こんな不幸のつるべ打ちって、どうよ、と思う。途中から笑うしかないな、とも思う。確かに三姉妹はそれぞれ精一杯生きている。でも、こんな話ありなのか、と驚く。これはいくらなんでもあんまりな展開ではないか、と思うのだ。映画はこの三姉妹のそれぞれの「今」を描く。彼女たちが抱える問題と向き合う。悲惨というのとは少し違うけど、なんだかなぁ、と思うし、とんでもない。もう少しなんとかなりませんか、と思う。長女の弱さ。次女の強さ。三女の甘え。簡単にいうとそういうことに集約されるかもしれないが、そんな単純な話では断じてないことは明白だ。なぜ、そんなことになったのかは、モノクロで描かれる幼い日の物語を追いかけるうちにはっきりと見えてくる。家庭環境の諸問題が今の彼女たちを作ったのだ。なんてわかりやすい映画だろう。でも、この映画の凄さはそんなシンプルな図式ではない。映画はそんな図式を描けるにも関わらず、それだけではないだろ、ということを明らかに感じさせるようなエピソードの紡ぎ方をする。小さなひとつひとつのエピソードが彼女たちの複雑な今を感じさせる。それぞれの家族の問題が浮き彫りにされていく。でも、それは明確には描かれない。描かれる背後には膨大な描かれなかったエピソードが内包されていることがしっかり感じさせられるように作られてあるからだ。そこがこの映画の凄いところだ。的確な描写が彼女たちの今を明確にする。
どんだけ、不幸なのか。救いようがない。なんとかしようとそれぞれが努力してはいるけど、どうしようもない。お互いが助け合い、支えあう。というか、次女にふたりは甘えるばかりだ。しっかり者の次女は怒りながらも、見捨てることなく2人を支えていく。でも、彼女自身もまた問題を抱えている。彼女のこの強さが彼女の家庭を壊していくことになる。夫のダメさは彼女があまりに強いからだ。子供たちへの彼女の対応もそうだ。自分に自信がある。だからみんなだって自分のようにやれるはず、と思う。あきらめているだけ。あるいは、甘えているだけ。でも、みんながみんな彼女のようにできるわけではない。根底には両親のことがあり、今の家族のことがある。親になってはじめてわかる子供との関係。自分が子供だったことと、今では親になり子供とどう向き合うか。彼女は完璧ではない。さらには3人のそれぞれの問題がお互いに影響を与える。だって離れていても家族なのだから。
ラストの海のシーンが素晴らしい。3人でここにきて、遊ぶ姿がいろんなこだわりやためらいを洗い流す。父親の暴力がすべての始まりだった。そこになにもできない母親の弱さも影響しただろうが。でも、今さらそんなことをいっても仕方ない。ここから前を向いて生きていくしかない。3人はここで一緒にいて、彼女たちにはかわいい弟もいる。それだけで大丈夫だ。絶望の果ての希望。
韓国の昔の子育てなど説明を聞いたら
すこし理解できる気がした。
ラストの海のシーンで少し、ほんの少し
救われ感はあるがそれまでの不幸シーン
きつすぎて私にはつらいだけだった。