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映画・演劇のレビュー

劇団乾杯『V{breath}』

2008-06-02 22:15:11 | 演劇
 だいたいこの芝居自体には、本当は何の意味もない。だいたい普通なら「演劇とは何か」というテーマのもとに作られた芝居なんてとても見る気にならない、というのが本音ではないか。なのに、このとても見る気が起きないような芝居がとんでもないエンタメしてるのだ。驚け!(いや、驚いたのはこの僕なのだが)

 正直言ってかなり驚いた。これをメタ演劇なんていいません。これは演劇コントとでも言うべき性格のものだろうと思うが、この「へたうま」具合は並ではなく、せっかく覚えたせりふを飛ばしてしまってもなんの支障がないばかりか、それすら演技に見えてしまうくらいのリアルさである。

 だいたい前ふりとして出てきた謎の転校生が、芝居が終わったところで、出てくるという荒技も含めてすべてが確信犯的で、あらゆる障害を抱えたその転校生のことなんて、始まって10分で忘れていたのに、作者はしつこく忘れずに覚えていて、ちゃんと最後に登場させるのだ。彼は両手両足体もなく、臓器も含めて全ての器官を失った究極の障害者で、その存在すらない、というバカバカしい設定で登場してきたのだが、当然その姿は誰にも見えないし、話も出来ないからその存在は当然忘れ去られる、のだが。ラスト、唐突にまず、人形として現れ、その後人間となったその姿を観客の前に曝した瞬間のバカバカしいまでもの感動。百鬼丸のように様々な部位を取り込んで普通の人間の姿を取り戻したのだそうだ。

 一体何なのだ、この芝居は。先に書いた転校生の事なんか、ほんとは何でもない。全編が驚きと、呆れに満ちた驚天動地の小芝居である。平田オリザもどき、もちゃんとやっている。あんなことどうってことないから、いくらでも真似できちゃうよ、とでも言わんばかりのコピーぶりだ。なぜこんな芝居を作るのか、芝居というものへの挑戦なのか、だなんてそんな大袈裟なことは何も言わない。

 作、演出の山本握微さんは、このおちょくった芝居をきちんと作ってしまう。そこに感動した。バカバカしいいと一蹴することが出来ない。そうさせきれないものがここにはある。このくだらない情熱こそが、芝居本来のエネルギーであり、彼の芝居への愛が、この作品を作り上げたのだ。これはトリュフォーの『アメリカの夜』の舞台版だ。まぁ、嘘だけど。

 この芝居に関する分析とか批評なら、僕なんかより山本さん本人がすればいい。彼なら的確な表現で語ってくれるだろう。芝居の後で話した山本さんは、舞台の上でのオチャメな芝居以上にキュートで、この人がこんな芝居を作ってしまうことにもなんだか笑ってしまった。彼はふざけることなく大真面目に、これだけの薀蓄大会を見せてくれるのである。しかも、細部まで計算した構成が為されている。

 だから、僕はあと少し、この呆れた芝居の細部でも、思いつくままに書いていこう。18時間40分という上演時間である。それを本気でやろうとする。もちろんそうもいかないから思いっきり端折ったりする。本当なら回想シーンでは人類の創生まで遡ろうとする。だいたい、なぜ主人公の山本くんがうたた寝するに至ったかを説明するためだけにその回想はあるのだ。

 夜間高校が舞台だ。ただの夜間高校ではない。夜間に学ぶ生徒も帰った後の深夜の学校で授業は始まる。この高校の3年生の山本はなぜ3年になってから演劇部に入部し、芝居を作るに至ったのか。そして、彼が所属する謎の劇団の実態とは。さらには演劇部現部長の桜井幸子をいかにして自分の参加する劇団に勧誘するのか、とか。しかも、その劇団の主宰者はこの学校の演劇部顧問だった男で、彼は自分の欲望を満たすため台本を書き演じさせていた、とか。なんだか、どうでもいいような話が幻想のように綴られている。

 こんなふうに書いていてもまるで意味がないのだ。90分という現実のコンパクトな上演時間の中に込められた永遠に続く芝居の悪夢のような連鎖。その魅力の虜になった。この芝居の先には何もないが、この薀蓄の嵐と、冷めた視線が共有する不思議な世界を体験できてよかった。4年後、またどこかで芝居をしていて欲しい。(今回の公演は彼が就職して4年のブランクを経ての公演らしい。ほんとは4年と言わずにまた次が見たい。)

 

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