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映画・演劇のレビュー

吉田篤弘『モナリザの背中』

2016-04-14 20:38:24 | その他

 

こういうタイプの作品も吉田篤弘が書いていたのか、とちょっと驚く。でも、この森見とか万城目とかを思わせる一見ふざけた作品が、実はその後の彼の作品に繋がることは明白で、300ページ以上に及ぶ大作はホラ話スレスレで実はとても生真面目な彼らしい。

 

曇天先生は上野の美術館で、ダ・ヴィンチの『受胎告知』の絵の中に入り込む。そこから始まるお話だ。(なんでモナリザではないのか、と思わせるのがミソ)人間が2次元の絵画の中に入り込んで、しかも、絵画には奥があり、そこで他の絵ともつながっていて、とかいうどうでもいいようなお話が延々と続く。これは彼と彼の助手であるアノウエ君(いのうえ、なのに!)の冒険物語である。

 

ルイジアーノの『十二人の船乗り』という絵の中の人(12人のひとり)が逃亡して、彼を探すふたりが、風呂屋のペンキ絵(もちろん、富士山)なんていう悪所もなんのその、三日坊主に導かれ、クライマックスまで、一気に。さて、彼らは無事彼を探し出せるのか、なんていう一応冒険もの。ということにしたけど、実はそうでもない。

 

50歳になった曇天先生は、人生のもう絶対に後半戦に突入した自分のことを考える。なんとなく生きてきた人生を振り返る。この先はもう長くないし、特別なんてないだろう。そんなときにこの不思議に行き当たる。バカバカしいお話だが、そこにあるのは、人生って何があるかはわからない、というなんだか、わかりきった答えだ。これはよくあるようなファンタジーではない。ある種の諦念から始まるドラマで、彼ら2人のあほらしく冗談のような話は、わかりきった人生なんかない、というとてもわかりやすい答えを提示する。だから、これは真面目な吉田篤弘らしい、というのだ。

 


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