習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『華麗なるギャツビー』

2013-07-20 06:46:57 | 映画
 なんて悲しい映画だろうか。もうお金なんかいらないし、愛もいらないや、と思った。ギャツビーが可哀そう過ぎて、トビーと一緒に泣いた。えげつないこともしているのだろうけど、彼は彼女に対してあんなにもピュアで、すべてを彼女のために尽くして、彼女を手にするために必死になってここまで生きたのだ。それなのに、あれはないよ、この世の中には神も仏もない。

 まぁ、半分冗談だが、そんな感想を抱かせてくれるくらいに、この映画に感情移入できた。超豪華で、贅沢の限りを尽くすこの映画(文芸映画なのに3D!)は、とことんベタなメロドラマだが、一切の手抜きがないから、作品世界にどっぷりと浸れる。『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマン監督なので当然だが、今回はパーティーのシーンだけでなく、あのロングアイランドの邸宅から、ニューヨークの中心部に至る空撮、その途中にある灰の谷(と言うらしい)の凄まじさ。視覚的に庶民と上流階級の落差を一瞬で見せる。ロケーションもオープンセットも含めて、スケールの大きさに圧倒される。2時間22分という上映時間も一瞬。

 わかりやすいストーリーと、謎解きも含めてテンポのよさがこの作品の魅力。貧乏と金持ちの凄まじい格差。20年代アメリカの現状は今の世界情勢とも通じるのではないか。まぁ、そんなのは普遍で、いつの時代も同じか。

 トビー・マグワイアを語り手として、彼がギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)の出会うまでが結構長くて、そこもうまい。ちゃんとタメを作る。反対に、出会ったところから、彼の死までは、一瞬で走り抜けていく。善人と悪人の色分けも明らかで、わかりやすい。もちろん本当はそんな単純なものではない。でも、人間の本質って実は単純だ。この映画の登場人物たちはそれぞれ自分の本性に忠実だったということなのだ。だから、ラストの悲劇も当然の帰結かもしれない。

 夢の女へのこだわりが悲劇を生むのではなく、こだわったから彼はこの成功を手にすることができた。だが、それは結果的には悲劇につながる。純粋だったからこその悲劇なのだ。では、成功を手にしたところで、ひとりの女へのこだわりを棄てて、(だってあれだけのお金があればどんな女でも手に入れることはできる!)もっと自由に生きたっていいじゃないか、とも思う。だが、そんなことをしても彼には何の意味もない。欲しかったものはひとつだ。そしてその夢を手にするためにこれまでの苦難の道があったし、それに耐えてこられたのだから。なんて単純でわかりやすい図式だ。

 対岸の彼女の家を見つめるギャツビー。とうとう彼女に会える、と思ったらもうどうしようもなくなる彼。思わず雨の中に飛び出してしまうおちゃめさ。いじらしいではないか。大の大人があれでいいのか、と思う小学生レベルだ。(というか、今時の小学生はもっと醒めているか?) でも、これでいいのだ。恋に年齢は関係ない。かわいい。だからこそ、悲しい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『恋に至る病』 | トップ | 『アンコール!!』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。