう機能するのか、興味津々で見た。結果は中途半端で、物足りない。期待が大きすぎたのが問題なのだ。客観的に見ると、若手劇団としてこれだけのグレードを提示出来たなら、立派なものだろう。だが、如何せんお話の作り方が下手過ぎた。パフォーマンスはとてもおもしろいし、それが芝居とちゃんと連動したなら、かなりのものになるはずだ。

 スタイリッシュで、キレもいい。1時間50分はちょっと長いが、それでも、お話にちゃんと、てこ入れ出来たなら、充分な長さだろう。記憶の奥底の潜むものが何なんか、そこに向けて一直線に突き進むとよかったのだが、紆余曲折がありすぎて、もたもたする。

 最終的には、メーテル(一瀬尚代さんが演じている! イメージにぴったりで素晴らしい。このキャスティングだけで、この作品の成功は半分以上約束されたのではないか)と、鉄郎の話になる。それなら最初からあれこれやらずにその一点に集約させてならよかったのではないか。拡散するイメージがちゃんと収斂するという構成でも、いいのだが、まとめ方が杜撰すぎる。

 電車の吊革、ゴム紐(電車に見立てる)を自由自在に使うお得意のパフォーマンスはとてもスマートで面白い。果てしなく続く繰り返し。迷路のような空間で、最終電車を求めて右往左往する乗客たちというイメージも悪くない。それだけに、全体から見事に浮いているメーテルと、彼女を追い詰める破戒僧との話へとシフトチェンジする終盤が、へた過ぎ。あの破戒僧をただ単なる彼らを追い詰めていく者と設定したのはもったいない。彼の存在に意味を持たせたなら作品世界はどんどん広がるのである。あれこれやりながら肝心なところは、説明不足。それでは本末転倒です。

 それより何より、まずは、鉄郎との話だけでよかったし、そこにもう少し意味を持たせて欲しい。忘れていたメーテルの存在に導かれて、回想列車に乗ることで、彼はどこに向かったのか。その先には何があるのか。疲れ果てた帰りの電車で、人々は何を想うのか。失くした鞄はどこにあり、なぜ見失うことになったのか。鞄の中には何があり、そのことが、何を伝えるのか。描くべきことは山盛りある。それを、見事なパフォーマンスを介して、ドラマチックに見せたなら、きっと感動のステージになっただろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮下奈津『窓の向こうのガー... | トップ | 燐光群『宇宙みそ汁』『無秩... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。