
『新聞記者』をはじめとしたさまざまな映画の撮影監督である今村圭佑による監督デビュー作。とても見たいと思っていた映画だが、残念ながらガッカリした。もちろんここでも撮影監督を兼ねたその映像は美しい。だけど映画自身がまるでつまらない。思わせぶりなシーンが続くが、ここには伝えるべきお話がない。だいたい主人公の想いが伝わらない。フォトジェニックな映像ばかりが先走りお話が杜撰。だから、だんだん退屈してくる。これは写真じゃない。長篇映画だ。ドラマ不在の独りよがりでは意味はない。
両親の結婚、ふたりの子どもたちの出産、日本での生活。台湾に帰ること。母親(一青窈)の気持ちの推移がすっ飛ばされているから、こちらで推し量るしかないけど、そこを観客に委ねるのは映画として最初から敗北している。
20年以上の歳月を経て台湾に行く弟(水間ロン)が主人公である。5歳の頃、兄は母について高雄に行った。自分は父と日本に残った。ずっと母に捨てられたと思い生きてきた。だから母が亡くなった時も台湾には行かなかった。だけど、母が好きだから中国語も覚えた。
父(平田満)から台湾に行くことを勧められる。生き別れの兄(山中崇)のところに行き、書類のサインを貰って来て欲しいと言われた。父の会社が倒産して借金返済義務を放棄するための書類らしいが、なんかよくわからない。
この映画はいろんなところが説明不足でわからないことだらけ。それを観客の想像力に頼る。一番ダメなパターンだ。それではせっかくのいい雰囲気がまるで生きてこない。これだけ頑張ってる役者たちも空回り。演じがいがない。ムードだけで押し切るからだ。
高雄の町を彷徨い歩くことに意味を持たせて、彼の中にある母への想いをそこに照射する。今はいない母が生まれ、育った町を肌で感じ、母の中にいるような気持ちになる。やがて出会う兄との再会や兄の幼い息子とのふれあいを通して、自分の中にある台湾人としての自分を見出すまでのドラマ、それが作れたならこれはいい映画になったはずだ。だけどこれでは悔しくて、腹立たしいばかりだ。期待が大き過ぎたのかもしれないが、それだけの可能性がある映画だったのに残念すぎる。