今年も山崎貴監督が東宝のお正月映画を牽引する。昨年の『海賊と呼ばれた男』は原作のスケールをそのまま再現しようとして失敗していたが、今回はスケールの小さな作品としてこのファンタジーを再現しようとして、また、失敗している。失敗続きの彼の連投を目撃して、時代のエースは大変だな、と改めて思う。期待が大きいから、ガッカリも大きい。普通の人なら、気にもとめないところが彼なら叩かれる。(それだけハードルが高くなるのだ。まぁ、仕方ないことだろう。)
鎌倉という町の魅力が伝わらないのがつらい。リアルな鎌倉を描いた映画や小説はたくさんある。最近では小川糸の『ツバキ文具店』なんてとても素敵な鎌倉小説だった。
これは原作者も同じだし完全に『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作の流れを汲んだ映画なのだ。だけど、あそこで成功したものがここでは踏襲されない。あくまでもファンタジーでしかない。もちろんあれだって今の時代ではただのファンタジーだ。でも、あそこにはリアルの土壌があった。それがここにはないから、つらい。
山崎貴監督はあのほのぼのしたタッチをここでも再現しようとした。魔物と人とが共存して普通に生きている世界なんていうファンタジーとして。妖怪や幽霊が普通に跋扈する。特に、夜市のシーンなんて魅力的だ。境界線はあるけど、緩い。でも、そこには確固としたルールがあり、そこを損なうと全てがダメになるという恐さと背中合わせの同居なのだ。だからこそ、そのためにはそれを成り立たせるだけのリアリティーが欲しいのである。だが、その一番大事なそこが表層的にしかならない。だから、嘘くさくなる。
後半の黄泉の国に行き、妻を取り戻そうとする部分もかわいいお子様ランチの世界にしかならないから、ハラハラドキドキしない。もしかしたら、帰ってこられないかもしれない、という恐怖がそこには描かれない。ただの予定調和では感動はない。オルフェウスのような緊張が欲しいのだ。貧乏神とのエピソードが伏線になるのだけど、それすらお座なりなものにしか見えないようでは意味がない。