![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/16/958cb9a8790a9ec940dba0ec3dcb4d84.jpg)
今回でなんと17弾となるそうだ。毎年確実に1冊出版されている。律儀というか、なんというか。在りし日の寅さん映画のように。毎年『東京バンドワゴン』の新作を読むのが定番。(そういえば小路幸也は寅さんのノベライズもしていたなぁ)ここまでくるとその膨大な登場人物の交通整理だけでも大変な作業になるだろう。でも、小路幸也は毎回同じパターンで、1年ずつ成長していく家族の姿を描いていく。子供たちがどんどん大きくなるし、この家にやってくる人もほとんど減ることはなく、増えていくし。
しかし、今回はいささかいつもと趣が異なる。なんとお話らしいお話がほとんどない。事件らしい事件は起こらないまま、終わっていくのだ。こんなこと初めてのことではないか。大事件の時もあるけど、少なくとも必ず毎回いろんな事件はあり、それにみんなで対応していくことでエピソードが展開していく、というのがパターンだったのに。春から始まり冬まで4つのお話が毎回描かれていくのは定番。亡くなった祖母のナレーションで始まり、彼女によるこの家の家族みんなの紹介があり、近況報告というか現況報告の後、家族の朝食の風景が描かれてのんびりとお話が始まる。だが、そこから先。何もない。
でも、だからつまらないのかというとそうではない。反対に新鮮でいつも以上におもしろいのだ。事件なんかなくてもこの家族を見ているだけで楽しい。彼らの日常のスケッチだけでも1冊が作れるという事だ。それってすごくないか。寅さん映画で寅さんが恋をしない、というエピソードと同じくらいに凄いことだと思う。
スピンオフが何冊か挟まっているから、第1作から厳密には17年ではなく13,4年くらいの歳月が流れているのだろう。(いや、調べればすぐに正確な時間はわかるのだが、めんどくさいから僕はしない)サザエさん一家ではないから、ここでは時間がちゃんと流れていく。変わらない日々の中で少しずつ時は流れて、時代も変わる。でも、この東京の下町では、時間は止まったままのようだ。なんだか懐かしい。大家族がみんなで幸せに暮らしている。今では消えてしまった光景がここにはあるし、それが変わることなくずっと続く。この安心感はすごい。4話目はなんと年末年始の光景だ。年の瀬、正月の堀田家のスケッチだ。そこにはマードックさんの母親の死も描かれるが、誰かがいつか死んでいくということだって日常の一コマなのだ。ここに描かれるものはある種の理想だ。でもそれは特別ではない。だからこそ愛おしい。