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映画・演劇のレビュー

『僕だけがいない街』

2016-04-14 20:40:26 | 映画

リバイバルという現象がなぜ彼にだけ起きるのか。なんてことは、まったく問答無用。説明なんかする気ない。怒濤のように彼に起きた事実だけを見せていく。理不尽なことがわけもわからず展開していく。まぁ、人生にはそんなこともあるだろうけど、なぜ、を置き去りにして映画は最後まで駆け抜ける。

なってしまったことは、もう受け入れるしかないし、そのうえでなんとかするための努力をするしかない。母の死をリセットするために(そんなことが出来るのだ!)は、母を殺した犯人を突き止め、母が死なないような未来を作る。単純に過去に戻って、正しい方向に物事を導く、というだけではない。(そんなふうになるけど)

けど、結局はそういうところに落ち着くので、わかりやすい。しかし、この現象の法則性が、最初はわからないし、過去に戻った時、未来の記憶は残っているので、修正しやすいはずなのに、なんかうまく対応できず、何度となくリセットを繰り返すことになる。正しい修正が出来ないと、また元に戻るのだ。

 

基本は2006年から1988年への往還。18年のタイムラグをめぐる。11歳と30歳という二つの時間を通して、あの事件(連続児童誘拐殺人事件)を解決しないことには彼には先はない。真犯人はどこかにいる。捜し出せ。

 

出逢うはずのなかったふたりが出逢って未来をつかむための冒険に出る。というストーリーだ。藤原竜也と有村架純。一応ラブロマンス的な体裁を取るけど、そこに頓着しない。というか、だんだんどうでもよくなる。映画を見る前は、このふたりが同級生役はないわ、と思っていたが、僕の勘違いで、ふたりは同級生ではない。(よかった! いくらなんでも、彼らの同じ年はない。)でも、そうなると11歳の時間に彼が助ける少女のドラマが現在のシーンでほとんど描かれないのはどうか、と思う。ヒロインが二つの時代で違うのは、作品の構造上仕方ないけど、もう少しそこへのフォローがいる。

 

有村と藤原はバイト先の知り合いという設定で、彼女は彼を信じる。不思議な現象(リバイバル現象だ)を目撃したからだ。そこから話は始まる。だが、ヒロインである彼女があまり話に関与できないのは作品の構造上の欠陥で、彼女のお話をもっとうまくメインのストーリーに絡ませないことには、ラブストーリーとして弱い。もっと運命的に再会させて欲しい。そのためにも、ヒロインの書き込みが不足しているのだ。彼女が彼を信じたのは、自分もまたリバイバルをしてた、とか。ラストで彼の死が明確にされるのもそうだ。書き込み不足。もっと何かが欲しい。そう出来たなら、今以上に感動的な映画になったはずだ。よく出来た映画なだけにこの詰めの甘さやその他もいろいろありなんだか残念だ。

 

真犯人に対する主人公の甘さ、優しさも、何なのか、わかりにくい。好きだった先生が犯人だったという事実を知っても彼を憎めないのはなぜか。そこにもっと説得力が欲しい。あの程度の描き方では納得いかないし、信じていた先生に裏切られたのに、あんなに冷静な対応をしたのは、犯人と主人公は実は紙一重の存在だった、というオチにつながるのなら、納得したけど、そうじゃないし。いろいろがっかりもあるけど、でも、2時間楽しめる。

 

ラストで主人公ふたりが再会するシーンもちょっと安易。タイトルが意味するものもあまり明確にならない。世界から自分だけがいなくなる恐怖は死、ということではない。彼女には彼が見えないので、通り過ぎていくというイメージ・シーンが象徴するものをもっと前面に出すべきだった。母親の命を助けることがクラスメートの少女を助けることにつながり、犯人を突き止め、他の犯罪も未然に防ぐ、というところまでには至らない。実は犯人は今でも犯罪を犯していた。この詰めの部分が弱い。

 

 


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